私達の日本には・・

 海外から多くの宣教師達がやってきました。
家族と別れ、多くの祈りと支援。資金もつぎ込まれて、日本人が救われるためにと強い信念を持ってやってきました。

 仏教も海外からやってきました。景況と言われる中国を通じて原始キリスト教も日本に伝わってきました。
仏教の法が、当時の天皇家や武士達の政策に最適でしたので保護されて、景況か阻害されました。
夫婦は一婦で複数の妻を持つ事を許していなかったので、ザビエル宣教師に指摘されて、豊臣から嫌煙されました。
                                     ザビエル

 ザビエル宣教団は外国からの生活習慣、文化も、武器も、第一であったキリスト教ももたらせました。
自由と封建主義は相反していたので、鎖国によって閉ざされました。出島などわずかな所では許されていました。

 明治に成って開国されて、海外の文化や教育導入が目的でしたが、指導者としてキリスト宣教の教育を受けた指導者達が多数、日本に来て、個人的な関係を気づきながら、キリストの信仰の種を多数蒔きました。

島根の松山の小泉ハーン(怪談で有名)とか、英語の教師としてきたバックストーン先生。彼からは日本のキリスト教の歴史の一部が始まりました。明治のリバイバル信仰にもつながりました。

 余談ですが、明治になっても隠れキリスタンが大阪府高槻の奥山にいたことをご存じですか?

 太平洋戦争で一途絶えましたが終戦後、多くの宣教\師が日本に来ました。
その一人が、私の恩師、前のブログにも書いたピッカリン宣教師でした。先生は文化や習慣を日本に持ってきましたね。ピューリタンの流れを汲む信仰を持っていました。カナダの保守的なバブテスト教会から派遣されました。
日本で40年間、日本でも特に、宣教師の墓場と言われた富山(浄土真宗が強い土地)で過ごされましたね。

他にも多くの宣教師によって、日本のキリスト信仰がつづられてきました。私達はその背後にある神様の忍耐と愛に感謝を捧げています。

 アフリカ、カトリック教会には、キリスト宣教に、黒人のマリヤ像があります。
土着信仰の融合されたカトリックがあります。宣教師達の苦労の結果ですが・・?疑問視を個人的にします。
基本を曲げないことが大切かと思います。基本を曲げなかった宣教師達もいて殉教の歴史もあります。人食いの習慣のある土地で、殉教死したあと、その子度達がまた同じ所に宣教しました。そして彼ら、自分の親を食べた人たちが、救われました。

 文字の持たない少数民族に、言語を収録し纏め、聖書を作る宣教師を、私の知人の息子がフイリッピンの山奥にいます。

 日本人が海外に宣教に行きます。行くときには使命が溢れて、その国に骨を埋める覚悟の言葉も聞いてもいます。数年したら帰国、あの時の使命感は何処に行ったのかな?と思います。使命には期限は無いのでは個人的に。・・・恩師のピッカリン宣教師の働きと慎ましい生活を見て思います。

 日本人宣教師を訪ねて、私が彼を訪ねて行きました。一緒に色々教会を回りました。
現地の子供に、その宣教師がすごい人でしょうと聞いたら、その子どもは、こっそりと、教えてくれたことがあります。
普段は、教会を回らずにいて、家にいると・・・日本人が、私のような者が来たときだけ来ると聞いて失望しました。
あえて、その日本人宣教師には確かめませんでしたが・・ ただ予定を早めて帰国するように告げられました。その国では生活水準が低いのちょっと贅沢な暮らしに、現地人から見たら見れるでしょう。宣教師も個人的には色々のタイプ、信仰、考え方の人がいます。

 苦労した宣教は、主が顧みてくださいます。牧師、信徒関わらず、宣教はキリストの愛と救いを伝える使命がある事を忘れないようにと、恩師の死を聞いて思いました。信仰は個人から個人にと伝え引き継がれてきます。
個人関係が良くて、また伝える人の性格が・・信仰姿勢が影響する、注意しています。