祈りの形は・・?

私たちが祈り時には、色々の形を取って祈り事が許されています。
神の前に出て、私たちが神の子として認知されていることを知ることが第一です。
神から十字架で流された血によっての血縁関係を伴って認知されている子供である知ることが、
soaking Prayer基本です。

聖書 詩編の御言葉からも
46:10 「静まって、わたしこそ神であることを知れ。わたしはもろもろの国民のうちにあがめられ、全地にあがめられる。」 神を知ること。私たちの神の子としての立場や恵みを知ることです。

神の子としての確信を得るまで、静まる必要があります。

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 アダムの犯した罪を、命の代価 血を流して贖われました。 創世記 3:21 神である主は、アダムとその妻のために、皮の衣を作り、彼らに着せてくださった。

神との間には、神の友としての会話があったと思います。この会話が、カインの時には、お願いとなっていきます。

創世記 4:13 カインは主に申し上げた。「私の咎は、大きすぎて、にないきれません。
 4:14 ああ、あなたはきょう私をこの土地から追い出されたので、私はあなたの御顔から隠れ、地上をさまよい歩くさすらい人とならなければなりません。それで、私に出会う者はだれでも、私を殺すでしょう。」
 4:15 主は彼に仰せられた。「それだから、だれでもカインを殺す者は、七倍の復讐を受ける。」そこで主は、彼に出会う者が、だれも彼を殺すことのないように、カインに一つのしるしを下さった。


本来は、弟を殺したカインは、死を持って償わなくてはいけませんでしたが、神はアダムの名によって、彼を追放だけで、命は取りませんでした。

 ここにキリストのとりなしの原型があります。 キリストはアダムとしても喩えられています。
アダムは、一人の息子を失いました。けれど、カインの罪を父親として悔いて、創造の神にとりなしを申しあげたのです。


神を崇めて礼拝すること。祭壇の前で礼拝

神の栄光を讃えてひれ伏して崇めること行為が聖書に最初に書かれている箇所は・・
創 8:20 ノアは、【主】のために祭壇を築き、すべてのきよい家畜と、すべてのきよい鳥のうちから幾つかを選び取って、祭壇の上で全焼のいけにえをささげた。

命の犠牲を伴って家畜が献げられています。これは、この箇所と同じですね。創世記 3:21 神である主は、アダムとその妻のために、皮の衣を作り、彼らに着せてくださった。


「申しあげる。」 祈りと、とりなしの原型が流された血によって成立しています。

アブラハムの願い、申し上げたことを、神は聞かれました。

血を流さないお願い、申し上げる事が成立して箇所は
創世記18:2 彼が目を上げて見ると、三人の人が彼に向かって立っていた。彼は、見るなり、彼らを迎えるために天幕の入口から走って行き、地にひれ伏して礼をした。
 18:3 そして言った。「ご主人。お気に召すなら、どうか、あなたのしもべのところを素通りなさらないでください。

申しあげる、謙遜さを必要としますが、神とのつながり、関係の深さ、確信の上です。

ソドムを滅ぼすことを、事前に告げられて、その問答が有名です。『もし5人の正しい人が居たのなら・・』  ソドムを滅ぼした後にも、『遠くに逃げなさい。』とロトに言われた御使いですが、近くに逃げたいと申し出たロトの願いを聞き入れられました。 これも祈り、願いの原型ですね。

伏して拝む。
砧鷁 17:21 そして、彼は三度、その子の上に身を伏せて、主に祈って言った。「私の神、主よ。どうか、この子のいのちをこの子のうちに返してください。」

砧鯊 16:29 御名の栄光を主にささげよ。ささげ物を携えて、御前に行け。聖なる飾り物を着けて、主にひれ伏せ。

祈りの行動とその形が書かれている箇所です。

あなたが祈る時の形、スタイルは、椅子に腰掛けていますか?自由な形で祈ることが許されていますが、神経に神の前に伏している心ですか?神はその言葉や態度よりは、私たちの心を観られます。

ルカ
10:27 すると彼は答えて言った。「『心を尽くし、思いを尽くし、力を尽くし、知性を尽くして、あなたの神である主を愛せよ』、また『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ』とあります。」


詩編 62:8 民よ。どんなときにも、神に信頼せよ。あなたがたの心を神の御前に注ぎ出せ。神は、われらの避け所である。 セラ

私たちが心から、神に尽くすなら、神も私たちに応えて下さいます。

砧鷁 8:23 言った。「イスラエルの神、主。上は天、下は地にも、あなたのような神はほかにありません。あなたは、心を尽くして御前に歩むあなたのしもべたちに対し、契約と愛とを守られる方です。
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困難と哀しみの断食

イスラエルは敵との戦いに負けて、危機に直面したときに断食をして祈りました。
敵に負けるとは、色々の出来事にも喩えられます。迫害、仕事上の危機、病気など・・そんな時には、あなたの心の真剣さを表現するために断食の祈りをすることも良いと思います。

花嫁であるキリストが来られたから、断食は必要ないと主張なさる方もおられます。
しかし個人的な、神との関係を築きながら祈り為には、断食は有効な祈りだと思います。

士師記 20:26 それで、すべてのイスラエル人は、全民こぞってベテルに上って行って、泣き、その所で主の前にすわり、その日は、夕方まで断食をし、全焼のいけにえと和解のいけにえを主の前にささげた。

又特別な聖霊の助けを求めて断食することも大切です。断食することによって霊的な感覚は研ぎ澄まされることがあります。40日断食の経験であり聖書の言葉からですね。

マタイ 17:19 そのとき、弟子たちはそっとイエスのもとに来て、言った。「なぜ、私たちには悪霊を追い出せなかったのですか。」
 17:20 イエスは言われた。「あなたがたの信仰が薄いからです。まことに、あなたがたに告げます。もし、からし種ほどの信仰があったら、この山に、『ここからあそこに移れ』と言えば移るのです。どんなことでも、あなたがたにできないことはありません。
 17:21 〔ただし、この種のものは、祈りと断食によらなければ出て行きません。

断食よって
、自分の弱さを乗り越えて、神が助けて下さることを知ることが出来ます。
ミカ
 7:7 しかし、私は主を仰ぎ見、私の救いの神を待ち望む。私の神は私の願いを聞いてくださる。
 7:8 私の敵。私のことで喜ぶな。私は倒れても起き上がり、やみの中にすわっていても、主が私の光であるからだ。


【新共同訳】 詩 46:11 「力を捨てよ、知れ/わたしは神。国々にあがめられ、この地であがめられる。」 自分の誇りを捨てる、力、努力を排除する。多々神の恵み、キリストの十字架の購いのみです。

伏して祈っても、心が伴っていないと寝てしまいます。

マタイ 26:40 それから、イエスは弟子たちのところに戻って来て、彼らの眠っているのを見つけ、ペテロに言われた。「あなたがたは、そんなに、一時間でも、わたしといっしょに目をさましていることができなかったのか。

soaking の基本が普通30〜60分間、神の前で静まり、礼拝讃美 祈りを捧げます。異言で祈り、各自の言語でも祈り、霊の讃美を献げます。 基本は主の祈りから入ると良いと思います。

神の願いである、この地に神の栄光が現れるように祈りましょう。 あなたの願いも、祈りも神の栄光の中に含まれていますから・・

ただ、私たちの祈りの形と力で、神からの答えがあるのでは無いですね。

キリストの十字架の上で、私たちを思われた愛と、流された血による購い、とりなしの祈りの力があるからです。