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心の風景、愛の聖書、福音と癒やしと日常から。ミカエル小栗

ミカエル小栗がつづる心の風景。聖書の福音は愛と救いと癒やし。日常の出来事の心の雑記帳風景ブログです。聖書に基づくカウセリング、祝福と救いと心の癒やしを祈ります。あなたの教会のメッセージ奉仕もします。ご依頼はメールにて!

2018年07月

神戸 ハーバーランドにて、

遠方からの来客がある時にご案内させて頂きます。
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全国から様々な癒やしのために、聖霊のバブテスマを望む方、

聖書から霊的カウセリング=信仰を保つためのアドバイスを求めて来られた方々に、
アフターケアー→電話 メールで行っております。{癒やされるため。聖書からのアドバイス}かれこれ10年以上メールと電話している方がおられます。
そして沢山ある教会、多数の牧師がおられるなら、私を選んで下さり、相談者と神、イエス・キリスト様に感謝しています。
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ある教会に所属しておられるが、その教会では余り積極的に癒やしを祈ってくれない{若い頃に居た教会が、そのような教会でした。神の導きと訓練から、母親が、アルツハイマー記憶喪失から奇跡的回復、神が癒して 救いを与えたことから、今に至っており、感謝しています。}

祈りのため来られる前に、所属している教会がある場合は、牧師先生の認可を貰うようにお勧めています。集うそれぞれの教会牧師から、神は霊的な保護下をその相談者に据えられたと思うからです。恵みと賜物はキリストの身体である教会の徳を高めるためです。

帰られてから証をするように、どんな小さな癒やしや信仰的成長があっても、教会や隣人に証=福音を語ると恵みが帰ってきます。最初は僅かな癒やしであっても、癒やされた恵みと福音を語ると次の大きな癒やしにつながります。
聖霊が喜ばれる救いと癒しの証です。
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何故でしょうか?
閉じられた東の門から小さな水が流れて、次第に大きな河となり泳げると聖書 エゼキエル47章1節に書かれています。
祈っても未だ完全ではなくても、少し良くなれば、その点を神様に感謝すると大きな恵みと癒やし、完治するように祝福されます。賛美や感謝を忘れたり、証が怠慢になると病や恵みが消える!与えられたが神の元に戻った事も実際にあり知っています。

ルカ17:15〜
17:18 そのうちのひとりは、自分のいやされたことがわかると、大声で神をほめたたえながら引き返して来て、イエスの足もとにひれ伏して感謝した。彼はサマリヤ人であった。 そこでイエスは言われた。「十人いやされたのではないか。九人はどこにいるのか。神をあがめるために戻って来た者は、この外国人のほかには、だれもいないのか。

稀に、教会が残念ながら認可なさらない事も有ります。
私の処に来ることを、その教会が不認可なさり、その教会で『祈るから小栗の所には行かなくても良いと言われました。けれど、病気は治りませんでした!』その結果。教会から離れ、私にも相談することを止めクリスチャンからも離れた方も残念ながらおられます。

またそれでも不認可になっても、神様に個人的に求める方もおられます。長い間。私も悩みました。
前記事で教会、信仰から離れてしまい、私が所属教会に確認をするように伝えましたが、教会が祈りをしなかった事から、教会から離れた結果を知り、私自身責任を痛感し随分と悩みました! 信仰は元来、神と各個人の関係重視する点も有りませので、先の一件から、個人的に引き受け祈るように変えられました!

ただし依頼者を牧会はしない!私の所では呼び寄せでの定期礼拝をしない。救われた人を、その方が住む各地の教会紹介をしています。{牧会的な相談もお断りしています。}が、神の前にへりくだり様々な癒やし 霊的な相談を祈り求めることにおいては差し支えないと導かれ、個人的に祈りました。
神はその後、奇跡的な回復を与えています。

私をその祈りに駆りたてる御言葉があります。

マタイ18:20 「ふたりでも三人でも、わたしの名において集まる所には、わたしもその中にいるからです。」
牧会は、私はその方 依頼者にはしませんが、祈る事だけは構わないと思うようになりまして、神、聖霊からの大きな恵みを受けました。
十字架と聖書と癒やし

