私は強く、叶えなれたい願望的な祈りは、

神にだけに祈る。人に、公には全てを言わないようにします。山が動くと信じて祈ります。
奥まった部屋で一人神と向き合う事の大切さが有ります。

「奥まった自分の部屋に入って戸を閉め、 隠れたところにおられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父が報いてくださる」マタイ6:6

11:22 イエスは答えて言われた。「神を信じなさい。 11:23 まことに、あなたがたに告げます。だれでも、この山に向かって、『動いて、海に入れ』と言って、心の中で疑わず、ただ、自分の言ったとおりになると信じるなら、そのとおりになります。マルコ11章22〜25節 信じて山が動く=神様が定められた時もありますので、忍耐して待つ忍耐もひつようなときがあります
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そんな中。限られた人、信頼できる方のみには、共同の祈りを助けを求めて一緒に祈ります。 自分がしている 行っている事は 余り言わない事が多いかも知れませんねー。自身の功績全てを右手を左手に伝えない自警します。

イエス様は「右の手のすることを左の手に知らせてはならない」と言われました。施しとか自分が行った功績などなど、。マタイの福音書6章2〜4節
「私はこんな宣教を事をしました。こんな事で奉仕しました。」祈りの助けを求めるのでは無く、誰か人に認められたい願望が含まれていないかを吟味しないといけない気がします。人は一般的他者から認められたい願望は大なり小なり持っております。

偽善的「施し」を批判する一方で、イエス様は人々に対して、神を意識する生き方を勧めておられます。「あなたは施しをするとき、右の手のしていることを左の手にも知られないようにしなさい。」(3節)。この言葉の真意は、常に共同で作業をする右手と左手を例にあげることによって、その右手のしていることを左手に知らせないほどに、自分でも「私は善行をしているんだ」と意識しないことなのです。実際問題として不可能と思われることですが、このような勧めを通して、イエス様は、私たちの心を神を意識して生きることに向けさせようとしてくださっているのです。

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