神の父性、母性。

始めに、私のブログをご既読して下さりありがとうございます。

小説、神の小屋を読んでの感想のNo2 ある方からのコメントに対して思ったことも加筆しています。

主キリスト様が、父なる神と呼び掛け明言なさいましたので、、三位一体の二位キリストと父なる神迄は、男性だなぁと、、
私は思います。
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それに対応していない小説、神の小屋のパパと呼ばれる人が女性の設定に驚き拒否反応しました。
何故?女性をパパて呼ぶか?でした。作家は神の中に母性を加えたかったのか?

物語の主人公が父親との関係修復し回復して行く許すことの重要性を強調する小説です。また、亡くなった娘を見過ごした神を許す心に到る物語です。

私が色々なカウセリングをしていると、親子関係、特に幼い頃の経験が左右していると気が付くことが多いです。この親子関係、母親、父親の関係修復は、信仰にも、祈り願うことが理解できて良くなります。
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私達は、キリストを信じて救われて神の子となります。神の子から見た父親とのしてイメージが良くないと考えたり、良き父なる神に祈ることが出来ませんと嘆く方もおられます。

その様なケースには、話し合い、先ずは、不具な時代、不幸、また虐待された記憶の全てを主キリスト様に 下駄を預けると決意し告白します。
有名な詩をご存知だと思います。フットプリントの様になるとイメージができる様に祈ります。


キリスト様を通し見る父親像は愛、柔和 寛容 などのご性質を上げれば切りがなく、沢山の形容できます。ただ行き当たりバッタリの厳しい、厳格ではないことも知らなくてはいけないです。
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『私を見た者は、天の父を見たのです。』とも語られました。
私たちはキリストの言動を記された聖書から知り得ます。そして、父なる神を知り見るのです。

父親像、父親を許すことが出来ない場合、困難を覚える場合。
例えば、この小説の中にマリアの母性があるからと、父性的な要素をマリアの母性と合体一致する、、私はその感覚、考え方には困難を覚えます。

神の小屋ではパパ呼ばせていながら女性であると描かれたのですから、本来なら、許すことがテーマの小説ながら抵抗感を持ちました。

マリアと父なる神をは別々な人格だと思います。

あなたの言われた《ブログの読者のコメント》ことから考えるならば、性別不明、聖書では明言無しの第三位の聖霊様の働き、私たちを助けて、励まして導く神。

聖霊様が時には母親の様に感じることも、私にはありますね。この事、私の仮設的な思いは如何でしょうか?
聖霊御自身が母親的な存在で、三位一体、家族でもあるのかな?と思う仮設です。
教義に照らして正しいことを言うという立場でなく、あくまで私の正直な現時点での感じ方を伝えるということで理解してください。(よって間違っているかもしれない!)

私は、この小説、神の小屋を読んで、三位一体の神のご性質、個性を感じてました。 その個性に尊敬しつつ、聖霊様 イエス様 父なる神様 エホバとは言わない様にしています。特に祈る際には、それぞれに呼び掛けたりもします。

キリス様が言われました様に、私の名前に依って集まる所に、私は居ると言われましたので、その場には、三位一体の神が臨在してくださると信じています

実際に、私が神の濃厚な交わり、臨在をした際には、性別は関係なく、姿は見ることが出来ず、暖かさに包まれ気を失いました。
人生、初めての臨在体験はメソポタミア砂漠の中でした。

その経験後は、神御自身が必要な時に、色々な形で、臨在を表して下さるのです。
みなさま方も、尊いキリスト、三位一体の臨在を求め体験なさる事をお勧めします。
教会に傷付いた人こそ、人に話すより、神の濃厚な交わり、臨在体験して解決してください。

終りに、皆様方のご既読に感謝申し上げます。
ミカエル 小栗 龍男

追記、私の名前のミカエルは、フランス滞在中に、フランス人から呼びやすい名前を付けられたことから、使用しています。洗礼名ではないのですよ(^_^)