祈りが届かない、失望感は・・

あなたは祈っていますか…誰に祈っていますか?
天地の創造主であり、父なる神であリ、キリストにですか?
祈りが答えられなくて失望していませんか?

祈りは直ぐに出来て簡単だけど、答えがないときには
また理由を捜して難しくも考えます。どのように祈ればいいのか?
自分の心の悪を捜して、答えられない理由にもします。
年月を掛けても、答えられないときには、神と自分にさえも失望します。

答えを急ぎ 先に求めても、その答えが無く失望します。

けれど、答えより大切な事はその神との関係です。
あなたの神の距離はどれくらい近づいていますか?

神は、いつも私達に聞かれます。『あなたは何処にいるのか?』と
『あなたは何をしたのか?どうしているのか?何故なのか?』

これは、アダムに、聞かれた質問のことです。
同じように、アブラハムにも聞いておられます。
何処にいるのか><彼はメソポタミアのウルから呼ばれてカランまで来ました。

アブラハムが最終的な祝福を得るまで、数十年の年月を要した祈りもあります。
ダニエルの祈りにも、直ぐに答えがなかった。天でサタンの戦いがありました。
ダビデも嘆いています。
詩編22:2『わが神。昼、私は呼びます。しかし、あなたはお答えになりません。
夜も、私は黙っていられません。』

そのようなときには神はあなたに聞かれます。
『あなたは何をしたのか?どうしているのか?何故なのか?』を聞いては
そのたびに、毎回に答えと導きを出されています。答えを出す前には、
彼、アブラハムとその都度に、関係作りを大切にしている神がおられます。

神が願う方向へ、神が忍耐して導いています。
神のたてた救いの計画に合うように、アブラハムの人格の育成をしている。
時には失敗をしても・・神は『彼の盾』となっておられます。
彼の願望を叶えたようでも、イサクで試されたのは、神への信頼関係でした。

イエス様はあなたの苦しみを知って、天の父なる神の前でとりなしておられます。
山の裾野から、頂上を見上げても頂上の様子が分かりません。
登るには しんどくて、天候(世の風)の影響もあります。「そんなの祈っても無駄だよ。」と風が吹きます。
でも頂上からは、裾野の様子がよく見えます。
神は天からあなたを見つめているのです。

ヤコブ4:8『神に近づきなさい。そうすれば、神はあなたがたに近づいてくださいます。
罪ある人たち。手を洗いきよめなさい。二心の人たち。心を清くしなさい。』 
このヤコブ書の御言葉の前後にも、興味深い言葉が書かれています。

悲しみが喜びにかえる日が来ます。試練から解放される日が来ます。
その日を待ち望める原動力は神への信頼です。

ヤコブの4章には、幼子のように喜怒哀楽で、神様に訴え祈る事も勧めています。
悲しいときには悲しいと、辛い時には辛いと率直に訴えて祈る事を勧めています。
その間に答えられないように感じても、神はその間に答えを用意してくださっています。

あなたの病は霊的な囚われのようであっても、解放されてプリムの祭りを迎えます。
エステル9:22 『 自分たちの敵を除いて休みを得た日、悲しみが喜びに、
喪の日が祝日に変わった月として、祝宴と喜びの日、互いにごちそうを贈り、
貧しい者に贈り物をする日と定めるためであった。』

病になる前に成る前に、霊的に病の足がかりに、(囚われとなった原因)
なってしまったことからも解放されますように。
不摂生とか身体的な 神経的な疲労とか いろいろありますけれど・・

時が来ると花が咲くように、あなたの人生にも、花が咲きます。
あなたの人生は必ず祝されます。病んでいる人は、必ず癒やされます。 
神の御言葉に従う者への特権を受けます。

諦めないでください。父なる神の御心と言う、山に登っている途中ですから・