乞願と誓願の祈りと断食は、
神様が喜んでくださるために有効で良いと思います。
誓願は叶ったときにこれこれをします、捧げます。と言う約束を神様と取り交わします。
断食は病気を祈るとき必要かと思います。

聖書にも書いてあるように。“ただし、この種 のものは、 祈りと断食によらなければ 出て行きませ ん”(マタイの福音17:21) 私が病気の癒しの依頼を受けたときは最小限度でも断食して祈ります。
神様は自分の言葉に責任を持って答えてたり、行ってくださいます。
私の行った断食は最長40日でした。それを聞いた人は、断食なんて必要ないと・・しかし、その人の癒やしの祈りが応えられていない人でした。
エゼキエル36:22 「私が行うのはあながたがたのためではなく、あなた方が行った諸国の民であなた方は汚した私の聖なる名のためである。

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神様はご自身のために約束を実現します。私たちが固く信じ、神キリストに期待して悔い改める時です。
悔い改めはキリストの十字架を通して与えられています。すべてキリストを信じる者の恵みとして、神様はご自身を癒す神だと言ってモーゼにご自身を明かされました。
そのお言葉は生きていて、私たちにも信じるなら適用されます。十字架の悔い改めと救いを明確に確信して信じて居る人々への神様から栄光の恵みです。神の栄光を第一に願う人に現れる恵みです。

私たちの祈り神に神様はご自身の約束。ご自身の言葉を実行してくださると思います。祈ったら必ず答えられると癒されると期待して信じ続けることが必要じゃないでしょうか?
神様にとって難病は無いはず。と私は思います。神様、ご自身がイエス神だと宣言なさった言葉の責任を持ってくださいます。

その答えがいつ来るかは分かりませんけど、期待して待つ間に、私たちがなすべき事、必要なこと、信仰を育てることなどを教えてくださると思います。
私は母の救いとアルツハイマー記憶喪失のために、癒やしより先に、神の栄光と救いを求めました。結果が分かり癒やされるまで4年、それから母は自分の足で歩けるようにもなり8ヶ月掛かりました。その後、洗礼を受け、私は教えていなかったのに、聖霊の満たしと異言も受けました。

神に期待することは重要です。私が14才でアーメンの意味も知らないのに、この神様、キリストに期待して治ったらいいなと思いながら
アーメンと言っただけなのに扁桃腺の手術後の高熱がでない癒やしを受けました。それは切っ掛けで教会に行き救われました。

信仰が強いか?弱いかを強調なさる人もおられますが、神は答える時期を見計らいます。
わざと遅れて返事なさった、癒やしに出掛けられた、そしてキリストが答えた例も聖書の中には書かれております。ラザロが死にかけているとの使いが来たときに神の栄光が現れるために遅れて行かれました。マリアの訴えに対して涙を流されたイエス様です。

あなたが観て自分より信仰が無いとか、弱いとかを責めないで下さい。むしろ
神への信頼と期待が高まるようにと、あなたがその友人、隣人のために涙を持ってとりなして祈ってあげて下さいませんか!? 神が定められたときまで・・その時には答えられたり、癒やされる神様です。ご自身の言葉の責任を取って下さるイエス様ですから・・。

SNSで、「祈ってください、」「はい。祈ります。」は単なる挨拶ではなく、私たちの信仰も試されると思います。はい祈りますと受け取った場合は、祈りますといった人は最後まで責任持って、癒しの結果が分かるまで祈る必要が、私たちにはあると思います。

神に期待する人に対して報いを与えられます。私たちの決して人間的な尺度ではありません。人間的な尺度で癒やしを否定しないで下さい。

神が子供を与えると言われたのに、アブラハムにイシュマエル!
それは否定なさった神、そしてイサクが生まれるまで25年掛かりました。生まれて安心!?そのイサクを犠牲として捧げろと言われた神です。 死からも蘇ると信じたアブラハム?それに報いを与えられた神の計画と私たちの態度を見極められます。けれど彼の行動、行いより先に認められたのは、アブラハムが何か素晴らしいことをしたからでもありませんね。単純に、神が語られた言葉を信じたからでした。

創世記15:5 〜6 『そして、彼を外に連れ出して仰せられた。「さあ、天を見上げなさい。星を数えることができるなら、それを数えなさい。」さらに仰せられた。「あなたの子孫はこのようになる。」彼は主を信じた。主はそれを彼の義と認められた。』と聖書に書いて有ります。 先にアブラハムは子供が居ないことを神に訴えた現実があります。
けれど、その現実より未来の神の言葉の約束を単純に行いで無く信じたので、神はアブラハムを義とされました。

神の栄光を求める人に、神の考え方で必ず答えられます。私たちには死に到るまでの忠実さを求めておられる神様 父なる神です。今はその忠実さに欠けていると自覚しても大丈夫です。聖霊が導き示して下さいます。詩篇23の思い出して下さい。『あなたの鞭と杖が慰めです。』と告白する者に聖霊様が導き案内し歩むべき道、方向を示してくださいます。

私がよく癒しがあると主張すると反対者がいます。その反対者の多くの意見は信仰がないことを責められそうと、、。だから癒されないと勘違いしてしまう人が多い気がします。私たちの最大の癒しは永遠の命です。この世にいる限り病はついてまわります。何故でしょうか?それは老化があるからです。人の齢は120歳までと神様が決めておられます。
それまで長生きして神の栄光を少しでも表したいと思う人に健康を与えられる気がします。

神様の栄光を、神様の考え方を優先する様に第一に願わないで、自分の都合で様々な願いをする人に、神様はどんな気持ちだろうかとふと考えてしまう。
それでも神様はご自身の栄光のために、私たちの気づきを与えてくださる気がします。それら気づきが私にとっては癒しであり信仰の進め方や主イエス、父なる神、聖霊の捉え方、見つめ方した。神は必ず、私たちにどんなことがあっても省みて癒されて、ご自身の言葉の責任をご自身で取られ果たされて、その栄光を表されると私は信じております。


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