私の処で癒やされた 聖霊の恵みを受けたなら、神と教会で証しをして頂きたいです。
あらゆる恵みと癒しを賛美と感謝をすることから、その恵みと癒しは完成して、次なる新しい恵みと癒しが与えられます。

ある教会内では、癒やしや奇跡の話を好まないところが有るとも聞いています。でも神を証する事は、はばからず個人伝道に役立てたら良いと思います。

癒やしの証は隣人にして、未信者の方々にも沢山してあなたの所属教会に来るように結び付けて頂きたいです。 
私は単純に、共に祈って神の栄光が見たいのです。
教派を越えてご相談に応じています。そして基本無料です。



つい先日に


結婚指輪の話題がSNSに掲載されていました。


ふと私の結婚指輪を思い出しました。

結婚した時、私は二十歳 コックの見習い中、手取り2万円、給料 3カ月分で買えるのダイヤは有りませんでした! {当日 給料3カ月分のセールストークがありました。〕


8年後 妻の誕生石をエメラルドを40万円で購入しました。知人から紹介された店でした。

タンスの奥に隠して結婚記念日に渡すつもりで 買った日、ヘソクリをよく貯めたなぁー? この石一粒が40万か!?しげしげ見てると妻が 帰るはず無い時間に仕事から帰宅しました。私が慌て隠そうとしている私に、私に妻不審がりました。
  

「何か 隠したでしょ!」と強く詰め寄られ、仕方なく記念日までのサプライズは出来ないと ポイと手渡ししました。妻はビックリ‼️した後 泣いていましたね。


結婚する前に 「安いリング指輪は要らないよ。私の誕生石 エメラルドを将来 欲しいから、
幸せな妻との意味がある石なのよー」と語っていました。

一所懸命に生活していた若い頃。妻が本当に幸せだったのかな〜!? 
亡くなる数日前に、「ありがとう」と言ってくれましたので少し安心しています


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妻が癌になり大変 世話になった妻の兄 その嫁さん義理姉さんに 形見として渡しました!
私が仕事で家を空け手十分な看病が出来ない期間中に、妻は実家に世話に成りました。妻が亡くなってから、母親からは『一所懸命に看病したから、いつまでも振り返らないように、その指輪をお礼として義姉に差し上げなさいよ。』と勧められて差し上げました。



譲ってから始めの頃、確かに訪ねたら その嫁さんはそのエメラルド指輪をしてるのを見て私の心境は多少は複雑だったけど、今はそれ以上に 感謝していますね。


何故ならば妻の兄とは、
血の繋がりがある兄 
肉親 同然の状態お付き合いを今に至ってさえもして下さるのです。妻が亡くなり早 40年が過ぎています。支えて下さった妻の兄は私の本当の兄(肉親)のように思えます。
背後には悲しみを乗り越えさせた、イエス・キリストおられます。神様に感謝します。

うまくいかない弱い信仰とか

罪を犯したと嘆くより、 出来た事を感謝します。

祈りの答えが無かった事よりも、振り返って叶った事を思い出して感謝 賛美しましょう。何故?だって 賛美する、感謝する所を住まいとなさる。神は讃美を住まいとなさる私たちの神だからね!

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私たちは聖霊の命が吹き込まれイエスを神だと信じることが出来た 聖霊様の息吹きが吹き込まれて十字架の奇跡を信じる事が出来ました。この事を 救われた事を 永遠の命を差し置いて様々な願いをしても余り感心しない神様では無いだろうか?
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 残りの1%の小さな信仰でも 必ず成長出来ます。 望みは神にあります。私たちの心に、辛子種を蒔いて下さった神様だからね!

沢山の祈りをしても 神が99%も応えてなかった!でもね、残りの1%が有れば 辛子種の様に成長出来るのです。叶えられる願いと祈りはイエス様の栄光になります。イエス様は聖霊は手助けする神として私たちの間に送って下さいました。だから私達の小さな信仰の種に水 聖霊を注いで期待し
成長出来るようにと望み 忍耐して下さいます。

その時。神は期待した以上に祝福し答えますから!大きな困り毎を抱えた難問、医師が見放した難病でも!!死ぬ間際 否復活できる望みさえ残っています。

みなさん 下記の聖書箇所から100倍の祝福に大概 目を向けます。
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別のブログにても書きましたが 神の命令に従い 楽な道に{イサクには神はエジプトには行くなと}行かず、 家族が養えない 飢饉の最中に 神の言葉を信じ種を蒔きました。
種は家族の食糧でもありました。来年 実か保証の無い気候の中!神の約束に信仰を馳せて信じました。
私達が聖霊に導かれ 神の御心に従って献身する信仰の種なのです。
IMG_6879 辛子種

「創 26:12 イサクはその地に種を蒔き、その年に百倍の収穫を見た。主が彼を祝福してくださったのである。」
この祝福の背景!飢饉の時 答えが見えなくても、神の約束の言葉に献身する決断がいるのではないでしょうか?


