白血病と闘って!

 私がその子と知り合ったのは、かれこれ3年前でした。私が鹿児島、徳之島に宣教旅行したときに知り合ったクリスチャンの姪御さんでした。

 急性白血病になったので祈って欲しいとのことでしたので、上京してお目に掛かりました。
当時は、キリストのことは知りませんでした。そこでキリストの十字架の救いと力を説明。前向きに考えて見ると言われたので、キリストの救いと癒しを説明しました。

 それからメールとのやりとりを始めました。聖書のとらえ方や癒やし、救いのことを伝えました。
2度目にあったときにはキリストの神として信じると言われました。

また、同時に住まいからそれほど遠くないところにすんでいた、クリスチャンの女性を紹介しました。同じくらいの年齢だったこと、信仰の友、ダビデとヨナタンのような関係になれたらと思いました。その方は、私が期待した以上に、娘の友、心の支え、信仰の支えとなっていただきました。感謝にたえないです。

 ドナが見つからずに不安になったり、イライラしていましたが、そのたびにメールで聖書の言葉や励ましの言葉を贈りました。3度目にあったときには、医師に対しての紹介が、私のことを『父です。』と紹介されました。
めくらっている医師に『私の父のような牧師先生です。』と慌てて訂正をしましたが、とても嬉しく感じましたよ。
訳あって若いときに、実の父親を亡くしていたので、私をそのように呼んだと思います。弱気なときにはメールや電話で叱ったりもしましたから・・・

 感情移入は、牧師としては余りしないのもですが、その日を境に、より身近に、実の娘のようにとして祈り始めたことは事実です。

その頃時には既にキリストを信じていましたが、彼女の自宅近くの教会を紹介。その牧師からの祈りや洗礼を望みました。健康になることだけを考えて、将来的に信仰成長のためには、自宅近くの教会からの心と体のケアーが大切と思いました。東北の地震後、その教会はボランテアで忙しくなったようです。けれど伝道師先生が忙しい中、病院に来て下さいました。

 祈り続けて、Twitterなどから6名がドナー登録者が現れてとても感謝です。

骨髄移植は2度しました。2度目は今年になってからです。『移植が定着したよ。もっと祈ります。』 これが娘からの最後のメールとなりました。

他にもメールはしていましたが体長を思い、返事は要らないと、聖書のことや、その時々の祈り方、また詩篇23編から
「喩え死の影を歩みとも災いを恐れない。」 ように、辛いけれど乗り越えたら、安息の完治があるからねと励ましていました。

 私自身も、キリストの癒しを、必ず娘が癒やされることだけを考えていました。母の痴呆症から記憶が戻り、私の癌も癒やされたから・・白内障の方、歩けなかった人が歩けるようになったり・・神の癒しを沢山見てきたからです。
クリスマスローズ

 2度目の移植は、少しだけの定着でした。少し元気になったので、もっと神に近づくように、洗礼を勧めましたら、受けたいとのメールが来たので上京。病床洗礼を予定したら、神様の取り計らいでしょうね。急に当日は一時退院が許されたので、彼女の自宅で洗礼を授けることができました。病床洗礼

とても喜びに溢れ血色も良く、治る、癒やされると思いました。その洗礼を受けた日から、癒しが第一では無くそれは結果であると話し方を替えました。キリストの十字架通しての救い、永遠の命、天国に帰る、神の使命をこの世で達成するために、健康と癒しの恵みがあると話しました。そのこと喜び理解して、『先生お父さん祈り方を替えます。』とメールももらいました。このまま回復すると思いました。来月に会いましょうと約束をしていましたが・・・

 急に感染症に掛かりました。感染症と闘う白血球が足りませんでした。 危篤状態?現場にいなかったので、その症状がつかめませんでした。数日後には熱が下がりました。 <その頃。沢山、Twitterから、助けの祈りを頂き感謝です。有り難うございました。>

 ホッ〜と安心していました。このまま癒やされると思いました。親族からの報告も良いでしたが、数日間でした。
急に様態が激変しました。

 21日 午後3時前に永眠しました。 祈りが。。届かなくて・・・答えは見つかってはいませんけれど・・ しばらくブログやTwitterを更新する気持ちが起きませんでした。
 
癒やされることだけを考えて、まさかの結果に唖然としています。天国で神からの回答があるともいます。

痛みに耐えて、闘病していた娘が一番。天国で安らいでいることが慰めです。