神の言葉の議事録は聖書です

 聖書は、実際に起きたことの議事録のようです。もし私は一番最初にあげたい義理録を見つめて考えたいことは、神の言葉通りに私たちの身に起きることです。
あなたに誰かが、あなたに将来このような事が起きる。」と 突然!云われたとしたら、それが本当に起きるかは半信半疑になりませんか?
私たちに、告げられた事と過去の記録照らし合わせてみませんか?
緑の森の聖書ミカエル小栗ー

そんなことが、1人の女性に天使が現れて告げたことは、『神の力で、あなたは子供を産みます。』 その時の動揺は計り知れなかったと思います。
しかし彼女は、神の言葉通りになるようにと告白しました。
 
ルカ1:37〜 38 神にとって不可能なことは一つもありません。」
マリヤは言った。「ほんとうに、私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおりこの身になりますように。」
そうです。これは乙女マリアに起きたことです。 
常識では考えられないこと!しかし神だから出来ると信じて、神の言葉通りに、間違いなく私の身に起きるようにと告白をすることが出来ました。 
 
この出来事は、確かにマリアにとっては突然の出来事でしたが、叔母のエリサベツにも同様な神の力が働き、不妊の女の悲しみを取り去って大きな喜びと慰めを与えたことを、マリヤに知らされて信じる動機が与えられていました。 

神の選びは偶然はありません。 マリヤと神がどれだけ深くかかわっていたか?
マリアも旧約聖を読んで神を知ってはいました。しかし、実際の日常生活の中では、どれだけ神を意識して常日頃の生活をしていたのだろうか?神との距離感はどうだったのだろうか?
マリアは言います。
ルカ1:34 そこで、マリヤは御使いに言った。「どうしてそのようなことになりえましょう。私はまだ男の人を知りませんのに。」ごく常識的な答え方をしています。
そこで天使の説明を受けて、気持ちの変化が起きてきました。 
旧約聖書を調べるとエリサベツ以外にも 不妊の女が、神に癒やされ子供を産んだことが記録されています。また乙女が子供を産むこともイザヤ書には記録されています。 

イザヤ7:14 それゆえ、主みずから、あなたがたに一つのしるしを与えられる。見よ。処女がみごもっている。そして男の子を産み、その名を『インマヌエル』と名づける。
 
ユダヤ人の乙女で旧約聖書に精通しているのであったらこの箇所通りに、私に起きるかも知れないと一度や二度は想像していたのでは無いだろうか?

その言葉通りに、突然!私たちが選ばれたら、驚き怪しむのは普通ではないだろうか?
けれど一歩踏み込んで 神の言葉、聖書を信じなければならない時があります。

与えられた神のチャンスを生かすことが出来るように、天使の説明もありますが、私たちには身近に聖書があります。
普段。聖書を読んで、神を知っていますが、何か新しいことが起きると言われたら」心をかたくなにしないで、一歩。神に近づく事も必要な事が起きてきます。(聖書。印刷技術が発達するまでは身近では無かった事を思えば、それ自体も神の恵みだと感謝しませんか?)

聖書に書かれてあること、それは一寸違わず聖書の言葉通りに起きると信じて、マリヤと同じ告白をしていきませんか?
「ほんとうに、私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおりこの身になりますように。」
 
一歩踏み込む勇気と、神を過去に知った聖書、神よりより深く信じる事が無ければ、神の奇跡を受ける事無く、神はまた別な人を選ぶことが出来ます。けれど、私たちの助け主、聖霊の力、助けを得るならば、マリアのようにチャレンジが出来るように、私たちの心、信仰が変化します。 神により頼む者は失望に終わることはありません!

ローマ書 5:5 この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。


Diana, Princess of Wales

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