もう一度 言わせて下さいね。
うまくいかない 弱い信仰 罪を犯したと嘆くより、 出来た事を感謝します。祈りの答えが無かった事よりも、振り返って叶った事を思い出して感謝 賛美しましょう。何故?だって 賛美する、感謝する所を住まいとなさる私たちの神だからね!

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辛子種はあの小さい種から二階の屋根以上になります。
神学校在学中 イスラエルから種を道帰った人がいました。

私たちは聖霊の命が吹き込まれイエスを神だと信じることが出来た 聖霊様の息吹きが在ります。 残りの1%の小さな信仰でも 必ず成長出来ます。 望みは神にあります。私たちの心に、辛子種を蒔いて下さった神様だからね!

小さな望みでも、癒やされたり 問題 難問解決や希望が叶います。
それらが義であられるイエス様の栄光のために!

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初めての聖霊降臨は、

エルサレムの一郭から始まりました。前記のブログではエルサレムはアブラハムがイサクを捧げて献身の決意を表明した場所だったと書きました。
また、サレムの大祭司メルキゼデクがパンと葡萄酒を携えてきてアブラハムを祝福したのです。サレムとは旧名のエルサレムです。またシオンの丘がイサクを犠牲とした岩がある場所であり、後にその丘に神殿が作られたのでした。

メルキゼデクとは誰か?聖書は多くは語っておりません。
ノアの子供。セムは100才でアルパクシャデを生み500年生きたと書かれております。アブラハムはサレム大祭司となっていたセツに出会っていたかもしれないです。

霊的に考えてみれば、「義の王」という意味をもつメルキゼデクはサレム(エルサレム)の王でパンと葡萄酒を持ってアブラハムを祝福しました。最後の晩餐と言われるところでも弟子達とイエス様はパンと葡萄酒を持って弟子達を祝しました。

ヘブル7:3ではメルキゼデクは「父もなく、母もなく、系図もなく、その生涯の初めもなく、いのちの終わりもなく、神の子に似た者とされ、いつまでも祭司としてとどまっているのです。」と書いてあります。

アブラハムは、神の使者3人をもてなしてイサクが生まれることを告げられています。
この3人いた内お一人がイエスであったとヘブル7:3から思えてきます。
メルキゼデクとイエスと同一人物なのか?少なくともメルキゼデクはキリストの型であって主の働きを事前に啓示されています。
メルキゼデクが持ってきたパンと葡萄酒はアブラハムの戦いの疲れを癒やしました。
最後の晩餐で使われたパンと葡萄酒は新しい契約と救い、癒やしの象徴となりました。
イザヤ書53:4
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神がご自身の栄光と祝福を表す地として「エルサレムを離れるな!」と語られた経過をお話ししました。地域性もエルサレムを選ばれた気がします。当時は全世界に散っていたユダヤ人がエルサレムの神殿に礼拝に来ていました。
エルサレルの神殿の役目が終わり、神の霊は私達の霊に注がれたことを、各地に戻り伝えるには格好の場所でもありました。
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イザヤ59:20−21  「しかし、シオンには贖い主として来る。ヤコブの中のそむきの罪を悔い改める者のところに来る。」──主の御告げ──
 「これは、彼らと結ぶわたしの契約である」と主は仰せられる。「あなたの上にあるわたしの霊、わたしがあなたの口に置いたわたしのことばは、あなたの口からも、あなたの子孫の口からも、すえのすえの口からも、今よりとこしえに離れない」と主は仰せられる

聖書の預言でも 主の贖いはシオン エルサレムからと語っていました。イエスはキリストとして復活なさり、昇天後、新しい契約に従って聖霊としてエルサレムに下ってこられました。 二段階で神は下ってこられます。一度目がペンテコステでした。二度目が再臨のp時になります。
続く。

エルサレムという場所はどんな意味があるのだろうか?

