阪神淡路震災記念の日。

 カウンセリング依頼者が、午後、自宅に尋ねてこられ遅くなりましたが、 迷いましたが、朝と夕方に・・・やはり、震災記念行事のある神戸中央区の公園に行きました。

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 あれから21年目ですね 。あっと云う間でもあり、色々あって長く感じている年月でもあります。
あの日は、富山県でレストランの調理をして、小さい店を経営していました。

 震災の3日前に、関西のある教会で行われていた信仰のセミナーに参加中に、日本のために祈る祈りが行われました。幾つかのグループに分かれて、目を閉じて祈っているとまるで映画を見ているかのように、瞼に浮かぶ風景が、神戸の地震の様子でした。

                  
                  (上記。新しく制作したと追悼動画をご覧下さい。)

 初めての経験で、驚きました。その見た幻は、大勢の人が教会の前を素通りして、火と煙の中に消えてい行く・・キリストの福音、救いを受けずに死んでいく・・その様子が見えて、私はどうすることも出来ずに、ただ、悲しくて思わず泣いてしまいました。

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 それから しばらくして、私の母が認知症になり、看病疲れから、私が身体を悪くしてレストランを閉店。色々あっても その幻のことが心に残っていました。一人でも救われるために働きたい。けれど、教会奉仕をしながら 仕事をして一信徒伝道も出来ますから、献身するかしないか・・迷いがありました。

母のために、癒やしの祈りを依頼していた教会の牧師がおられたが、当時。私の牧師は、癒やしは使徒行伝の頃、特別な事としてあまり積極的には祈って頂く機会は少なかったのです。
それまでは、私も病の癒やしなど祈った事がありません。色々の癒やしに関する本やテープを買い込んで勉強し、各地で開催された教会、信仰セミナーに積極的に参加しました。
                 
長田震災後 奇跡の教会 
(上記写真、火事の類焼から守られた神戸キリスト栄光教会が見えます。)
 
 献身するにしても、母が救われていないのは、証しにならず困ると思いました。それから4年近く過ぎて、要約。「母が癒やされるなら、献身の道に歩めるようになります。」と 祈りました。
一〜二度。一般的!普通に祈りましたが。癒やされませんでした。

 しばらくしてから、決意して、オリーブ油と額に手を置く祈りと、キリストの権威を用いて、病の霊が母から手を引くように命令しました。 短期期間の断食もしました。
祈り終えてから3日後に、病院に行くと 母が認知症から回復。記憶が戻っていました。
 医師や、看護師達は、何故回復したかの説明は無く、『不思議ですね!』と 喜んでいました。

 その後 隣人に手を置いて祈ると、次々癒やされ始めました。 けれど一般信徒が、桉手することを好ましくないと指摘され辞めました。それを知ったキリストにある兄弟が、『それでは、君が牧師になれば良い!』と
全額献金をして下さり神学校に送り出して下さいました。

その兄弟には、末期癌で腹水が貯まり、10日間の余命でしたが、私が祈って奇跡的に回復 延命した事のある奥さんがおられました。そのご主人 クリスチャンの兄弟が学費献金をして下さったのです。

神学校卒業後、田舎の富山に帰るつもりでした。
けれど、40日断食後に、また幻を見て、気持ちを変えて 神戸に定住して宣教活動を始めるようになりました。
始めて神戸に定住後、市内を歩きながら祈りました。初めて通る場所でも、幻て見ていたあの風景が実際に広がり涙しました。

私一人。働きながらの宣教が思うように進みません。<調理の仕事は拘束時間が長いので困ります。>
けれど、根気よく祈っています。諦めません。 微力ながでも主の栄光を・・福音の救いを語り 救われる人が一人でもと祈っているところです。宣教活動は自己の懐からの捻出、単立教会故にセルフサポートです。霊的な満たしと経済的な満たしが必要です。 

 皆様のとりなしの祈りをお願いいたします。
主に在りて!
 
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