神は私たち子供に愛を

惜しみなく注いでくださいます。 しかし、神の愛の存在が大き過ぎて 私たち子供(信じ救われた者は神の子供としての特権も与えれています。)の尺度を超えて、神の考えが大きいから 私達の思量を超えてしまうからです。 

覚えなくてはならない事は、神は惜しみなく与える愛を注いでくださいます。

惜しみなく与えると言う言葉は ヘブル語で一言で表すならば、חֵפֶץ ヘーフェツ 愛の形なのです。ソロモンは、シバの女王の要求に惜しみなく何でも聞いて叶えました。
此所で使われる惜しみない要求にこたえる言葉にחֵפֶץ ヘーフェツが使われています。
神の愛の大きさと意味合いが日本語語に訳されたときに、原語本来に隠された神の愛の大きさや微妙な愛の形が隠れたような気がします。
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詩112:9 彼は貧しい人々に惜しみなく分け与えた。彼の義は永遠に堅く立つ。その角は栄光のうちに高く上げられる。(神が私たちに愛を注いで下さり、御子の栄光につながることを想っておられるのでは無いでしょうか?

愛の形 NO1
神の愛は、人が神になにかを願って求めることに対して、神が喜んで良いものを惜しみなく与えようとする愛です。そもそも天の父はその子どもたちに良いものを惜しみなく与えることを何よりも喜びとされる神です。

人が自分の欲望や私利私欲のために求めるものに対してではなく、神のみこころにかなって願い、求められることに対しては、神は黙っておられない方なのです。与えることを何よりも喜びとされる神、この神の惜しみなく与えようとする愛こそ{חֵפֶץ ヘーフェツ} 愛の形なのです。חֵפֶץ ヘーフェツの意味合いには    חיבה   愛情深い  נדיב  惜しみない  אהבה מוגבלת   限度の無い愛、などの意味が含まれます。


惜しみない愛、その例としての言葉として、次の聖書箇所があります。

   イエス様は「自分の子どもがパンをくださいと言うときに、だれが石を与えるでしょうか。子どもが魚をくださいと言うのに、だれが蛇をあたえるでしょう。そんな親はいません。たとえ悪い者ではあっても、自分の子どもには良い物を与えるのです。とすれば、なおのこと、天におられるあなたがたの父が、どうして、求める者たちに良いものをくださらないことがありましょう。必ず、求めるならば、良いものを下さるのです。だから、「求めつづけなさい。そうすれば(必ず)与えられます。捜し続けなさい。そうすれば、必ず見つかります。たたき続けなさい。そうすれば必ず開かれます。」と言われました。
    
シバの女王の願い、知恵問答、要求に、願いに何でもソロモンは応え与えました。この箇所で与えたという言葉にחֵפֶץ ヘーフェツが使われました。

それど、その時を確かめる。待つ忍耐も必要です。 ソロモンは、シバの女王に出会ってから 様々な願いには 全てを直ぐには応えていません。順序があり、彼女が納得する時間を設けました。

親の愛は子供に理解をさせたい時もあります。むやみやたらに物を与えないとき、それも愛の考え方 愛の与え方 学ばせる 悟らせることも愛では無いでしょうか・? 料理を手伝いたい!子供にいきなり包丁を持たせないで、包丁の使い方をシッカリ教える。怪我をさせない思いやり 愛情もあります。
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 @あなたの願い 祈りは第一には御子の栄光を表す結果となる願いでしょうか?
   
またわたしは、あなたがたがわたしの名によって求めることは何でも、それをしましょう。父が子によって栄光をお受けになるためです。あなたがたが、わたしの名によって何かをわたしに求めるなら、わたしはそれをしましょう。」ヨハネ14:13〜14

その日には、あなたがたはわたしの名によって求めるのです。・・・それはあなたがたがわたしを愛し、また、わたしを神から出て来た者と信じたので、父ご自身があなたがたを愛しておられるからです。」ヨハネ16:26〜27

キリスト以外の聖人の執り成しで祈る事は、父なる神の本意では有りません!キリストの名前を通して祈る、これが天の父なる神の本意です。
 
 癒やされること、隣人が救われることは御子の栄光になります。祈り続けるとき、時間をかけ忍耐しても祈る、与えられたとき 叶えられたとき、すんなり答えがあったときよりも喜びが倍増します。

キリストの十字架を通して恵みを、私たちが信じる者に対して惜しみなく注いで下さいます。

詩112:9 彼は貧しい人々に惜しみなく分け与えた。彼の義は永遠に堅く立つ。その角は栄光のうちに高く上げられる。


この記事を読んで下さった、あなたの大きな祝福と神の愛 חֵפֶץ ヘーフェツが有りますように。
  こちらにも書いています。 命のパン 命の水のブログをリンクしています。