鳥取砂丘を歩きながら・・


自分の歩いた足跡がたくさん残ります。人生の足跡も、歩いてきた分。心の中には沢山の足跡が残っています。楽しい思い出、悲しい足跡、辛く涙した時の足跡が心にはいっぱい残っていますね。

砂丘を歩き、自分の人生を振り返り、神様に祈りました。
フットプリント

結婚して、癌で妻を亡くしたこと。悲しみを忘れる、紛らわす海外生活。事業を始め、母の地方の介護、 母の奇跡的な神の癒しがあり、神学校に・・そのときすでに50歳。少し遅い神様への献身でした。信仰を保つ、キリストの付近を伝える仕事には先住できず、働きながらです。
 教会があり、その教会に属する信徒さんが居れば、日曜日には出歩かないです。

ネゥトを通じて、たくさんの人からのカウンセリングを受けて、キリストの癒しと救いを伝えています。
癒しのために祈りに出かけたり、遠方には祈りのハンカチを送り、キリストの救いを信じた人々に教会を紹介しています。

最近の関西ハレルヤ牧師化に参加して、自分の教会形成を祈り始めました。 家の教会場所じゃないとをいう教えに同意していた事から方向転換しました。 そんな祈りをしながら歩いていました。

また今日の朝に、罪を犯したから祈ってくださいとの相談メールがありました。
キリストには許せない罪は一つもありません。 キリストの身代わりになって罪の代価を支払っています。それを信じるだけなのです。何度も許してくださいを祈るのではなくて、許されていることを感謝賛美するように伝えました。 人は何かあると不安になりますが、幼子のように素直に信じていればよいのです。 幼子は叱られても、また悪いことをしてしまいます。それもケロッと忘れてまた同じような悪いことをしてしまいます。しかし、親はすべてを許して、根気よく何が良いことで、何が悪かを教えるので、幼子は成長していきます。
聖書がその教訓訓戒を教えてくれます。聖書をよく読み覚えて罪から離れるようにしないといけないです。しかし人は弱いから、同じ過ち、罪を作りかえしますが、素直に許してくださいと告白して、十字架の救いを信じればよいのです。不安になることはないのは、キリストの十字架の身代わり、贖い、救いは完全なのです。
鳥取砂丘の夕日


罪とは神の思いから外れることが第一の罪です。女遊び、盗み、人殺し、嘘も神の前では同じです。神は全てを許すことができます。繰り返して 許してくださいと言うよりは、過去 現在 未来と神の前では、私たちの罪は許されています。信じて賛美の言葉を告白すべきだと思います。

ただ人に対しては贖いの責任代価を支払わないといけないです。

私個人が神の前に犯した罪も大きいですが、許されていることを感謝賛美し、将来の歩みが祝福されて悪から守られるように・・砂丘の上を歩きながら祈り考えました。

砂丘の二人

フットプリント 心の歌。

ある夜、わたしは夢を見た。 わたしは、主キリストとともに、なぎさを歩いていた。
暗い夜空に、これまでの私の人生が映し出された。どの光景にも、砂の上にふたりのあしあとが残されていた。

ひとつは私のあしあと、もう一つは主キリストの足跡であった。これまでの人生の最後の光景が映し出されたとき、わたしは、砂の上のあしあとに目を留めた。

そこには一つの足跡しかなかった。私の人生で一番辛く悲しい時だった。
このことがいつもわたしの心を乱していたので、わたしはその悩みについて主に聞いてみた。

「主よ。私があなたに従うと決心したとき、 あなたは、すべての道において、私とともに歩み、
私と語り合ってくださると約束されました。それなのに、わたしの人生のいちばんつらい時、
独りの足跡しかなかったのです。
 
一番あなたを必要としたときに、あなたが、なぜ、私を捨てられたのか、私にはわかりません。」

主は、ささやかれた。

「わたしの大切な我がj子よ。わたしは、あなたを愛している。あなたを決して捨てたりはしない。
 ましてや、苦しみや試みの時に。あしあとがひとつだったとき、
 わたしはあなたを背負って歩いていたからだよ。」 と・・