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心の風景、愛の聖書、福音と癒やしと日常から。ミカエル小栗

ミカエル小栗がつづる心の風景。聖書の福音は愛と救いと癒やし。日常の出来事の心の雑記帳風景ブログです。聖書に基づくカウセリング、祝福と救いと心の癒やしを祈ります。あなたの教会のメッセージ奉仕もします。ご依頼はメールにて!

カテゴリ: 男の着物

神戸も梅雨が開けで、只今 盛夏真っ盛りです。


 気温もどんどん上がり熱帯夜になりました。

夜でも、熱中症に成る方がおられますから 、水分補給はこまめにお取り下さい。

さて、何時もこのブログをご覧下さり真に感謝申し上げます。

心からの御礼と 併せて 暑中お見舞いを謹んで申し上げます。


夏紋付き

皆様のご健勝を心よりお祈り申しあげます。

又引き続き このブログをご覧下さるようにお願いいたします。
更新は気ままですけれど 宜しくお願いいたします。

小地谷縮み十字絣18
 
ミカエル小栗

 
能登上布 丹後 479
市松模様の浴衣1能登上布3

 梅雨が明けて・・・

暑い日が・・本格的な夏が始まりました。熱中症には気をつけて過ごさないと行けない時期になりました。

 私の仕事は二つあります。 牧師と調理師です。牧師の仕事といっても開拓伝道中ですから、特別特定の信徒さんは居ませんが・・どうぞ。ご加祷下さい。本来はこの牧師業で一本でいきたいのですが、宣教費用の捻出のために働いています。

 もう一つ。調理士の仕事は、中学を卒業後、始めました。調理のために火を使いますから、夏はとても暑い職場に変わります。一昔前にはクーラーなんて無かったですからね。 最近はクーラーのある職場もありますが、忙しくて火を使い続けると、当然。温度は上がりますよ。

水分補給にはキンキンに冷えた飲み物よりは 少し暖かい物を飲むようにしています。冷たい物は一時的に末端神経を鈍らせます。飲み続けると身体には良くないですね。 味見をする際にも、味覚が落ちます。冷え性の方には、冷えた物より、熱いよりは、少し暖かい物でも良いですね。

 涼しく過ごす工夫は、皆さんそれぞれですね。

 夏には、私は浴衣をよく着ます。最近は花火大会がある時には若い人。男性でも浴衣を着る人が増えていますね。日本の伝統として観れば良いな〜と思います。角帯を腹の上で締めている男性を見ると違和感。男は腰の上で帯を締めると良いですね。

私は四季を通じて着物を着ています。浴衣は何枚、あるかな?二十歳の頃から日常着として普段から着物を着ています。結婚した際に、妻が嫁入りとして着物を持ってきてくれたからですね。その時からの浴衣や着物もありますが、追加して買ってもいますね。

特に浴衣はなる場だけで無くても、冬には、冬物の着物の下に、浴衣を重ね着をして着ると暖かくなり、浴衣の用途も広がります。古くなった浴衣は寝間着としても使えます。

浴衣は普段。家に居る時、近所の買い物には、素肌素足ですが、一寸した外出には汗取り用に半襦袢、白足袋を付けます。また薄くて透ける着物、浴衣には麻布腰巻きを身に付けます。
ステテコでも良いですね。最近は、このステテコも見直されていますね。

 男性の和物下着で、隠れたファンが多いのが褌です。大丸デパートの男の下着コーなでも売られていますが高いですね。着物屋さんでも扱うところもありますが限られています。ネットでも売られる時代ですけれど・・

 夏場の汗などで男は股間が蒸れます。通気性が良いので褌の愛用が増えるのかも知れません?
特に着物を愛用する人には多いとのことです。着物を着る全ての男性では無いとは思いますけれど・・。  外部リンク  男の着物大善 →男の下着解説

 休日に、思い立って、ハンズで買った和柄の手ぬぐいと晒しの反物に紐を縫い合わせて、越中褌をと作りました。買うと高いからですが、亡くなった妻<母も>が手作りしてくれた時が懐かしいですね。抵抗感もある方も居ますね。

 父や祖父もこの褌を愛用していました。褌一丁で、なる夕涼みをしていた光景も浮かびます。さすがに、私は褌一丁では、近所でも出歩かないですけれど。。

 結婚してから、夏に腹を壊した時に義母が晒しを持ってきて、晒しの腹巻きをするように言われました。そのときに残った晒しで、妻が初めて褌を手作りしてくれました。

 最初は抵抗感もありましたが、着用してみると、着物の下着としては、好都合でした、用足し着くずれし難いと分かったからですね。通気でもよいので、夏場浴衣を着ていた時に、調理場でも暑くても蒸れにくくて良かったのからです。
古いと思われるでしょうが・・ わらい!


