個人的預言についての質問がありました。

そこで、現代の個人預言は信仰生活を円滑に進める為の 神からの願いを含めて信仰への指針 アドバイスが多い気がします。

個人預言はアメリカ カルフォニア ロスアンゼルスにあったアズサストリート、そこにあった教会から始まったペンテコステ運動の中から賜物としての個人預言の復活したのですが、それら事を否定する方も多いです。
しかしながら 神を常に意識して求めている人には 良いアドバイス 祝福を受けるきっかけになります。個人預言は聖霊によってあくまでも個人的なことが多く、旧約時代と黙示録の預言は、神の意志を公に伝える事ですから、公全ての人共通する預言とは一線を画し、あくまでも個人的なことで、公の聖書預言とは性格というか性質が違います。

あらゆる賜物と預言する 人は。その賜物を意識して 祈り 訓練され 周囲から評価 認めて頂く必要があります。自分から預言者だと言い切って 預言者扱いを望む人には要注意だと思います!

預言するには事前に周りから認める信仰生活 品性 謙虚さが必要!キリストの香りが全くしないならば要注意です。 人の穴 欠点ばかりを 預言だと言う人も注意です。 本人以外に 欠点や人の穴を知った周りから認めて貰いたい心理が働くのです。
個人預言は教会の徳を貯めるために、人の 信仰の徳を高めることに用いられますね。賜物全般に対しても教会の徳を高めることが出来ないなら、個人的なパホーマンスです。

汽灰14:3 〜4ところが預言する者は、徳を高め、勧めをなし、慰めを与えるために、人に向かって話します。異言を話す者は自分の徳を高めますが、預言する者は教会の徳を高めます。
汽灰 14:12 あなたがたの場合も同様です。あなたがたは御霊の賜物を熱心に求めているのですから、教会の徳を高めるために、それが豊かに与えられるよう、熱心に求めなさい。

ローマ 15:2 私たちはひとりひとり、隣人を喜ばせ、その徳を高め、その人の益となるようにすべきです。

賜物の中でよく言われている異言に関して!
異言は絶対教理なのか?賜物なのか?

力強い宣教活動する為に、使徒時代のように謙虚な聖霊の働きを求め祈り人々が20世紀に起こされて、先に書いているアメリカ アズサストリートに有った教会に 聖霊が著しく下りました。
その場にいた教会会員が異言を話し始め 癒しがあり、預言を語り出す人が現れました! それが今日のペンテコステ教会の元になりました。
そこで異言は聖霊の満たしを受けた現れだと定義付ける人が多くなりました!
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けれど何年も信仰生活をしても異言が語れない人も中には居ます。語れない人から言われてることは様々な賜物が有るから教理では無いだろうと言います。
聖霊の内住があるから充分だとも言われる方もおられます。

 異言の異も教えず、何も知らなかった私の母が洗礼後、賛美の歌を 88歳だった母が嬉しくて、神様に心から感謝、讃美しているとき、歌う中で異言を語り始めました!
母親の異言を語った事から 神を常に意識して行く 感謝 賛美する心の方が、教理だと、いや違うと揉めるより 論争するより 心を合わせ ひたすら感謝 讃美する重要だと母が単純に救いを知り洗礼を受けて喜んで居る姿を見ながら思い知りました! 
心から神の救いを信じ切って感謝と讃美する人に与えられる賜物 異言は、直接 神の言葉で祈り讃美できる事が異言では?と思ったりもします。解き明かしが出来る異言を公として、神との霊的な会話の異言と区別するところもあります。教会全体で異言で祈りましょうと言うときは祈れば良いと思い、個人的に小声で異言を用いて公の礼拝の中で祈る事も素敵だと思います。
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個人預言は個人が祝福を受けますが、預言を求め、あちこちの集会に行く 出掛けるよりは異言の方が、聖霊を介して直接神に祈れて良い気もします。けれどあなたが所属している教会の牧師から祝福を祈って頂く方が個人預言より有益です。牧師の祈り 教会会員同士の心合わせて。二人〜三人が集まって執り成し合う祈りも、預言以上の祝福に成り代わります。

異言も預言も その他の様々な賜物を意識して求める事 それらを通じて教会の徳を高め合う 教会同士が協力しあって宣教する事が大切な気がします。賜物は聖霊からと日頃の関心事、練達と訓練が伴います。

数年間も祈り続けて、異言を語れないが諦めず、聖霊の意のまま 聖霊を歓迎しつつ祈り求めても良いのです。
先に異言を語った事のある人は異言を求めている隣人の為に、とりなして差し上げてください。教理の違いを指摘し合って争うより、また異言が語れないことから聖霊に満たされていないような烙印を押すようなことは避けて頂きたいですね。神は必要なときに与えられたり、取り去られたり出来る神様です。異言、賜物に限らず大切なのは隣人を思いやることではないでしょうか?

アズサ・ストリート・リバイバル(Azusa Street Revival)は、1906年にアメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルスアズサ通りで起こった聖霊運動のリバイバルである。ペンテコステ運動の発祥になった。

カンザス州のトピーカにあるベテル聖書学校で行われた、1900年末から新年に開催された祈祷会で、使徒時代の現実をもとめて祈った。すると指導者のチャールズ・パーハムとほとんどの生徒が聖霊のバプテスマを経験し、異言を語った。}

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