ヨハネの福音書を通読中 ふと思い出した。
ピリポはイエスに答えた。「めいめいが少しずつ取るにしても、200デナリ{最低、約100万円相当}のパンでは足りません。」ヨハネ6:7から主イエス・キリストはピリポを試したように、私たちを試すときも有るのでは無いだろうか?
不可能 出来ないと思うか? 神イエス様なら出来るか!どちらを、私たちは選ぶの?選択肢がある。
小さなパン屑も集めたら大量でしたね。
小さな神の恵みを粗末にしていたら いざという時には、神は改めて与えて下さるだろかなぁ? て 思いました。
仕切りに 反省 悔い改め無くてはて思った次第です。
聖書の通貨
レプタ =約 40円 コドラント =約 80円
アサリオン =約 350円 デナリ=約 5000円〜8000円 労務者の一日の労賃 時給900円の8時間 =7200円
ミナ(ムナ) =約 50万円 タラント =約3.000万円
ローマ兵の年俸が300デナリ。労務者の一日の労賃が1デナリでした(マタイ20章2) カイザルの肖像と銘が刻印されていました。(マタイ22章19-21) 1 デナリ 平均日給で計算しました。
日本人平均値時期は900円から1、000円 8時間 が ローマ兵の日給 1デナリとしての計算をしました。
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