越中褌7




越中褌96




 少し用事があり出かけました。

 普段は早々。三宮には出かけないのですが、夕方に用事待ち合わせがあって出かけました。

時間まで暇つぶしに、コーヒーでもと思いましたら、三宮地下街の隅にある小さなお店を思い出しました。
数年前に一度。此所でケーキセット750円を食べたときに、ウィーン発祥のケーキ ザッハトルテが美味しいと思った店です。ハッザトルテ
私がウィーンにいた頃によく食べたお菓子です。色々の洋菓子屋には、このケーキ ザッハトルテの名前で売られていますが、殆ど失望する作り方。名前だけのザッハトルテです。

ココア味のスポンジを包み込むチョコレートが全く違います。多くの店はソフトチョコレートです。

ウィーンの作り方は、チョコレート、ココアに砂糖を溶かしたアイシング作り、それをスポンジに掛けてかめた物です。歯触りのあるザックリし、滑らかさも失っていない。とても微妙な食感が美味しいです。

フランス菓子のオペラ・ケーキにもにていますが、また違うます。日本ではこれと勘違いして作られている気がします。この三宮のランドルフは正当な伝統の作り方と言われていますが、微妙に違う気もします。毎日作っていても ケーキ 。料理は、そのときの気温で微妙に違い在りり、どうしても違ってきますから  難しいです。
 ランドルフの URLは http://www.morozoff.co.jp/brand/landolt.htmlランドルフ 店内はこじんまりと落ち着いた店です。

ウィーンではテラスに座り、通りを眺めて食べていた頃を思い出しました。懐かしいな〜30年も前のことですよ。


 三宮のセンター街の西館二階そのところ通りますとアキバに来たような感覚になります。マニアックな オタク的な店が並んでいます。
初めて、そこを通り抜けたときには驚きましたよ。
                               センター街

 三宮には多くの個人商店がありますが、移り変わりがやはり激しいです。
今日。ふと気がつくと、私が浴衣を買った呉服屋さんが無くなっていて、驚きました。
以前このブログにも書いたお店です。 母親を思わせる高齢の女将さんが愛想が良くてつい浴衣生地を買い求めて仕立てました。そのお店が消えていて・・・寂しい気がしました。 あの女将さんは元気でいるだろうかな?
着物が売れない時代になってきたので、閉店しなけれな成らなくなったのでしょうか? 結構 長く開いていた老舗の着物屋でしたね。

日本伝統技術が織りなす業が失われないように、日本製品を買わないとね。でも買いたくても 高いのが問題だよね。時に着物はね。世界に誇れる織物ばかりがある国なんだけれど・・・

 日本人が開発した液晶TV技術も、付加価値ばかりを付けて高くなり、サムスンやLGにお株を取られつけ込まれるようになった。東芝の液晶TVはLGの物を使っている。ソニーはサムスンの液晶だし・・
最近。知って驚いたよ。同じ液晶なのに、日本製TVになると高いよ。 日本は技術はあっても 応用のソフト力が少ないのかも?

日本製が売れて雇用の空洞化も起きないようにもしないと・・・ 国会議員が自分の議席の再選を考えている間に 日本の将来が暗い・・

 老舗の呉服屋 お店が無くなって寂しい気がした。

 孫文記念館 明石大橋に行きました。

友人を連れ立って,神戸垂木アジュール舞子海岸まで行きました。明石大橋の袂には孫文記念館が在ります。近年の中国人観光ブームで来場者も増えているようです。参照、Wikipedia  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AD%AB%E6%96%87%E8%A8%98%E5%BF%B5%E9%A4%A8この近くにはアジュール舞子の海水浴場がオープンしています。どちらかというと須磨海岸に比べて家族連れが多いです。 着用した男の着物は、黒字に井の形をした綿の絣の着物です。角帯は白生の麻織りの絽です。下着に半襟付の半襦袢を合わせると,単の着物としても着られるが柄を選んでいます。浴衣としても当然着られます。最近は,何とか男子という言葉に合わせて, 浴衣男子という言葉もあるようですね。

