私の教会は家の教会です。

 私は50歳で神学校に入学をしました。それまでは、調理師をしていました。47歳の時に母が痴呆症に成り記憶を失いました。当時の教会(保守的なカナダのバブテスト教会の流れ)の牧師に依頼して,母の癒やしを願いしました。病院には行って、「お母さんは,もう死んでいるよ。』と一言。失望しましたね。

 確かに植物人間化していました。私の親族兄弟からも,「もう諦めて、仕事に専念しなさい。」と忠告を受けていました。 それでも母が未だ救いを・・キリストを救い主と告白していませんでした。

 看病すれど回復は見込めませんでした。ただ私の肉体的、精神的疲労がきわまりました。開業していたレストランも疲労から閉鎖に追い込まれました。

 失意の中で、神に救いを求め、母の救いを求めました。母が救いを告白するためには,その思考や記憶が回復しないといけないので,この点を神に強く,神様に訴えて,母が癒やされるように祈り断食もしました。

 牧師は、癒やしは使途行伝時代までだと言っていましたけれど・・ しかし聖書の言葉は永遠だと思いました。それは私には自然な成り行きでした。何故なら神学的なことは一切分からず、聖書の言葉を額面通り信じようとしました。 癒やしに関する本を片っ端から読みあさりました。
1995年前後に,カリスマペンテコステの癒やしを言う集会にも参加しました。

 助言を下さる牧師先生もいて感謝でした。
ある日、私は意を決して,母の癒やしのことで面と神様に向かいました。聞かれなくて神に失望する事が怖かったので,中々祈れなかったのです。
母は3年あまりの眠りから覚めて,記憶がもどり癒やされました。医師も驚きましたね。
その頃に出会ったヘンリーグリーパー師からも祈りは聞かれます。と励ましを受けて,神学校に行く事が出来ました。その影には3年間の学費の献金を献げて下さった一人のクリスチャンがいます。

神学校卒業後、単立教会として働きながらの伝道を・・その頃家の教会と始めようと言う教えもありました。
 
 ネットを初めて聖書カウセリングと癒やしを祈りまじめました。癌や目、歩けるようになる色々の癒やしを経験しました。悪霊に関わったことも在ります。多くの人たちとインターネットで知り合って救いに導いて,各地の教会を紹介しています。
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ただ、地元というか。自分の教会成長を特に強く願っていませんでした。妻を亡くして独り暮らし。
一人での宣教活動。やもめ暮らしの生活感がある家の教会では,人を招き入れ難いからでした。
救いに導いても、多くの人を他の教会を紹介していました。

 ところが前記のブログにも書きましたが、宇治福音教会から京都シオンの丘キリスト教会に改名した後藤牧師は,元 天理教会の建物を2億円で購入して,キリスト教会に改装なさいました。

 それを間近に観て、気持ちが揺れました。 母の癒やしを思い出しました。
どこかに常識とかあきらめがあり,悔い改めて祈り始めたばかりです。
生活に追われ教会の場所を借りる余裕が現実的には無いのですが、後藤牧師の2億円のチャレンジに刺激を受けました。

『神様。教会と言える場所が欲しいです。家の教会では無い場所です。』と祈り始めました。

この記事を読んでくださって,あなたの心が動きましたら,ご支援の祈りから始めて下さいませんか?
主に在りてお願いいたします。