ペンテコステとどんな関係があるのだろうか?
旧約聖書をさかのぼってみるとエルサレムという場所がクリスチャンにとっても意義深い場所だと分かります。

アブラハムがカナンの土地を目指すように、神は約束しました。
『あなたが祝する者を、私が祝福をする。』と言われました。創世記12:3
カナンに着き色々有りましたね。戦いに勝利したとき、1人の祭司がアブラハムを祝福しに来ました。
14:18 さて、シャレムの王メルキゼデクはパンとぶどう酒を持って来た。彼はいと高き神の祭司であった。 この祭司はノアの子供の1人だとも言われ 思われています。このシャレムがエルサレムだと言われています。
また、折角 年老いたアブラハムに約束の子、イサクが生まれましたが、神は非情にもその子供を、自分に神に捧げるように命じました。その言葉と行動し献身して、アブラハムが義とされました。イサクを捧げ 神に仕える献身した場所がエルサレムだったと言われています。{エルサレム神殿の中です。}
その場所
エルサレム起点とした様々な人々が旧約聖書の中では神へ
の献身を重ねてきました。
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エルサレム神殿は 獣 牛や羊の血を携えて、民の罪を許して頂く場所ではありました。神殿の奥、至聖所に持って行ける祭司は限られた大祭司だけでした。
至聖所は多くの幕で隠され 一般の民は見ることが出来ませんでした。
キリストが十字架で亡くなったとき、その神殿の幕は上から下に避けたことをご存じだと思います。
そのとき、イエスはもう一度大声で叫んで、息を引き取られた。すると、見よ。神殿の幕が上から下まで真っ二つに裂けた」マタイ27章50−51節
イエス様が死なれた時に神殿の幕は裂け、神様は人の手で作られた神殿を去り、もうそこに住まわれる事はなくなりました。使途17;14 生贄による礼拝と罪の赦しの時代が終わったときが十字架でした。
礼拝の場所 罪の許しを請う場所としての神殿の役目が終わったと神様は見なされたので、イエス様がルカ13章35節で預言された。
ヘブル9章8−9節では古い時代は過ぎ去り、新しい契約が結ばれる事が書かれています(ヘブル8章13節)私達が1人、1人キリストを通して大胆に神に直接祈れるようになったのです。
幕屋の膜が裂けた時、では神の霊は神殿から何処に行かれてのでしょうか?
エペソ2:21-22
『この方にあって、組み合わされた建物の全体が成長し、主にある聖なる宮となるのであり、このキリストにあって、あなたがたもともに建てられ、御霊によって神の御住まいとなるのです。』
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エルサレムの神殿がその本来の役目を キリストの十字架によって終わりました。私達の霊の中に、神殿が新しく建てられるのです。神は、終わりを告げた神殿を、エルサレムの一郭で祈り求めた弟子達に新しい霊を注がれ 新しい神殿を、真理の御霊をペンテコステに日に注がれたのです。
真理の御霊 聖霊によって、私達が大胆に イサクの犠牲に勝るとも劣らない献身を力強く勧めるためのペンテコステはエルサレムから始まったのです。
霊的なエルサレムはクリスチャンに取りましても 霊的な献身をする場所なのです。
神が定めたエルサレム、そこからペンテコステの聖霊が注がれ始めたのです。
聖霊を受け満たされた弟子達は 世界宣教に全世界に向かって旅立つ原動力である聖霊を受け満たされ大胆に 一時はキリストを捨てて逃げた弟子達が大胆になれたのは聖霊の力と福音 キリストの復活の証人となったのです。

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御心のままに」と書き始めたシリーズだったのですが、

イエス様が私たちに一番、望まれていた事は、前回のブログでも書きましたように、{ヨハネ14:15〜19 真理の御霊に。}聖霊に満たされることを望まれたのでは無いでしょうか?