明石大橋下孫文記念館前
 幼い時には母の手作りの着物が好きでした。 結婚した時には妻が沢山を着物作ってくれました。短い10年間の結婚生活でした。ですが40年前の着物を今でも着ています。

 

明石大橋 井字絣 結婚当初から33歳、海外生活を始めるまでは、毎日のような着物を着ていました。当時も着物着る男性が少なくなりかけていましたね。又、着物の着始め<幼い時も簡単な着物でしたけど。。>二〇歳でしたので,珍しがられもしましたね。  着物の着始めは、浴衣から始めると着慣れして良いですね。



グレーに白色縦縞の小地谷着物 

私も着物に着慣れないときには,体系的に下腹が出ていないので,角帯が擦り上がってきました。晒しを腹に巻いていたときもあります。その晒しに小さくたたんだ手ぬぐいを挟んで,仮の下腹を作っていたときもあります。妻から、歩き方も注意されたことがあります。今は、着慣れたので、腹巻きは余りしなくなりました。後ろから注意してくれる妻も亡くなってしまい・・。  所で。男の着物は、腰で着るとも言われます。角帯の締める位置に気を付けています。

 また、私の後ろを歩いていた妻から『背筋が伸びていないよ!』と・・背筋を伸ばして,腹から歩く感じだと,男の着物姿は凛として見える。右手のグレーの生地に白の縦縞、小地谷縮みなど着るときには下着も透けるので,麻、もしくは綿紅梅の下着をつけます。ステテコでも良いですが、町中では透けてみてるのが好きではないです。長襦袢または裾よけ(麻の腰巻きも下半身だけですから楽で涼しい。!)


有松絞り 上半身 男の着物では、夏には外出着としては,麻の上布などがあります。小地谷縮み、能登上布、夏塩沢が有名です。浴衣は一般的には夕方からですね。と言っても近所くらいの買い物程度にはいつも浴衣を着ています。左の画像は、有松総絞りです。絞りが,肌にサラサラ感を与え着心地が良いです。帯も総絞り。この絞りの技術を継承者が少なくなり年々高くなっているようですね。透けて見えない着物ですと、着物を肌に直接着ます。風が入り見た目よりはとても涼しいです。


ベージュ綿紅梅 008 左の画像は、ベージュ色の綿紅梅の着物です。 それほど透けては見えませんが,着物を長持ちさせる先人の知恵で腰、尻に当たる部分だけに晒しのいしき当てを縫い付けてあります。帯は・・兵児帯風の縦絞りです。 朝からの外出時には白足袋と襦袢を着ければ,ちょっとした夏の男の着物として涼しく重宝です。麻の腰巻き=裾よけも着けています。

WEBグレイ綿紅梅のコピー


 
 


  左の画像は,グレーの生地の夏塩沢です。サラッとして着心地が良いです。 少しシミを作ってしまい残念ながら普段着としてきています。着物は着た後に、風に当てて,汗からの湿気を飛ばしておくと良い。角帯は献上博多帯です。


着物のたたみ方もあります。 しっかりたたんでおけば、  しわになりにくいです。正式なたたみ方ではなく簡単にたたんでいたので、多少  しわが出来てしまいました。

越中褌作り母や妻が健在なときには、半襟のつけ代えを初めとして肌襦袢、越中褌まで全て手作でした。専門店で買う、頼むと結構な値段が取られます。日本手拭いに細紐を縫い付けて、久し振りに越中褌を作りました。着物の下着としては、着崩れしにくい。用足しが楽。私が結婚した頃に、後ろを歩いていた妻から注意をされました。洋物の下着(ブリーフ)線が見えるとかで、それから、妻が手作りをしてくれました。五〇歳を過ぎて着物を再び着始めた頃に、『着物好きな人には、愛用者が多い。』とかで?呉服屋さんでも奨められていましたが、買うと結構な値段が付けられていました。急に思い立って針を持ちました。今時、古い感じですが、変わり者?でも涼しくて楽ですね。笑い・・

 男の着物 夏の装い

 皆さんは、着物を愛用なさいますか?


