FACEBOOKに下記の記事が書かれました。

 同感だと思う点が多くて、このブログにも書きました。 

 
祈りは通じる

 アメリカの研究で,こんな実験がありました。
末期がん患者を無作為に選んで、 AとBの2つのグループに分けます。
 彼らから遠く離れたところに住む10人の健康な人に、Aグループの患者さん10人の名前を伝えて回復を祈ってもらいます。
ひまわり

 Bグループの患者さんには、まったく何もしません。
その結果は、驚くべきものでした。
祈ってもらったAグループの患者さん(自分が祈ってもらっているとは知らない)は、あきらかに回復率が高かったのです。
 祈っている人は、相手が誰かも知らないし、 祈ってもらっている人は何も聞かされていないにもかかわらず。 何回実験しても、またニューヨークの病院の患者さんでもロサンゼルスの病院の患者さんでも同じ、という結果になりました。

 祈りの効果には、距離も関係がないことがわかったのです。

 現代の科学では、そのメカニズムはまったく解明されていませんが、
その効果は、科学的に証明できたわけです。
それほどまでに祈りには力があるのです。


 私がおもしろいと思ったのは、祈るほうもたいして信心深い人ではなく、

 特別に気合いをいれて(!?)祈ったわけでもないのに、効果があったという点です。
キリスト教や熱心な信者でなくても、自分の祈りの効果を信じていなくても、効いたというのですから驚きです。
自分のために祈っても無心の状態にはなれませんが、誰か自分よりも大変な人を思い浮かべて祈ってあげると、一生懸命になれます。

あなたよりも経済状態が悪かったり、病状がひどかったり、 人間関係に苦しんでいたりする人のために、ぜひ祈ってあげてください。


そういう人がまわりに思い浮かばない人は、

 外国で戦争やテロの犠牲になったり、食べ物を満足に食べられない子どもたちのために祈ってあげてください。

すると、不思議なことに、心が安らかになってきます。 無心になって人の幸せを祈ると、自分にもそれが返ってくるからです。

愛は、差し出すことで、いくらでも自分の中から湧いてくるという不思議な性質を持っています。
でも、相手からその見返りが欲しいと思った途端、 愛が返ってこないと感じてイライラしたり、落ち込んだりします。

 欲しいと思うと手に入らないのに、他人にあげようと思った途端に手に入るとは、ユニークな仕組みです。

 人間の心に、この仕組みが プレインストールされているのなら、父なる創造の神の摂理がそうなっているのかもしれません。
あなたが神を知らなくても、父なる創造の神様は、あなたを知っているからです。

 以上の記事でした。 そうだと思う点が多いですね。
 
神が知らせる啓示の祈りもあります。 私が滝行中で、私自身が神学生の時に、お世話になった方の為に、 祈るように示されました。祈れと言う命令、啓示から導かれて異言で祈りました。
後日に判ったのですが、そのとりなしで祈った方が 、片足切断をする手術の日でした。
全く事前には、知らされていませんでした。 報告を聞いて電話口で、私は泣きました。 

 啓示の祈りは、他にもあります。印象深いのは、阪神淡路&東北地震の三日前に祈ったことです。 一部の人に伝えて・・その方々は、地震の被害から逃れることが出来ました。

 また、滝行中には、糖尿病の癒やしの依頼があると示されていました。やはり後日にメールにて、糖尿病の癒やしの依頼があり、直ぐには行けない遠方の方でしたので、祈りのハンカチを送りました。

 又、私の滝行の動画を見た方が、癒やされたという報告を受けました。
神様、キリストに感謝、讃美を献げます。

 神癒には、積極的信仰、前向きな告白 が不可欠です。私が手を置いて祈ったとき回復して、後日。不調が続くと、元に戻る方も居ないとは言えません。 前向きに祈り信じ続ける事が大切です。
『私は主。あなたを癒やす神である。』という御言葉を、十字架の購い=身代わりを何処まで信じ切る事も重要ようです。 絶望からも立ち上がる事が出来るのは、私たちの助けてである聖霊の力です。

又、神の決定権に従う幼子のような心も必要です。 
もしかしたら、神はあなたを天国に ・・神のお側に召されたと思っておられるかも知れません。
癒やすと言う決定権も、神に委ねる必要もあります。 癒やしを祈りの前に重要 な全ての決定権を神様に委ねることも大切です。この全能の神の決定権に関しては癒やしに限らず、私たちの人生、生活の全てに関わりがあります。

又情熱も不可欠です。 一旦、神さまが決定されたことでも、それを変える事が出来るのは、私たちの情熱と幼子のような心からの祈りです。

旧約聖書には、神はある王様に対して、あなたは間もなく死ぬと決定の宣言をなさいます。
しかし、その王は、神に嘆願し訴え祈り、命が延びて・その使命を果たします。
この様な場合も、私たちには起きます。  さて、この王様は誰でしょうか? 聖書クイズですね。


YouTube動画から、滝行。この動画を見て、癒やされる人が現れるようにも祈りました。
現実にも、癒やされたと報告も受けましたから感謝です。今後癒やされる人が増えるように祈っています。
 事前のお断り。 途中からは褌姿に変わります。観たくない方はご遠慮ください。
途中までは、滝の様子だけですから、そのシーンだけを観てお祈りください。

        



 滝行に多く用いられている一つの衣装が褌です。包み隠さずに、全身全霊を神に差し出して祈りたい気持ちの一つ祈りの形の意味合いが、古来から伝わっています。日本人独自?精神文化かも知れません。<白装束の持ち合わせが無くて・・必然的な姿になっています。随分前の滝行の姿のコメントに女性からと思える卑猥だという反対意見がありました、多分? 見方が違っていたと思われます。>

 滝行の祈り形式をクリスチャンとして応用して祈っています。聖霊様をお迎えして、その地の悪霊を追い払い、自分自身も清めてから祈っています。夏でも非常に冷たいの水では、無心に成りやすいです。40日断食の祈りの時間と比べると。これも非常に短い時間ですが、祈りには、量も大切、質も大切、このバランスが不可欠です。神様と向き合う時間と語りかける時を、神は喜ばれると信じています。私たちの純真な祈り、語りかけを喜ばれる神です。


あなたの多くの癒やしと、生活環境の祝福を祈っています。