今日、手紙が届きました。


 カナダトロントからの知らせが、一旦。宮城県にお住まいの奥田牧師先生の所に届けられたのですが、インフルエンザが長引きの為に、私の所には知らせが遅れた様子です。

その知らせとは、私が洗礼を受けた宣教師ピッカリン先生が、2月16日 89歳でに亡くなられたとの知らせでした。

 私が中学生の頃に、扁桃腺の手術で入院中。麻酔から覚めた頃に偶然。ラジオから流れてきたキリストの話を聞いていたら、「病気の人のために、治るように祈ります。』と聞いたので 何となく・・『アーメン』と思ったら、何故か不思議な感動と涙が溢れてきました。??変な感じでしたね。

手術後の検温に来た看護師さんが、『あら!?不思議と熱が出ないわね?』と言ったことを覚えて、キリストが治した!と疑うこと無く 直感。 信じました。

退院後、同級生にその話をして見たら。教会を知っているとのことで、教えてもらって、初めて高岡バブテスト教会に行きました。

笑顔で出迎えてくれた、宣教師、ピッカリン先生。子供が女の子3人と男の子は一人、マリオン婦人との家族でした。子供達が、私と同じくらいの年頃でもあり、直ぐに打ち解けました。

教会も比較的若い人が多くいて、その人達も同級生位から10歳前後の人たち。また年配者達もいて、まるで家族のような構成の教会でした。

帰校する途中に教会があって、毎日立ち寄っては、会堂で、上級生のクリスチャンに学校の勉強を教えてもらっていました。

 時々。奥さんが手作りのケーキを差し入れてくださって・・私が西洋料理に関心を持ったのは、マリオン婦人が作ってくれた家庭料理や手作りのケーキのおかげですね。

ピッカリン先生が音楽=賛美歌の指導もしてくれました。私の家族からは、『おまえは音痴だ!』と言われていたのですが、 ピッカリン先生は、けなさないで、しっかりと音程を教えてもらいました。

 キリスト&聖書への質問も、当時たどたどしかった日本語で教えて頂きました。当時の聖書は文語訳で、特に外国人難しかった<中学生だった私にも・・>のですが・・

 先生への質問と的確な回答に、心が開きました。ある日に、キリストが生まれる前の預言と、キリストの生涯が一致していることを説明されて、私は信じました。

イザヤ書
3:1 私たちの聞いたことを、だれが信じたか。【主】の御腕は、だれに現れたのか。
53:2 彼は主の前に若枝のように芽ばえ、砂漠の地から出る根のように育った。彼には、私たちが見とれるような姿もなく、輝きもなく、私たちが慕うような見ばえもない。
53:3 彼はさげすまれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で病を知っていた。人が顔をそむけるほどさげすまれ、私たちも彼を尊ばなかった。
53:4 まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった。だが、私たちは思った。彼は罰せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと。
53:5 しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。
53:6 私たちはみな、羊のようにさまよい、おのおの、自分かってな道に向かって行った。しかし、【主】は、私たちのすべての咎を彼に負わせた。

 ピッカリン先生の指導の下に、中学3年の3月3日に洗礼を受けました。

 ピッカリン 先生葬儀式進行に書かれていた言葉の抜粋から

 Frank Leon Pickering は   ピッカリン先生0001
1923年6月14日生まれー2012年2月16日に
天国に旅たたれました。

1944年から当初 日本(戦争が終わる)に送られることを目的とするゴードン・ブラウン博士の指導を受けて、Rumiymedeバプティスト教会副牧師でした、そして、7年後に、彼はブリティッシュ・コロンビアのバプティスト宣教師として日本に行きました。そこで、教会開拓者をして3つの教会を立ち上げる他に、カナダから来る宣教師の先駆けとして、他の宣教師を指導したりして、日本に来て3 7年を過ごしました。

1950年に、彼はマリオン・ハリスと結婚しました、そして、日本で一緒に、彼らは4人の子供たちを育てました。

2004年に、トロントに出かけた時に、お目にかかりました。トロントから車で1時間離れた田舎に住んで居られました。 1990年代に、引退後、バンクーバーでもお目に掛かっています。

 日本には多くの宣教師達の生涯と、外国からの巨額な献金で、教会が立ち上げられて、信仰は日本に神より与えられて来ました。引退なさった後の生活を、教会を支えていました。その点、日本の牧師が引退後は、教会から切り離されている気がします。チョコッとその点の違いと、残念さを思います。 日本の教会の今後の課題ですね。

 さて2月頃。私は、何故か夢に見ては?やけにピッカリン先鋭のことを思い出しては、懐かしみ、ピッカリン先生を思い出していました。神様からの思いだったんだな?と今 思います。


連絡をくださった奥田牧師先生は、東北地震後、連絡が途絶えていましたが、同時に、無事が確認できました。
お祈りしてくださった方々にもお礼申し上げます。

 送られてきた葬儀の報告書には、生前。ピッカリン宣教師先生が好きでよく歌っておられた賛美歌が印刷されていました。思い出しては涙が溢れてきます。青春と当時。教会で過ごしたクリスチャン達の安否も気になります。

ピッカリン先生から教えられて、私も好きな賛美歌 主我を愛す。他2曲 葬儀でも歌われました。
よろしければ、おききください。

Yes Jesus Loves Me   http://youtu.be/uves7vM41q4

        http://youtu.be/uHm9Ggdanyo  Whitney Houston が歌っています。

be still. my soul      http://youtu.be/DQlUAhdvkXA

Adide with Me Hvmn     http://youtu.be/cuQHYAyRynE

上記の曲を聴きながら、思い出し懐かしみ・・波が出ますね。哀悼と神に感謝を捧げました。