一年ぶりに歯の治療に行きました。

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詩 103:2 わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。

前歯の裏に虫歯が出来てしまいました。微妙に物が挟まる位の虫歯です。
近所の歯医者に行きました。何度かここで治療を受けています。 いつも出かけると早めの治療をテキパキとして下さいます。

「20年前に治療したのですが,再度、治療が必要ですか?」と聞きました。
今回とは違う、奥歯にも物が挟まるようになってきたので治療が必要なのかを、初めて聞いてきました。

歯医者の先生は、『加齢によって歯茎が痩せて来たからですね。義歯が歯茎を接していると、歯肉炎の原因になるのでワザと隙間を空けて義理を作るので完璧な治療がしてあります。』 と言われた。
改めて,特別に神様に感謝しました。この奥歯には神様の手が入ったのです。
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 神学生の頃に、この奥歯が痛み2本。抜歯しました。その時の治療費が不足して困りました。数日間。祈っていたら、ある方からの献金が届きました。それで、不足していた治療費を支払いましたが、肝心の奥歯の治療が中断しなくてはいけませんでした。

 暫くして、カナダ トロントからジョン・キャロル アーノット牧師の集会が岐阜市で開催されて,その集会の中で癒やしを祈る運びとなりました。
その時に、歯のために祈られました。その頃。アルゼンチンなどで歯の癒やしのニュースを伝え聞いていました。 色々の福音のニュース。癒されたニュースを聞くと我が身や身辺周囲でも起きないかと期待をしている私です。

アーノット牧師の祈りの後に、司会者の促しから,歯の中の確認をと勧められました。隣りに居られた方から、『あなたの口の中に変化がありましたか?」 「いや特に!?そう言えば・・口の中が熱く感じてかも!?」 と答えると 口の中をあけるように言われました。
『あなたの奥歯が光っている』と言われ、トイレに駆け込んで鏡で確認して驚きました。

奥歯4本の上をつなげて仮に止めて,お金が用意できたら、医師から次回に奥歯に被せると言われていたのです。その歯が真新しい金属で治療に必要な奥歯3本が綺麗に包まれていました。
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あれから20年。今回は医者に再度。確認して神さまを讃えます。
癒やしには色々形があります。何故?癒やされる?何故 癒やされない? 私は何時も様々な期待を、父なる神さま・キリスト様・そして聖霊様に何時も期待してしています。

癒やしには何の意味があるのだと否定される事も様々。異端呼ばわりも希に聞きますが、キリスト御名において聖別しての祈りには、悪霊は入り込めません。
あるとしたら、神さまのせいでは無くて、癒やされて後の人々の考えが変わることが希に在る事。信仰の高ぶりが間違いを起こすことがある気もします。

私は良い言葉で、神さまの良い事だけを考えています。感謝しています。 
叶えられていないこと、答えられていない事は、将来に答えがあると期待しています。
隣人に起きたこと、神の恵みを聞いたならば、それなら私にも同じ事があると期待します。

私の癌から回復。他に、癒やしの祈りをし癒やされた沢山の人々を覚えて感謝し讃美しています。
「詩 103:2 わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。」
神がして下さったことは証ししていきたいです。黙ることは出来ない気持は下記の聖書の言葉からも・・
ルカ 19:40 イエスは答えて言われた。「わたしは、あなたがたに言います。もしこの人たちが黙れば、石が叫びます。」

私たちの願いが 祈りが答えられなくても 癒やされなくても、父なる神を聖なる方と聖別し、崇めて神の喜びにいつも満たされている事もそれは重要です。

キリストの十字架は救いをもたらします。これが第一ですね。 ハッキリした救い 永遠の確信を持つことが第一ですね。これが無いのに、肉体の癒やしは空しいのでは無いでしょうか?
いつも神と出会っていることがもって大切だと思いませんか? この方が身体の癒やしより重要だと私は思います。