祈りは会話とも云われます。

クリスチャンであれば、どなたでも祈りますね。けれど 神様と会話をしているでしょうか?
会話とは両者の思いと言葉が交差し 心が交わることから会話が成立します。 

神様と会話をするためには、 先ずは神の前に出なくては成りません。
 
少年、サムエルは神のことを具体的に走りませんでした。私たちは 神様のことを具体的に知っているだろうか? イメージだけで知っているだけではないだろうか?
有馬温泉 005

サムエルは祭司エリのアドバイスを受けて、神の声を聞くように指導されました。

第一サムエル記
 3:9 それで、エリはサムエルに言った。「行って、おやすみ。今度呼ばれたら、『主よ。お話しください。しもべは聞いております』と申し上げなさい。」サムエルは行って、自分の所で寝た。
 3:10 そのうちに主が来られ、そばに立って、これまでと同じように、「サムエル。サムエル」と呼ばれた。サムエルは、「お話しください。しもべは聞いております」と申し上げた。

3:11 主はサムエルに仰せられた。

この聖書箇所はあまりにも有名ですから、皆様はご存じですね。
神様の実態を知らないと、間違った行動をして仕舞います。 指導する方も、指導を受ける方も慎重にならないと行けないです。 サムエルは直接。神の声を聞いた経験が無くて エリに相談します。

祈りは、神様の心に沿っていれば、答えがきます。けれど、その御心を知るためには、
『神よ、私に語りかけて下さい。』と 神の前に静まる必要があります。神の声を聞いて、声をかけて下さるように申しあげて、サムエルは黙ります。
サムエルが黙ってから、要約、神は語りかけます。

私達には確かに色々の祈り願いがあります。どうしても あれこれと願いを語りかける一方的になりがちです。神からの答え、回答を得る前には、神を神として認めて 崇める時間、黙って神ご自身を求める時間が 第一の祈りになりませんか?

詩 77:12 私は、あなたのなさったすべてのことに思いを巡らし、あなたのみわざを、静かに考えよう。
箴 9:10 主を恐れることは知恵の初め、聖なる方を知ることは悟りである。

イザヤ 30:15 神である主、イスラエルの聖なる方は、こう仰せられる。「立ち返って静かにすれば、あなたがたは救われ、落ち着いて、信頼すれば、あなたがたは力を得る。」 静かに信頼して待つ!ここには 私達からの言葉言うのでは無くて 黙って待つことが強調されています。
 
詩 37:7 主の前に静まり、耐え忍んで主を待て。・・

 祈りの答え、願いを叶えて頂きたいので、心が焦る、大声で叫び 私達は祈りがちです。
これでは、私たちの声を一方通行的に声を出すだけでになります。

神さまが、どのように望んでおられ 、何を語りかけたいのかを第一に知ることが会話をする基本になりませんか?
 
御心に沿った祈りは、魂を回復させます。

ヤコブ 5:15 信仰による祈りは、病む人を回復させます。主はその人を立たせてくださいます。また、もしその人が罪を犯していたなら、その罪は赦されます。

信仰の土台は信頼ですね。 

詩 31:14 しかし、主よ。私は、あなたに信頼しています。私は告白します。「あなたこそ私の神です。」
民 14:8 もし、私たちが主の御心にかなえば、私たちをあの地に導き入れ、それを私たちに下さるだろう。

神に信頼を告白することは 信仰を告白するのと同じです。 御心に叶う告白は、神は平安を与えて、結果的には、祈りの答えを黙っていても 神は静かに用意しておられるのです。

 
祈りの姿勢は聞くことから始まることを 覚えましょう。

詩 77:12 私は、あなたのなさったすべてのことに思いを巡らし、あなたのみわざを、静かに考えよう。

イザヤ30:15 神である主、イスラエルの聖なる方は、こう仰せられる。「立ち返って静かにすれば、あなたがたは救われ、落ち着いて、信頼すれば、あなたがたは力を得る。」