癒やしに限らず、

全ての信仰には期待が伴います。 その出発点は、もしもこの様に願いが叶うと良いな・・と言う期待感です。

期待感! それは信仰における辛子種です。

ルカ 13:19 それは、からし種のようなものです。それを取って庭に蒔いたところ、生長して木になり、空の鳥が枝に巣を作りました。

 第一コリント 成長させたのは神です。
 3:7 それで、たいせつなのは、植える者でも水を注ぐ者でもありません。成長させてくださる神なのです。

前記の、肺気腫の癒やしは、小さな期待感から、育っていきました。病は、改善されて良くなりましたが、未だ完治はしていません。しかしながら、小さな期待感は小さな信仰のからし種です。期待感は、完治される姿を思い描くことですね。 きっと良くなる・・良くなる姿を思い描き続けると、聖霊は信仰の水を注いで下さり、癒やしを完成させて下さいます。 
自分の信仰が弱いからとの告白は厳禁です。からし種を否定してしまいますね。

第一列王 18;44 七度目に彼は、「あれ。人の手のひらほどの小さな雲が海から上っています」と言った。


1〜2度祈っても変化が無い事も多いですね。 しかし繰り返して 祈っていく中に、期待感から信仰の種が育って行きます。 エリヤも、神に期待して祈りました。神が結果を与えられました。


信仰がない。信仰が弱い言葉。告白が厳禁です。癒やしに限らず、全ての事柄に共通点です。

私たちは、神様に、期待感! からし種を抱くならば、育ててて下さるのは、神様です。


長い間。病の完治を夢みていた女性がいますね。「お着物に触ることでもできるならば、きっと治る。」
と心の内で考えていたからである。マタイ9:21


考え思い続けること。小さな思いを、癒やし 完治を思い続けること。キリスト、家族の愛によって、信仰のからし種を育てて下さるのは神です。

 
fuyou 123