十字架絣web3 男性の中でも根強い,着物ファンがいることは知っています。  でもどちらかと言いますと少数派ですね。私の両親は,和服が好きでした。亡くなった妻も,着物が好きで、私にけっこう、着物を作ってくれました。簡単な浴衣は母も,妻も手縫いをしてくれました。母の場合は当時は普通でした。妻は趣味で着物作りを覚えていました。

 結婚した昭和四〇年代頃、着物を着る男性が少し減り始める頃でしたね。私は、その頃からでも 毎日。和服を着ていたので、お茶とか花、和物の習い事をしているのか?指導する師匠ですかと良く聞かれました。 ただ、手作りの和服を着ると気持ちが落ちつき,リラックス出来ることが良かっただけ        (白生地の麻の着物 小地谷縮 十字絣)    ですね。

妻が亡くなり、襟替えとか洗濯が大変になり、また三〇才代には海外の仕事をしたために,余り着なくなりました。それでも、浴衣は持って行き、時々はきていました。外国人の知人は、その浴衣を欲しがりましたので,良く土産に持ってゆきました。帰国してからも余り着なくなっていました。

 エリヤ・ハウスのカウセラーとして有名なジョナサン・スタンフード先生の集会に、たまたま、しつけ糸の付いたままの,大島紬をおろして着ようと思い立ちました。バレインタインディーにあった集会でした。愛する人からの贈り物についての話があり、ふと気がつくと,その時着ていた大島紬について、色々思い出と妻も気持ちが込められていたことを思い出して、内面の癒し、心の癒しを、神様から受けました。

ユニオン教会-007













その大島紬を着て、奄美大島奄美市にミニストリーに出かけていました。帰りにその足で、アメリカの集会に行きました。カンサス・シティーの集会でアイホープ&モーニング・スター教会の合同カンファレンスでした。そこで色々の方から同じような預言と祝福を頂きました。 預言には聖書の御言葉からの吟味が必要です。でも着物への祝福と宣教にも役に立つように祝福を頂いたのです。それ以来、余計好んで着るようになりました。

着物関係のホームページから,着物好きの男性と知り合いました。彼とは数年間。メール交換をして着物の専門的な情報を教えてもらいました。又事故ののために足を悪くなさったとかで,『着物を着なくなったので、貰って下さい。』と沢山の着物をもらいました。中には、私が手も出せない高級な着物もありました。上の画像の黒の麻の羽織と白の塩沢上布です。他にも沢山もらい、驚きと感謝でした。預言を信じた祝福かも知れませんね。


浴衣w 004

隣の画像。青色地ノ着物は綿の単衣です。長襦袢を着れば、ちょっとした外出着にもなりますが、暑い日には素肌に羽織って浴衣風にしてきています。 着物は見た目よりは,涼しいです。蒸発する汗をコントロールして,又風が吹くと,すそから風が入りとても心地よい涼しさです。 沢山の男性が着物を着れば良いな〜と私は密かに思います。日本文化 伝統の装い衰退を防げるのにな〜なんても思うときもあり。沢山買う人がいれば安く成るかも?何ての魂胆もあるけれど・・無理ですね。笑い!

先日、大阪梅田阪急内の「男の着物、銀座もとじ店」で江戸小紋に関する講演会がありました。

単に着物を売るだけでなく、毎回素敵な話と伝統工芸の保存と普及に
努力しておられる 銀座もとじ店です。
店長の司会で始まり、小紋を染める型紙の彫り師である佐々木正明氏の説明会でもありました。
もとじ江戸小紋 001和紙を数枚重ねて貼り合わせて、とても細かな手作業で彫り込んで、反物を染めていくのです。伊勢の型紙とか、鈴鹿彫りとも言われています。

三重県の鈴鹿市で始まった手作業の染めなのに、なぜ江戸小紋と呼ばれるようになったかも説明を受けました。

江戸小紋型紙江戸の武士たちが好んで盛装の裃に、この小紋を愛用初めたので、江戸小紋と呼ばれるようになったようです。需要から女性物、反物も紬や縮緬などに広く使われるようになりました。小紋の源流というなら、古くは奈良の正倉院の宝物の中にも見られるそうですから驚きですね。

それにしても右手にある爪楊枝と比べても細かな彫りを手作業で行うのです。仕上げまで日数もかなり掛かり、彫り師も昔に比べ少なくなり、着物愛用者も少ないので、必然と値段も上がりますが、その行程を見てもうなずける値段です。でもおいそれと手が出ない私の懐でもありますが・・^^: 

もとじ江戸小紋 008佐々木氏の説明を受けながら話を聞きました。

1ミリ単位の立て縞も手作業で掘ることが出来ると言われ実演も見せて頂きました。その型紙を彫るための小刀も、ご本人の手作りだそうです。

もとじ江戸小紋 021日本には伝統工芸が沢山在りますね。 それらが伝承されて、日本の繊細な技術が生まれてきました。この彫りの伝承にも力を入れておられるとも話しておられました。

