ベルリンの壁は、東西社会の隔たりの・・

 自由社会と共産社会主義のイデオロギーのぶつかり合いの象徴でした。あの壁が崩れ去ることなどは、当時は誰も思いもしなかったと思います。当時はその壁の先に理想の自由があると宣伝されもし、実際にそう信じた東ベルリン市民がいました。そのために多くの犠牲、死人=銃殺をされても良い覚悟で壁を乗り越えようとした人々がいます。

 確かに壁が無くなることは、強い希望や願いはありましたが、あれほどの歴史が、数日間の出来事で代わるなどとは誰もおもいもしなかった!

 自由に対する根強いあこがれが、東ドイツには在ったことは事実です。 人々には自由あって当然のように、一般に思われてもいました。

 自由とはフランス革命後、王族や貴族に押さえられていた時代から解放されて、一般市民が勝ち取りました。日本も自由社会と言えるようになったのは、戦後ですね。 明治、大正時代にも確かにそれなりの自由はありましたけれど・・

 自由には責任が伴いますね。 今はその責任無しでの自由を言う方も増えてきています。

 社会主義下の平等制度は、世界の歴史の中では少ない。また困難だと思います。ベルリンの壁崩壊ご20年過ぎて、それを懐かしむ風潮が芽生えてきてもいます。

 そこには経済的な隔たりに対しての不満があるからですね。自由になったけれど・・経済的に自分の手で生活しなければならない責任が伴っているからです。

 聖書の教える共同生活での平等性とも違う、社会主義を懐かしんでいます。経済的のみ恵まれることを望んでいます。でも神が与えた自由を無くしてしまったら。。経済的に恵まれてもなんの意味もない気がします。

 社会主義の基本は、共同生産性です。でも本来の自由がともなう共同生活とも違います。。本人の意志で、少ししか働かないでも食べられると言う考え方も芽生える気もします。 北朝鮮の社会主義も貧富の差を生んでいます。中国も社会主義と自由経済の狭間に貧困の壁があります。

 自由主義の全て良いとは思いませんけれど・・ 力・・日本の言う勝ち組の考えには抵抗感があります。その努力は理解もしますけれど・・ 日本が・・世界が人に優しい社会に成ればと思います。

 自由の中に有る格差という壁が無くなればいいですね。弱い人々・・子供や老人、病人等に代表される一般的に弱い立場の人々に対して、いたわりがあれば、大きな隔たりの壁は生まれにくい気がします。

 経済的な壁ばかりでもなく、それぞれの人生には乗り越えなければならない壁があります。その壁をのりこえる原動力、言葉 希望は・・私は全てキリストから頂きました。今も乗り越えなければならない大きな壁がありますが、きっと乗り越えられると信じて明日を迎えようとしています。