信仰やその他で弱い・・問題が起きると崩れそうになる私たちです。キリストの奇跡を直接、見ていた弟子達も十字架の後、失望したりでした。ある弟子はユダヤの国を復興したいと分かると裏切った弟子もいたり、『あなたはあの人と一緒に居た人でしょう』と言われ「いや!違う」とイエスの弟子だったことを否定をした弟子もいました。

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あらかじめ、その事を知っていたイエス様は、私たちを強めるための助け主である聖霊を送ろうと父なる神にとりなし 依頼されておられました。
父はもうひとりの助け主をあなたがたにお与えになります。その助け主がいつまでもあなたがたと、ともにおられるためにです。」ヨハネ14:16

復活後、逃げ去った弟子達にイエス様は姿を現して、全世界に福音と救いを告げるように命じられました。
「マルコ16:15 それから、イエスは彼らにこう言われた。「全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい。」と語られて昇天なさいました。
弟子達が大胆に福音を語った事がマルコを最後の言葉で閉じられています。
全世界に出て行くには、大胆になる、力強く福音を語る 様々な印が伴っていました。
弟子達がそれら、福音を勝った原動力は全て聖霊からでした!
マルコの最後の言葉まで 実行出来る迄には聖霊降臨までの時間差もあります。
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初めての聖霊降臨はペンテコステの日でした。
神の言葉、イエス様の言葉 約束を思い起こして熱心に一同が集まり 神の意志 御心を神を礼拝讃美しながら、母親の乳を慕う幼子のような気持ちでしょうか!
そんな飢え乾きながら 諦めずに何日も聖霊を慕い求め祈り続けました。

イエス様が約束なさった聖霊はエルサレムの一郭に集まって祈っていたところに降臨なさいました。

では何故に エルサレムだったのか? ガリラヤのナザレではいけなかったのだろうか?

続く。



イエス・キリストは、

十字架に掛かる前に約束し、弟子達に命じられたことがあります。クリスチャンである方は下記に挙げた聖書箇所を何度も読んでおられると思います。
{主の御心と、賜物に続く為にあえてこの箇所を選択しました。}

さて、弟子達共に生活しているときに、話された言葉が下記です。
ヨハネ14:15〜19  もしあなたがたがわたしを愛するなら、あなたがたはわたしの戒めを守るはずです。わたしは父にお願いします。そうすれば、父はもうひとりの助け主をあなたがたにお与えになります。その助け主がいつまでもあなたがたと、ともにおられるためにです。
 その方は、真理の御霊です。世はその方を受け入れることができません。世はその方を見もせず、知りもしないからです。しかし、あなたがたはその方を知っています。その方はあなたがたとともに住み、あなたがたのうちにおられるからです。
  わたしは、あなたがたを捨てて孤児にはしません。わたしは、あなたがたのところに戻って来るのです。
 いましばらくで世はもうわたしを見なくなります。しかし、あなたがたはわたしを見ます。わたしが生きるので、あなたがたも生きるからです。

ヨハネ15:26 わたしが父のもとから遣わす助け主、すなわち父から出る真理の御霊が来るとき、その御霊がわたしについてあかしします。

このように話しかけられましたが、弟子には意味が分からず ユダヤの国の復興だと思った弟子させいました。真理の御霊についてもキリストは繰り返して話されました。
三位一体である聖霊のことが弟子達には理解できていませんでした。
またイエスが話された「父』のこととは?十分に理解できていたでしょうか?
肉親の父を想像していたでしょうか?

弟子達の目の前のイエス{ヨシュア}はナザレから出た大工です。不思議なことをする人。癒やしを沢山施した人では有りましたが、また霊的な目は弟子達には開けていませんでした。いずれかエルサレムの王になるイエスだと思っていた弟子もいました。イエス様はベツレヘムの馬小屋に生まれて、大工ヨセフの子として育って、十字架に死んで仕舞ったのです。弟子達の期待は裏切られ喪失感からエルサレムを去りました。
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しかし復活したイエス様が弟子達に現れ。元気付けられ新しい希望が持てたのです。
40日間共におられました。そして命じられたことは下記の言葉です。{現代の私たちも、キリストの復活の証人です。見ないで信じるようにと、トマスに語りかけたように、復活を信じます。}

十字架に掛かったと、皆さんがご存じなように、一旦は弟喪失感から散り散りなりました。その弟子達に復活したイエス様現れて再び集められました。40日後、昇天なさる前に、弟子達に釘を刺したと行っても良いお言葉を発せられ命じました。「エルサレムを離れるな!」

