キリエ エレイソン!No2

人は、欲望には弱く 制御 出来なくなる時が沢山あります。
何でも悪霊の業にしたり、やたら 無理矢理 懺悔 告白させても 人の本質は簡単に変わりません。悪霊は私達人間を誘惑しますが、行動するのは私達自身であって、悪霊では無いのです。
 
屋上から見つめた女性。ダビデも誘惑に負けて 罪を犯しました。予言者を通して 悔い改めの機会が与えられ ダビデはその悔い改めを実行し増したから、 神は許されました。 
              
らんちゅうな1
競汽11:3 〜11:4  ダビデは人をやって、その女について調べたところ、「あれはヘテ人ウリヤの妻で、エリアムの娘バテ・シェバではありませんか」との報告を受けた。
 ダビデは使いの者をやって、その女を召し入れた。女が彼のところに来たので、彼はその女と寝た

競汽12:13 ダビデはナタンに言った。「私は主に対して罪を犯した。」ナタンはダビデに言った。「主もまた、あなたの罪を見過ごしてくださった。あなたは死なない。

悔い改めが無くては救いの恵みには預かれないのですね。
 
 
人は相手の欠点、失敗をついて論じますね。 人の考えや行動がざまざま クリスチャンといえども同じでなく。様々な意見がネット上に飛び交っています。 
 
 婚前交渉。性的問題、浮気の問題をしなかった人が 、それらの問題を犯した人を責め合う図式が成り立つのでしょうか?
キリストは、罪の無い人から石を投げなさいと 語りました。

ヨハ8:7 けれども、彼らが問い続けてやめなかったので、イエスは身を起こして言われた。「あなたがたのうちで罪のない者が、最初に彼女に石を投げなさい。」


性的な問題 姦淫をして仕舞った人、同性愛を続けるには問題があり、聖書は悔い改め、止めるように警告しています。盗み 殺人も神の目から見ても明らかに罪です。

けれど、『わたしは そのようなふしだらな行為をしていません、』 なにか勝ち誇った様に 、攻めている言葉も罵りに近い言葉が見かけられると、悲しく成ります。

本当に性的に各種の誘惑に苦しんでいる人達 悔い改めたいと願いつつ誘惑に負けている人を責め合う図式が 私は悲しくなります。
 
インターネットの書き込みを見ると 色々な論議を呼んでいますね。クリスチャンの正義感から見て、問題を抱えている人達を高い目つきから 見下ろす意見 論議を呼んでいると悲しくなります。
 
もちろん。神を愛するならその教えや神の望まれることは実行することは当然ですが、罪を 過ちを犯した人を断罪し 教会から追い出す、、。 牧師に 教会信徒さんに 追い出されたら 何処に行くのでしょう?

『罪を一切、犯した事が無い人から責めない』 と いわれ キリストの心中を図り知らなくてはと、思うのです。ヨハ8:7

神 キリストは責めるより、愛と赦しの神。悔い改めが必要とする神だと思います。

多く許されて者こそ、神に愛されています。 本当に人を責めることは出来るのはキリストの愛だけなのです。
 
神は罪を犯した人を、園から断罪しないで  生きながらえさせて悔い改めのチャンスを与えました。  教会から追放しないで、神の愛で見守り育てるならば、いずれ教会、神のために働く
勇者になるとおもいます。 ダビデのように・・石打を免れた夫人のように・・

 
律法を無視はしていません。守れるなら、守るもの、それが律法
でもパリサイ派のように 人を見下したり、自分は過ちは犯さずに正しいのだと勝ち誇ったような発言に心が痛くなりました。

許された者は、その権利や許されたことを誇るのでは無く 神に、人に 謙虚 謙遜になりたい者です。神の愛 その福音の語り継げていきたいのです。