今朝、聖書を読みながら、再確認をしました。
その聖書箇所は以下の通りです。

ヨハネ11:41 そこで、彼らは石を取りのけた。イエスは目を上げて、言われた。「父よ。わたしの願いを聞いてくださったことを感謝いたします。
11:42 わたしは、あなたがいつもわたしの願いを聞いてくださることを知っておりました。しかしわたしは、回りにいる群衆のために、この人々が、あなたがわたしをお遣わしになったことを信じるようになるために、こう申したのです。」

dsc_0250

主キリストが死人を・・ラザロを蘇らせる時の祈りです。
第一に神の栄光のために願った事、確信 有る願いは既に叶えられています。キリストの視点は父なり神の栄光のためにが全てでした。
祈りが答えられたら、それらを知った人々が神の崇めて、父なる神、キリスト、聖霊を信じる為になるように祈られました。
私たちは第一に福音を伝えるとき、祈りが答えられます。

ダウンロード (5)

けれども、私たちの願いとお祈りにもお答えなさいます。私たちも神の国の栄光を表す事が第一の祈りと願いです。併せて個人的な願いに通じている気がします。私利私欲からの願いは、神は避けられます。

願ったのなら最後まで、忍耐は不可欠。祈ったのなら答えられます。

マルコ 11:24 「だからあなたがたに言うのです。祈って求めるものは何でも、すでに受けたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになります。」

叶えられる 叶えられたと信じ、忍耐して期待して待つ信仰です。アブラハムはイサクを得るまでの25年間。忍耐と信仰がありました。ヤコブの息子ヨハネもエジプトの牢獄で信仰と性格とが錬られながら、その時を待ちました。ダビデも、家族から忘れられた存在、サウル王からも命を狙われながら、神の時を待ちました。

神に対して、信心に対しての希望を信仰と愛は大切です。

000000000148

kamihanoanikataru