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心の風景、愛の聖書、福音と癒やしと日常から。ミカエル小栗

ミカエル小栗がつづる心の風景。聖書の福音は愛と救いと癒やし。日常の出来事の心の雑記帳風景ブログです。聖書に基づくカウセリング、祝福と救いと心の癒やしを祈ります。あなたの教会のメッセージ奉仕もします。ご依頼はメールにて!

2020年07月

九州で大雨の大災害発生。
また、ある人は病で病で苦しんでいる。私たちに襲ってくる突然の不幸。私たちクリスチャンはいかに自分の心を整えるべきだろうか?

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大災害、大洪水で人類が滅びことがあります。そしてノアとその子供たちだけが生き残った後、その光景があまりにもひどかった!心を痛めた神様は固く約束なさいました。
「このような洪水人を滅ぼさない」と約束しました。
だけど、近年の日本は温暖化?異常気象が続いて歴史を塗り替えています。

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この神様がノアに約束を踏まえて考えると、大洪水で日本や世界が一斉に滅びたわけでは無い事は明らかです。1部限定な地域に洪水が起きているわけですから。
なので、神が与えた洪水では有りません!

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だとすれば、どのように私たちは思えば良いのだろうか!?心を定め難く迷いが生じます。

洪水や家族の死に直面した人の心中は計り知れず悲しみは深いのです。「これは試練ですきっと、乗り越えられます。」と励ましの言葉もときには、直面した人には、さらに傷を深めることがになりかねません。

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災い、不幸、重病、そして死に直面した時。私たちにとって重要な事は、クリスチャンとしてのアイデンティティー{自己の存在価値観}ではないでしょうか!?

その存在価値は大変すごいものです。父なる神は、神子の命を犠牲にしてまでも、父親に反抗し出て行ったあの放蕩息子のたとえのように、私たち1人々を、我が子として迎え入れる程に溺愛してくださいます。

溺愛しているの(されているはずなのに)に、なぜこんなことが起きるんだろうか?と思うかも知れませんね。

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あなたが信頼し愛している友人がいたとします。いや友人よりも愛している人、我が子に置き換えてみるといかがでしょうか?

我が子が絶対に私を裏切らないと言う強い確信を父母は持っています。そんな中で、隣人から嘘の話が伝わります。「ねえ、ちょっと聞いてよ。あなたの息子(娘)さん、自分の親のことをひどいと話していたよ!私の親はいつも懲らしめてひどいことをするのだ」と隣人から言われたとしましょう。
その隣人は嘘をついているのです。

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我が子は決してそのようなことを言わないと信じています。しかし隣人からの嘘の攻撃があまりにも強く、親は決してそのようなことを言わない息子(娘)だと理解していて隣人には 「君はそれは嘘じゃないか!」と答えますが、隣人は〈そこまで言うならそれを一体どうしたら証明できるんだ〉と言われてしまいます。

困ったあなたは、親は溺愛しているあまりそれを証明したくなったとしましょう。その隣人に「ちょっと嘘の情報なら、わざと流して 私への愛を確かめてもいいですよ」と許可してしまいます。

調子に乗った隣人は親と子供の愛を引き裂こうと試して見ようと仕向けてしまいます。
不幸や災い、重病を生み出すように生活環境を変えさせようと仕向けてしまいます。

しばらく忍耐し様子を見ていましたが、溺愛が勝って『もうその辺でよくわかっただろう。私の子供は決して親を裏切らないから、彼に間違った言葉を言ったり、間違った道に進んでも、私は必ず引き戻すから!』と隣人に試みる、試練を下す事から引き下がるように伝えました。

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上記の例え話は、聖書ヨブ記を身近に置き換えたものです。神は私たちを溺愛するあまり、時として私たちをさらに深い神様の愛の深みに導くことをなさるような気がします。

最後まで神様から離れず、希望を持つものは、最後に神様からの大きな祝福、永遠の命を確立いたします。それは神の子キリストを信じることから、離れないことから、神の愛を深く味わい知ります。

神様に近づこうとする時、サタン妨害がありますがありますが、へこたれず、神に近づこうとする時 救いの手があり今まで見えなかった、目に入らなかったものが見えてくる聖霊の導き、神の世界が広がっていきます。

