私は 癌との診断がなされました。そして祈る元気も失せました。
その後聖書の言葉を多数引用して祈るように導かれました。 その祈りの言葉は前記のブログ、『追憶。今日、私があるのは!?』に書きました。
多くのクリスチャンにメールをして祈って頂きました。
そんなある晩に夢を見ました。
すると神は、私に独りの男が、深い谷間を歩いている姿を見せられた。
麻酔の中でしたから、手を握って下さった人が誰なのか?今も分かりません。 看護師の方に誰が来ていたのですか?と聞いても分かりませんでした。
その後 癌の反応が合った血液からは、癌反応が消え 、癌のMRI反応から内視鏡検査と手術を受けましが
写真に写っていた癌の影が消えていました。
色々の困難や、問題。病がありますが、直接、そのことに触れて 祈るよりは、神の栄光が現れるように。神様を礼拝続けたいと訴える・・私たちに与えられている使命遂行を願った方が、神の御心を動かすのでは無いでしょうか?
ヒゼキア王も延命 癒やしだけを求めたのでは無くて、神の栄光を第一に求めて、使命を果たしたいから、生かして下さいと、神に願いました。
この順番を忘れないようにとその後 心に決めました。
牧師、祈りの力 教会成長のために・・個人的に癒やしを願う方も居られます。けれど、神の栄光を第一にしているのかな?求めているのかなぁ〜と思うこともあります。救いと永遠の命の神の栄光が第一では無いかなぁ〜と、上記の体験から。。御言葉 聖書を調べて思うようになりました。
『生きるも 死ぬも キリストのためですね。』
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