娘が亡くなり

水曜日21日のアルバイト中に、電話がありました。

『急に、血圧が下がり始めて危ないのです。』 白血病になった主の娘に紹介し、信仰の友、心の支えをして下さったクリスチャンの方からでした。

仕事の手を休める中、祈りながら神に訴えました。クリスマスローズ
祈りながら涙が溢れてきました。しばらくして、息を引き取ったことを連絡を受けて、数河に上京するとこと会社に伝えて、夜行バスに飛び乗りました。

 翌朝に霊安室につきました。遺体を引き取り場所が無く、病院の霊安室に留め置かれていました。葬儀場も私は着いた頃要約決まったようですが、葬儀場が順番待ち状態でした。 それが決まるまで東京駅で待機をしながら、復活を祈っていました。

 亡くなった翌日と言うことで、出入りも沢山。病院の医師、看護師さん達が、沢山お別れを言いに来ていました。

 私がポッツリとして一人でいると、父親と間違った看護師さんもいました。そして、『本当は辛い治療もあったでしょうが、ある日から急に変わって、明るくて、前向きに成られました。その姿を見てまた言葉を聞いて、返って私達が励まされましたよ。』と語っていました。 ある日からとは、洗礼を受けた前後くらいの日でした。

 私は復活、神が心を変えて息を吹き返すかも知れないと祈りましたが、次々、人が来て、一対一にはなれませんでした。

 エリヤやエリシャの記事から、復活を信じない、疑う人を避けて、予言者は一人。遺体と向き合っていたと書いてあります。またマリヤはラザロが無くなったときに、キリストに泣きつき、主の涙を流されました。

 私自身がキリストが涙を流して下さる程の近い関係なのか?とも思いました。キリストの十字架によって、マリヤと同じく近い関係であるとも聖霊が教えて下さいました。

 一人きりで静まる祈り時間が余りありませんでした。遺体と面会祈りのために3日間。慰安室に通いました。
祈り始めると雑念が色々入ってきました。静まって、雑念を取り除いて祈りつつけるのは難しかった。
遺体との面会時間は1時間でした。けれど粘って伸ばしてもらいました。
『目を覚ませ、タリタ クミ!』  復活を祈りました。

 冷たくなった遺体、腐敗を防ぐために、冷蔵庫に保管されています。冷蔵庫の外に出ているときに目を覚ますように祈りました。

 葬儀は、キリスト式では無かったので・・嫁ぎ先のたっての希望もあり、天国に迎えられたのだから、葬儀は残った者の心のけじめにあるような式です。 と思っても。キリスト式で葬儀をするなら、私が行いたかったし、それまで側に居たかったのです。

 『十分して下さったのですから、先生は帰って頂いたも良いです。』と、亡くなったキリストの娘の実の母からも言われました。

 『あれだけ苦しんだのに、安らかにほほえんで亡くなったのだから、先生無理に起こさないで下さい。』とも言われましたが・・出会うときにはいつも帽子を被り、マスクの顔でしたが、とても綺麗ほほえみを讃えた寝顔に涙が溢れて仕方願買ったです。

復活を祈りました。聖書のことをもっと詳しく教えて、クリスチャンをしての証しをしてもらいたいな〜と思ってもいました。3歳になる一人息子の元に返したかった!

 神戸に帰っても、目を覚ますように祈り続けました。今日28日の午後に本葬が終わり遺体が焼かれました。

 遺体が焼かれないで葬られる国では、遺体が息を返すことがあります。遺体が腐敗始めても、その側に居てズ〜〜と祈ることが出来たらな〜と思います。アフリカ、インドネシアでは、亡くなったクリスチャンの数人が復活をしています。

 昨日からメールや電話に一喜一憂していました。息を返した、復活したとの連絡を待っていました。
祈るならば祈るだけの雑念との戦いでもありましたが・・

 祈り待ちましたが、無念ですが、娘はその息を返しませんでしたので、その霊と魂を、神に返すことの祈りを、今日の午後にしました。

 ダビデも、その息子が死んだときに、喪に伏して、断食と灰を被り、復活を祈りました。けれど、息子は蘇らず、家来はその態度の一変に驚いたと聖書が記録しています。

 闘病し信仰の戦いに勝利して天国の神の御胸に抱かれてのだから、栄光を神に返し、その霊と魂を神に返す決心をしました。哀しいけれど・・未だ若い33歳でした。3歳になる息子がいる。機会を見て、結婚相手の家族にも福音を伝える事が出来たらと思います。

 沢山の祈りの助けを感謝申し上げます。


 
ラザロの復活


    北イタリアにあるスクロヴェーニ礼拝堂のラザロの復活の絵画