キリストは癒やす神です

出 15:26 そして、仰せられた。「もし、あなたがあなたの神、主の声に確かに聞き従い、主が正しいと見られることを行い、またその命令に耳を傾け、そのおきてをことごとく守るなら、わたしはエジプトに下したような病気を何一つあなたの上に下さない。わたしは主、あなたをいやす者である。」

神が癒やす方法は様々です。上記の処ではモーゼに一本の木を水の中に入れるように命じました。

心のが心の病(現代風に言えば統合失調症かな?)にかかったときには、ダビデの竪琴を聞かせるように導かれました。神の霊が深くかかわっていましたね。
 
汽汽 16:23 神の霊がサウルに臨むたびに、ダビデは立琴を手に取って、ひき、サウルは元気を回復して、良くなり、わざわいの霊は彼から離れた
 聖書に書かれた登場する大勢の人物と、神の関わりを観ても、その事が分かります。

詳しく聖書掘り下げ見ると 。心の不安定さから迷い、罪を犯したり 神から逃げた人が書かれています。
それらの症状を現代風に言えばウツだったり 統合失調症だったとも言える気がします。 
それでも 神の前にへりくだり、求めて行った聖書の登場人物たちは, 一人 一人の個人対応で神様から癒やされています。

癒やされたいとの意思表示と信仰が要ります。
 信仰とは、聞くことからです。また過去を確認 未来に神がなさることを確信することです。
 
ロマ 10:17 そのように、信仰は聞くことから始まり、聞くことは、キリストについてのみことばによるのです。

ヘブル11:1 信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。

癒やされたら、神に栄光を返さないといけません。証をしないといけないですね。
ルカ17:15 そのうちのひとりは、自分のいやされたことがわかると、大声で神をほめたたえながら引き返して来て、。

癒やしは個人対応をなさる神です 。
神様に委ねて 明日のことは思い患うことを避ければ、心の内は癒やされていきます。

神様が状況変化させた上で環境からの癒やし 慰めが在ります 。神を見上げていきませんか?

今日の午後、家庭訪問して交わり讃美をしました。 この時の讃美や さりげない おもてなし
子供たちの歓迎 このような事からでも心に憩いや安らぎ 平安 癒やしを受けることも出来るのです。神が備えておられる中で、心の平安を見いだすことも出来ます。

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不都合や納得がいかないと怒らずに、許し合う 自分から先に許すならば、心に
負担をかけません。自分で自分を許すことも重要です。それは隣人を許すこと以上に必要な場合もあります。