一人の人材を育てるためには長い時間がかかります。
でも今の日本は目先の結果を追求するあまり、派遣社員
パート社員の採用で、日本の技術知恵を受け継がせる事がおろそかに成ってきてる気がします。海外の安い人件費と販売力を付けるために
日本の知識財産<その企業の知識財産でもあるが>を気軽に手放す企業も多いですね。 販売促進のために、後進国、先進国と手を組む代償に知識を手放す企業が多い気がします。
江戸小紋 014
液晶技術、LED発光技術 多数の日本企業が培ってきた知識財産を一時的な儲けのために手放してきた気がします。
結果。韓国や中国にコピーされ結果的には、日本の経済が危ぶまれるようになってきた気もします。

今から自動車用の燃料電池、太陽光電池の革新的な技術知識財産が世界から狙われていますね。資源のない国の日本ですから、この知識財産を大切に守り育つ国になって欲しいですね。
海外では知識や仕事内容に価値がありますので、パート社員でも正社員と同じ賃金が払われます。 日本は年功に対して賃金がつきます。知識技術には賃金が中々払われませんね。

江戸小紋も素晴らしい繊細な彫りと染めがあって生まれてきます。
失われたくない日本の伝統工芸の技術ですね。ふとそんなことを思った日でした。作り手、販売。そしてそれらを買う方がいて、日本の伝統も守られます。
着物の知識を教えて下さりながらの呉服販売をする銀座もとじさんですが、数少ないお店ですね。

『家は知識によって建てられ、英知によって堅くされる』聖書箴言24章3節


商いも日本の将来も目先のことでなく 長い目で将来と世界を見て欲しいなとも思いました。政府の仕分けで、スパコン ロケット、将来の技術育成考慮をして欲しいなとも・・急ぎ過ぎて無駄な税金使いはは困るけれど・・

藍染めをしました。

ジャパン・ブルーと言われ海外ではとても人気のある藍染めです。けれど藍染め発祥の日本での人気は少ないです。ところが先日。大阪梅田 阪急男性館にある男の着物銀座もとじ店で、この藍染めに関わる文化と歴史、藍染めの着物の着こなしまでの幅広いセミナーに参加したときに、白生地に、私の好みに仕上がりを創造して絞りと折り込みのデザインで藍染めをすることが出来ました。LI もとじ藍染めのコピー

画像はその時の物です。如何しょうか!?

店長さんが藍染め液に浸して仕上げまでして下さいました。
藍染めをする店長

私の知る限りでは。銀座もとじ店では時々着物の産地、歴史、着こなしなどをセミナーとしておこなっています。単に着物を売るだけでなく日本文化である着物の多岐にわたって教えてもらえるお店ですね。

今回の藍染めの講師は、藍染めに惚れ込んだ店員の方々が、藍染め本場の四国まで職人さんに習いに行かれて講習と実践をして下さいました。もとじ藍染め 005のコピー

店員として販売する以上に、着物に惚れ込んだ方々が多いお店です。着物を売ることよりも、着物の知識を語ってアドバイスをして下さるので安心です。仕立て上がりの値段が分かり安いです。もとじ大阪店長 (2)

着物の着こなしにも色々相談も乗ってくれますね。前回の講習の時には『男の着物
大全』というHPを立ち上げておられる早坂さんを招いての着こなし話がありました。全て無料の講習会です。 そんな心意気が好きですね。 大阪もとじにて早坂さん


藍染めには優しい感じを持ちました。実際アトピーなど皮膚の弱い方には殺菌作用がありとてもよいそうです。藍染めの浴衣があれば良いな〜とも思いましたが・・夢は現実になると聖書は言いますので、将来のことですね。



藍染めの反物


産地の職人さんを育成したり、講習会をしたりして、単に着物を売ることに専念しないお店ですね。 
店主の もとじ さんの心意気は多分 日本の伝統、文化も含めて着物を販売している気がしました。
もとじ藍染め 007のコピー


着物が好きな私です。着物の洗い張りをお願いして以来、案内を頂いています。普段着物着て外出している男性は少ないですが、私の知らないところでも、男の着物好きが居られると思います。

もとじ藍染め 011のコピー


藍染めの綿は優しくて深い身があるな〜と思いました。

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