先日。癌の癒やしを
祈りに京丹後迄 行きました。 癒やしを祈るときには、私自身や祈る相手の人が癒された姿を想像する 夢をしっかりと想い描きます。
2017-04-22_011308

根底には救われた感謝 喜び 賛美の言葉が湧いて来ます。次には癒された姿を想い描き 賛美します。賛美する中には主キリストの栄光が現れます。
大切な事は信頼して待ち続ける気持ちかなぁ〜! 主の祈りでも祈るように 『御心が現れ 栄光が在りますように祈ります。』
一般的に祈った! 結果が直ぐに無い! 諦めると言う順番になりがちですが 、神の無言でも その先を夢 信頼を寄せていると 神は「 そうか、そこまで 私を信頼 期待しているのか!?」と思われて 腰を上げる 振り返って下さるのではないかなぁ。 

わたし自身が癌でした。癒されました体験者ですね!

ヨハネ5:5 〜6 そこに、三十八年もの間、病気にかかっている人がいた。イエスは彼が伏せっているのを見、それがもう長い間のことなのを知って、彼に言われた。「よくなりたいか。」 

この箇所からは わたしたちの信仰による意思表示が求められている気がします。キリストは出来るのですが あえて聞きました。

マルコ 5:28 「お着物にさわることでもできれば、きっと直る」と考えていたからである。
弟子や群衆に阻害されそうな状況 身の上だと知っても キリストに近づこうとしました。{レビ記などでは、女性の出血時は神殿や人混みの出てはいけない取り決め 律法がありました。}

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病になると治らないのでは無いかと不安になります。
身体に痛みがあると一層、不安になり直らないと思ってしまい易い。

キリストの十字架、打たれた傷で、私たちが癒やされた!と聖書では過去形で書いてありますね。
イザヤ53:5 しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。
キリストによって病が過去になったと告白し、回復を先取りして告白讃美します。今日の痛みは仮の姿だと告白して明日は絶対直ると告白 信じています。

1人で悩まず、祈り助け合う人と見つけると善いです。キリストは心合わせて私たちが祈るところに聖霊を使わして下さり、あらゆる祈りと問題を共有して下さいます。
マタイ18:20 「ふたりでも三人でも、わたしの名において集まる所には、わたしもその中にいるからです。
心では絶対的な癒やし主のキリストを第一にして、医療機関の治療も受けます。良い医師と良き病院施設、医師の知識や医療技術の良いところに導かれるようにも祈ります。

長年祈っている方が多数がおられます。差し迫る痛み、苦痛から上を見上げることが困難になりますが、寄り添って祈りあいます。

大阪羽曳野にも行きました。{大きな古墳があります。}
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祈りが答えられないと精神的に不安定になりやすいです。それでも神はおられ、奇跡も起こります。目に見える結果が無くても、諦めないで祈り合う事から聖霊の慰めがあります。
神からの励ましと愛を受けます。

皆様の祝福を祈ります。
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*いつも心の風景から、聖書の愛と福音からの癒やしの記事をご覧下さり有難うごさいます。読まれた後。もし宜しければ、下記の投票のボタン 各項目バナーを押して下さいませんか? 未だキリストを知らない人々にも 目が止まりやすくなる為です。感謝申しあげます。 ブログランキング・にほんブログ村へ
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