高取山から神戸空港を望む あれから15年が過ぎ去りました。

神戸震災の記念日ですね。 色々の人々が
その瞬間何が起こったのかが把握できませんでした。その把握する間もなく、多数の人が
亡くなりました。

 その日は多数の人々が、人生を変えてしまった日ですね。 私は田舎で、TVの報道を見ました。単にどこかの火災現場からの報道かと思いました。でもテレビに映し出された様子を、同じ月の2日前。1月15日に、大阪のある教会で行われた、日本のために祈る集会中に幻として見た風景に驚かされていました。

その幻は、淡路島から黒い雲流れて戸紅向かうと大きな地震が起きました。(その日が堺市のホテルに宿泊して、対岸の淡路島を見ていました。その子は黒い低い雲がありました。) 地震の後に火と煙の中に、大勢のの人々が、キリストを知らないまま消えて行き戻ってこない幻を明確に見ました。

私も初めての経験でした。 その時は単に夢のような出来事でしたので
数人と分かち合い、日本の救いのために祈りました。

ルミナリエの輝き4私はまだ献身しておらず、一般信徒でした。
でも、その時に、日本の救いと癒しを祈り初めて
手を触れていた方々が、聖霊によって満たされていく倒れるという現象が、初めて私の身の回りで起きました。

ルミナリエ3

 地震から1年後に、初めて神戸長田区にある神戸栄光キリスト教会で行われたセミナーに参加した際に、その休憩中に長田区の菅原通りに出かけました。

未だ沢山の空き地があり、アーケードは崩れて直ってはいませんでした。曲がり角にあった赤い郵便ポストが鮮明に記憶に残っていました。あの幻を見た時、鳥の目のようになって、私が空から下を見ながら、幻を見たのですが、赤いポストの角を間がると、大きな火事と救われずに煙の中に消えて行く人々をを見ていたのです。

ルミナリエ2その場に泣きながら祈りました。それから数年後に、一人の兄弟の献身的な支えによって献身準備である神学校に導かれました。

神学校卒業後は、四国徳島、または田舎である北陸に帰り、キリストの開拓宣教活動をする

予定でした。 しかし40日の断食を2度行って、神戸に住んで宣教活動を始める幻と聖書の言葉によって、神戸に住み始めました。

神戸の震災は、私の人生をある意味で変えました。
実際に被災して、涙する人々を見つめると、何故か悲しくなり魂への責任を感じます。 

神戸の街は復古してきましたが、 被災にあって家族を失った人々の心を癒すには年月が必要です。 でもキリストの愛が心を癒すと信じています。

私の心も弱く、私自身のみにも、色々の問題が次々起きていて思うようには先へは進みませんが、いつの日にか与えられた夢ミッションを現実化したいです。                    09ルミナリエの輝き1

神戸で実際に被災した方々の魂が、残された人々の魂に、神からの真の平安が来ますように。

下記のURLは友人を亡くした方の祈りの歌

http://www.youtube.com/watch?v=U0L-LzsB2hs

また神戸のメモリアル讃歌 幸せ運べるように

http://www.youtube.com/watch?v=BNRR7FI1OjE


YouTubeですが、どうぞお聞き下さい。

ハイチでも地震が起きました。 医師たちが支援に行きました。
でも、政府の救助支援活動が遅い気がしました。
調査団が先???とのコメントでした。

私が、北アフリカのアルジェリアに滞在時の大地震の時も、日本からの地質調査団が調査ををしていました。でも一番欲しいのは 救助の人出と水と食料と混乱を招かないための情報だと思いました。

新潟小地谷で地震があり、姉が被災しました。一時的な集中的なニュー−スではなく、長いスパンの情報と人手はいると思いました。
いそれにしても、それぞれの震災で、心が癒されて、再び大きな震災に遭わないことを祈ります。