神と私たちの立場、距離感。

 前記に、私たちに罪を犯した人を許すことを書きました。又理解できない苦難、試練 苦痛を与えた神に対しても、愚痴をこぼさないようにとお勧めしました。

 私たちの罪のために、十字架に掛かってくださったキリストを感謝します。その感謝と讃美を献げる事を忘れて、何年過ぎても・・ いつも自分の罪を許してくださいと祈り始める方がおられます。
それが謙遜と思っておられるのでしょうか?

 何時までも「許して下さい。」と嘆き悲しむ何時までも「許して下さい。」と嘆き悲しむながら祈るながら祈る心意が問われます。

信仰は一つ、洗礼も一度だけです。キリストの購いは完全です。


紫のバラ

何時までも「許して下さい。」と 日々 嘆き悲しみながら祈る事は・・・何度も、キリストを繰り返して、繰り返して 主キリストを十字架に繰り返して付ける事と同様の祈りはしているのと同じです。

十字架の購いは決して不完全では無いのです。

そのような方にも、自分の霊的な立場を理解して深める為にも、Soaking Prayer 祈りを漬け込む事も出来ます。

キリストと同様な神の子としての立場が、十字架の上で流された血によって与えられているのです。

この事を確認できることも、自分の願いを変えて、神の子としての特権を知るように聖霊の中で、神の子のと関係を気づくこと。あまりがままの自分をさらけ出す、祈りがSoaking Prayerです。

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 聖霊に満たされて倒れるというブームメントとのようになりましたが、、自我を捨て、聖霊に委ねることが出来れば 倒れると言う事も起きます。人によっては聖霊に満たされても倒れる事も無いです。

自我を捨てるならば、聖霊様の思いを知ること、助け、癒やしを受けます。

聖霊が臨むとその現れは様々です。顕著なことは異言が口から溢れます。
祈りたい気持ちだけ、感謝だけ 讃美したい気持ちが、言語に寄らないで口からあふれ出る現象が異言とも言えます。

注意すべきは感情や現象に囚われてはいけないです。大切な事は信仰によることです。

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神に委ねる心が一番重要です。 祈りの言葉も無くして この委ねる時間も Soaking Prayerの一つです。