前回に続いて

祈りとデボーション(聖書を読み解き 黙想時。)に浮かんだ言葉の第二集です。

私から離れて住んでおられ、私が癒やしの祈りのために出掛けて、直接祈りに出掛けられないときに、神様にどうしたらよいのかと祈っていたら、キリストの頃にも触れて癒やされた事と、信仰を働かせた人が、パウロの前掛けに触れて、キリストの衣に触れてたように癒やされると信じたことが聖書に書かれております。その事から過去多くの人に、手拭い、ハンカチに手を置いて祈ってから、共に祈っていることを伝えるミニストリーを始めています。
その中から多数の方が癒やされて神を讃えます。

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イエス様はいつも謙遜でした。父なる神だけがあがめれるように心配っておられました。
自分の信仰を誇らず、癒やされて事も誇らず、父なる神のみ業を讃え讃美した為たいと思ったときに、上記の言葉が浮かびました。  
癒やされて時だけ感謝するのでは無く、一生、心刻んで神を讃えてます。自分の信仰を誇ったら、また病が戻ってきます。病の不安をキリストの十字架にも完全に付けたい者です。

         

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前記のスクリーンショットは祈っても答えが無い、ビジョンの達成が中々出来ない。中々癒やされないときに、もう一度。神に立ち返って見つめるとき、神は優しく語り教えて下さる。

下記は、神は私たちとの会話をなさりたいと思いませんか?エデンでは神との会話と園の管理を任せられたのだと思った時に浮かんだ言葉。

私たちは祈ります、祈ったら直ぐに答えが来ると思います。神様は会話を楽しみ、私たちの本心を確かめられたいのでは無いだろうか? 直ぐに諦めて祈りを止めたとしたら、それは神を心から信頼していることになるのであろうか?愛と希望と信仰は神から流れてきます。

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また優先順位は神の国のために、キリストの栄光が、地上においても崇められる為に第一に祈りますね。 次は隣人の求めが答えれる為に とりなしの祈りをします。
次に自分の願いを祈ります。 祈りば答えられると信じ切り、忍耐して、神が定めた時 答えられる時を待ちます。 死ぬまで答えなかったら、天国でその訳を聞くことが出来ます。

 自分から預言者だとか、教師だ、牧師だと言わないようにしています。
周囲の人が その人を観て、それを認めるか否かです。

 それは誰でも聖霊によらなくては出来ません。今まで普通の人だった人が農夫、牧者が聖霊により、神に呼ばれた事が聖書にも書かれています。預言の賜物を持つ人は、預言を始める前に訓練と断食して求める事もイエス様は語られました。{死海文書 クムラカンのような聖書を学び訓練を受ける事 訓練学校を指しておられたのでは無いでしょうか?}旧約の予言者は多くは断食をしています。
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私たちもいつ呼ばれても準備 備え、聖書の学びをしておきたいですね。
先日、ご主人を亡くされた方が、神学校で学びを始められて素晴らしいと思いました。
「私は平信徒ですから」と聞くときもあります。けれど神が決め使命を与えるのです、平信徒ですからは、神から観たら言い訳になります。いつその使命が来ても良いように準備 備え要ります。農夫、羊飼いが突然 呼ばれたのです。
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 何事も祈りから始まりませんか?癒やしの祈り!祈っても駄目とは思わずに、根気よく何年でも 。異言の祈りも 聖霊の満たしも 日本のリバイバルも 何年でも神の前に祈るときに 神はその会話 祈りから 神は振り向いて下さると信じ思ったときの言葉です。
           

*いつも心の風景から、聖書の愛と福音からの癒やしの記事をご覧下さり有難うごさいます。読まれた後。もし宜しければ、下記の投票のボタン 各項目バナーを押して下さいませんか? 未だキリストを知らない人々にも 目が止まりやすくなる為です。感謝申しあげます。 ブログランキング・にほんブログ村へ
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