私たちクリスチャンは、

よく御心のままにと言います。

神が決めた通りになりますようにと祈ります。前記では御子このままにと云うからには、勝手気ままに。神が決めたことに従う事が決して御心のままではないのでは?と、自分からの意志を捧げる謙信の心が必要ではと申しあげました。

では神が一旦決められた事は決して変える事。変更が出来ないのでしょうか?
いいえ!神が御心で決定なさっても、私たちの熱心が、神に届くとき、神は憐れんで下さり恵みを与え、この神の心を変更して下さる時があります。

その根拠として、私はユダヤの王 ヒゼキア王と神様の関係を見てはいつも祈ります。
ヒゼキア王は宗教改革やアッシリアと戦いました。エルサレムに地下水道を作り治水事業も納めました。
ところがある日。ヒゼキヤは腫物による死の病に冒されたようです。預言者イザヤが訪ねて来て、直らない病気のゆえに、「あなたの家を整理せよ」と命じます。しかし、ヒゼキヤは主に涙ながらに祈ります。その祈りはこうです。
粁鷁20:3
ああ、主よ。どうか思い出してください。私が、まことを尽くし、全き心をもって、あなたの御前に歩み、あなたがよいと見られることを行ってきたことを。

HezekiahsPrayer

彼、ヒゼキア王の熱心な祈り 彼の誠実な心が 神に届き 御心を代えられ 更に15年 長生きさせられました。
祈りの中で、この言葉が使われています。「あなたの御前に歩み」この歩みはと云う言葉は、自ら、主体的に、自発的に主の前を歩んできたという意味です。かつて主はアブラハムに対して「あなたはわたしの前を歩み、全き者であれ」と語られましたが、そのときにも使われている「歩め」なのです。さらに言うなら、エノクもノアも「神とともに歩んだ」(創世記5:24,6:9)と記録されていますが、そこでも同じ言葉なのです。

神が心を変えるには、普段から誠実に歩む信仰と態度 行動が必要です。

→  ヒゼキア王の考古学的遺品の発見   

思いつきで祈った事には、神は振り向くでしょうか? 普段から 神との関係を深めて誠実な歩み 信仰生活をする必要がありませんか?私には無理と諦める必要はありませんね。
聖霊が私たちを助け導かれる時代に、私たちは生きています。
聖霊はキリストご自身の執り成しによって、私たちの側に来て下さいます。

弱い信仰だと嘆くこと無く、私は罪人ですと毎日、繰り返すこと無く。
聖霊は、ペンテコステの日以来、
聖人や人の執り成しでは無く{一部の教派は執り成しが必要と決めています} 直接、私たちが個人的にキリストに祈る必要があります。
キリストは 聖人に執り成しを頼むよりは 2〜3人集まってに祈り合う事を勧めて下さいました。{マタイ18:20} 

ラザロの妹は、直接。キリストに訴えたときに、イエス玉は涙を流されました。 
このような深い関係をイエス様との間に築き上げようではありませんか!?

この記事を読まれた方にキリストの恵みと祝福がありますように。
そして、新たな気持ちから
「あなたの御前に歩み」ますと告白して 
父なる神の御前にでませんか?
*いつも心の風景から、聖書の愛と福音からの癒やしの記事をご覧下さり有難うごさいます。読まれた後。もし宜しければ、下記の投票のボタン 各項目バナーを押して下さいませんか? 未だキリストを知らない人々にも 目が止まりやすくなる為です。感謝申しあげます。 ブログランキング・にほんブログ村へ
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