TVのドキュメントを見ていました。

 
日本人の女の子が外国人のクリスチャン夫婦に養子として引き取られる事を伝えていました。
感染症を患ったまま生まれてきた女の子でした。その実の両親は,そのこと引き取ることを拒否したようです。タウン症を患ったまま生まれてきて,育てる事を拒否されて・・日本在住の女性宣教師に引き取られ、クリスチャンとして育てられている男のこの事も伝えられていました。 

外国、アメリカでは難病を持ったまま生まれてきて,両親から見捨てられて子供と養子縁組をする団体があるようです。 育ての親は、難病が問題では無く、その子供の命が大事だとコメントしていました。その大体のコンセプトに深い感銘を受けました。

神は、どの様な命にも目的があって生まれてくると・・又親も、その子供の命を育み事によって,神からの大きな祝福を受けるのです。しかし、神はそれを拒否することも何故,許されるのか?
一概、一言では言い切れないです。 エデンで善悪の実を食べることも,拒否することも出来るように,人間を創造されました。何故?そのように,私たちを作られたのでしょうか?
神の性質の一部を持って、私たちの心も作られたのでしょう・・

同じ選択するのであれば,託された命は,最後まで育てて頂きたいですね。


子供を望んでいても 与えられない夫婦がいます。私たちの夫婦も,3度の流産を繰り返しました。
子宮筋腫から子供が生めなくなりました。その時には養子を取ろうと,妻が言ってくれましたが,間もなくして、その妻も癌で亡くしました。 何故ですか?と、神様に泣きながらも詰め寄りました。
時が流れて・・悲しみを乗り越える大きな慰めを神から頂きました。 何故 ? その慰めの,神の力は、妻が先立ったかの答え以上の物でした。

 さて、ドキュメントを見ながら、
乳児園 愛育園で福音を伝える奉仕をしていたことを思い出していました。 この施設は親からも引き取りを拒否(我が子を育てたいが、出来ない様々事情を抱えている親が居ます。) 面会は出来る事も在ります。 親に会いたいと願う子が居ました。神に祈るように,勧めたら、神は祈りに答えて,祈った子供に会いに来たそうです。それからしばらくして そのこの親が引き取りました。

現代の日本では、私が考えていた以上に・・親から見放されている子供達が多いことに,驚きを隠せませんでした。独身の男性(私自身を含めて・・)子供の里親になることは難しいというか 裁判所が,許可されることは少ない。独身の女性だと,独身男性の里親よりは簡単なようですね。男女差別は,子供の教育では日本に在る事自体も問題です。

本来のこと 親は子供を育て流布通です。しかし、育てられなくなった場合。養子として,引き取られても,集団で育つよりも、子供自身には幸せが違います。

 日本人、独りをクリスチャンとして信仰に導くことはとても大変です。
子供を引き取って,我が子として愛情を注ぎ,クリスチャンとして信仰を持たせて育てる方が,前記の未信者をクリスチャンにするより,神の国とその子供と育ての親には
大きな祝福と良い影響があります。

日本人のクリスチャンも積極的に養子のことを考えて祈った方が良いと思います。