私たちクリスチャンは

父なる神 御子キリスト そして聖霊の神を三位一体と信じています。
前記にはその基本的な考え方とイメージして解説 3つの人格の相互関係を説明しました。

さて、この考え方はいつ頃から定まり、神学の基本となったのでしょうか?
聖書の中には直接、三位一体とした言葉は使用されてはいませんが、しかし聖書を注意していれば・・
創 1:26 神は仰せられた。「さあ人を造ろう。われわれのかたちとして、われわれに似せて。彼らが、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地をはうすべてのものを支配するように。」神は{われわれのかたちとして}と複数形表記。
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また。
イザヤ 6:8 私は、「だれを遣わそう。だれが、われわれのために行くだろう」と言っておられる主の声を聞いたので、言った。「ここに、私がおります。私を遣わしてください。」
複数形を使用されています。しかし、旧約聖書では神の名前、神がご自身で、ご自分を示す名前 言葉としては神の単一性がはっきりと啓示されています。

例えば、アブラハムに現れて 全能の神 エル・シャダイと名乗られました。モーゼには{ご自身を在って在る者}エホバ [ヤハウェ]と単一性的な複数形で名乗られました。
発音的 翻訳的問題から現代の日本語聖書ではエホバ{複数形の固有名詞や代名詞、単一性的な複数形}は 主 という言葉が 神を表す言葉と使用されています。アブラハムは主と呼びかけて 複数形の固有名詞や代名詞で 神を呼んでいます。

神がアブラハムを訪ねます。その時には、神は3人のように描かれました。
創世記 18:2 彼が目を上げて見ると、三人の人が彼に向かって立っていた。彼は、見るなり、彼らを迎えるために天幕の入口から走って行き、地にひれ伏して礼をした。
 18:3 そして言った。「ご主人。お気に召すなら、どうか、あなたのしもべのところを素通りなさらないでください。

アブラハムは
三人の人に対してと単数形で呼びかけています。
しかし、この箇所の主は
複数形の固有名詞、あるいは代名詞、単一性的な複数形なのです。{古代ユダヤ語から現代語 日本語表記になるための苦心もあります。}

アブラハムに訪れた神は、ソドムに居たロトを訪ねています。
創世記19:1 そのふたりの御使いは夕暮れにソドムに着いた。ロトはソドムの門のところにすわっていた。ロトは彼らを見るなり、立ち上がって彼らを迎え、顔を地につけて伏し拝んだ。ロトはご主人 と(エホバ複数形)で呼びかけています。

神はイサクの犠牲を止めさせたアブラハムに対して ご自身のことを主(翻訳上) エホバ【YHWH】と言われた、言わせた!=
主の御告げ
創 22:16 仰せられた。「これは【主】の御告げである。わたしは自分にかけて誓う。あなたが、このことをなし、あなたの子、あなたのひとり子を惜しまなかったから、」
わたしは自分=複数形の固有名詞

その後 アブラハムは アドナイ イルエと言いました。 
このアドナイ 神の名前 名は複数形 
エロヒムは真の神として使用されるばあいの動詞は単数形です。


根本的には 神の名前を直接、語る 伝えることはお恐れ多いと考えたユダヤ人 ユダヤ語は荘厳さをしめす言葉を選んで 直接神の名前を口にすることを避けたのです。
神の名前を単数形、複数形の固有名詞と代名詞で表現してきました。
使い分けとしては 名前は単数形、存在は複数形の固有名詞を使いました。

創世記 18:2 に有るように 3人の人は ユダヤ語 旧約聖書では暗黙的に 
父 御子 聖霊を指して一つの神である いるのです。

 続く
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