神子の命を犠牲にしてまでも、私たちを溺愛されている父なる神が居られる事を再認識しましょう。これがクリスチャンのアイデンティティー(存在認識)の土台なのです。
例えば、百合の花のカサブランカ(その他の花々にも)近寄って拡大していくと新しい形や、細胞までが見えるようになるわけですから、絶対何があろうとも父なる神から離れずついていきましょう。

新たに大きな祝福があるようにお祈りします。

 おはようございます。
最近は友人からもらった製パン機でパンをつくりますが、 市販のパンには添加物や保存剤が含まれる可能性が高いですけど、自家製には無く安心して食べれることを感謝します。
さて、「悪意と不正のパン種を用いたりしないで、パン種のはいらない、純粋で真実なパンで、祭りをしようではありませんか」(1コリント5:8)

昨日 準備するときに、タルトとパンを作ろうと思って準備をしていました。パンの分量をきちっと計ったつもりでしたが、大きなミスをしました。

製菓用の薄力粉を間違ってパンに使ってしまいました。その他の分量バターやイースト砂糖などはきっちり測っていたのですが、肝心の小麦粉が強力粉はありませんでした。焼き上げる発酵段階で変だなぁと思って、、小麦粉が間違ったとハッと気が付きました。
どんなにきちっと分量を測っていても1つ間違うと出来上がり、完成具合が違ってしまいます。(食べることができたけれど、)理想通りの仕上がりではありません。
パンを作るときはパン種になるイースト菌は不可欠ですが、その他の材料の分量によって出来上がり、焼き上げる色合いも違ってきます。
パンを焼くときに不可欠なものがもう一つあります。それは塩です。

私たち個人個人もそれぞれの個性や持ち味があります。神様は教会を立ち上げるために私たちの個性やタラント賜物を用いようとしておられます。
その中でパン作りに例えるとすれば、塩は教会をひとまとめにする働きをする働きに通じる気がします。
パン種は教会を成長させる聖霊の働きに似ている気がします。
聖書ではパン種を入れないパンを過越の祭りや聖餐式に用いるように書かれ勧められています。強いて例えるならば神の力、聖霊が入らない罪の形 原罪の形から救われた感謝と賛美を意識し、神によって救われる望みと信仰をさらに膨らませるように勧められている神様の思いではないでしょうか。

私たち一人一人がその個性に合わせて塩の働き、パン種の働きを発揮させて教会成長とか 信仰の成長を発展進めていきたいと思います。
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「あなたがたの高慢は、よくないことです。あなたがたは、ほんのわずかのパン種が、粉のかたまり全体をふくらませることを知らないのですか。
新しい粉のかたまりのままでいるために、古いパン種を取り除きなさい。あなたがたはパン種のないものだからです。
私たちの過越の小羊キリストが、すでにほふられたからです。ですから、私たちは、古いパン種を用いたり、悪意と不正のパン種を用いたりしないで、パン種のはいらない、純粋で真実なパンで、祭りをしようではありませんか」(1コリント5:6〜8)。

「塩」は聖書の中でかなり重要な言葉になって、「神の契約の塩」(レビ記 2:13)、「永遠の塩の契約」(民数記 18:19)、「塩の契約」(歴代誌 II 13:5)、「塩をまき」(エゼキエル書 43:24)(士師記 9:45)、「地の塩」(マタイ 5:13)がみられ、健全の生活には「塩味のきいたもの」(コロサイ4:6)があり、「塩は、ききめのあるものです。しかし、もし塩に塩けがなくなったら、何によって塩けを取り戻せましょう。あなたがたは、自分自身のうちに塩けを保ちなさい。」(マルコ 9:50)
上記、

以上から、私の今日の失敗は、よく確認しない、作り慣れてるからと言う安心感が大きなミスを招きました。
神様は私たち一人ひとりに素晴らしい素材としての恵みを与えておられます。
食材を図る=聖書によって吟味される素材(聖書箇所)を用いること。
パン種の用い方に注意すること。入れすぎても足らなくても良い膨らみ方はしません。ちょうど良い頃 具合に神様がパン種 聖霊を 祈りの答えを注いでくださいます。
注いでくださった以上に大切なのは、私たちが練り上げられることです。この練り上げ方が(試練)不足するとおいしいパンはできません。そのタイミングを見計らう目が必要です。それと出来上がりを期待する希望と信仰、食べていただく神様(共有する教会メンバー)に対する愛が必要ではないだろうか。

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