見えない事、想像が付かないことを待つのは辛い、弟子達は弱く、何度もイエス様につまずいてきました。何の保証、期待が持てないならば、弟子達であっても元の鞘 漁師、主税人 医者などに戻ったかも知れないです。それで大きな期待感と宿題を弟子達に残されて昇天をなさいました。

 使途1:4 〜5 彼らといっしょにいるとき、イエスは彼らにこう命じられた。「エルサレムを離れないで、わたしから聞いた父の約束を待ちなさい。ヨハネは水でバプテスマを授けたが、もう間もなく、あなたがたは聖霊のバプテスマを受けるからです。」

ここで真理の御霊が{ヨハネ14〜15章}弟子達は聖霊のバブテスマと言う言葉を初めて聞いた気がします。バプテスマのヨハネからの水による洗礼を受けたいたのでしょうが、聖霊のバブテスマは理解していませんでした。

昇天後で弟子達はエルサレムの一郭有った二階の部屋に集まり、イエスの言葉の成就を祈り始めたのでした。続く。

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19世紀の初頭に起こった

リバイバルはアズサストリートからアメリカ各地に広がりました。

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カトリックから分離していたルター派 ピュータ派 メゾジスト派ほかプロテスタントの中にも影響を与えました。
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1901年にカンザス州トピカのベテル聖書学院で行われた年末年始の祈祷会で、またアズサストリート異言を語った人々が異言を主要教理と確立したグループが誕生してペンテコステの日を記念して ペンテコステ派を形成するようになりました。
アズサストリートに有ったメソジスト教会を借りで1909年まで3年間集会を継続した。

人々がリバイバルを見たい、体験したいと
アメリカ全国からワッ〜と集まった集会でしたのでシッカリとした名簿、メーリングリストがありませんでしたから、継続している集会案内は発送できなくなりました。
牧師が黒人であったために、集まりやすい黒人達に対しての人種差別も起きました。微妙な温度差が白人社会との間に生まれました。
また伝統、正統派と自負していた教会からも異言に対する理解が出来ない人たちも多かったのです。

今日でもリバイバルが起きても継続していくことは大変難しいです。
牧師やグループリーダーに対する些細な不満 意見の違いが起きたら傷口の小さいときに、話合い、和解 祈り会う事無しに、解決しないことが多い気がします。
牧師やグループリーダーのミニストリーは、基本的な使命と性格 パーソナリティーが左右します。身近に感じて好感が持てた方が、トロント エアポト クリスチャン フェローシップのジョン&キャロル牧師夫妻、{個人的なふれ合いの逸話がありますが省かせて頂きます。}ヘンリーグルーパー師{桉手を受けました。}日本人の牧師の中にもおられます。
誰でもが好感持てる牧師の働きは大きくなりリバイバルにつながる事が多い気がします。
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しかし、
自分が正統派、主流派だと自負しても、分を超えて思い上がったとき、神がその人{グループ、教会、会派 牧師から}を場外を始められる気がします。自負した事が神が意図なさった事から離れすぎるからです。党派心 怒り 分裂行動すると折角のリバイバルは消えてゆきます。
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リバイバルを叫ぶ前に、謙遜に備える。この
謙遜と柔和さが神に仕える要では無いか?
そんな気がします。リバイバルを継続させるためにも、神の前では今より一層、へりくだる謙遜さを神は突きつけていると思います。

神から死の宣告を受けたヒゼキア王が謙遜と悔い改めとリバイバルのビジョンを神に申しあげ認められ 命を延ばされました。
神の前に素直な子供のように 母の乳房を慕って乳を飲む時の安らかな気持ち!無心さと謙虚さ そして悔い改めを 神は好まれる気がします。神から好まれる性格に成長する中で、謙虚さは大切だと思います。謙遜 へりくだって求めるところに 神に好まれる性格の牧師 教会からリバイバルは起きる側面があります。
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異言や預言 様々な賜物の復活。

 使途の時代にあった賜物、一番の賜物である聖霊の満たしと異言を信じて集まり求めた事が、ロサンゼルスのアズサ通りで起こったリバイバルとなりました。
1906年にアメリカ合衆国カリフォルニア州のロサンゼルスのアズサ通りで起こった聖霊運動のリバイバルである。ペンテコステ運動の発祥になりました。それから1世紀が過ぎました。
 
williamseymour

 キリストの昇天後。弟子達は二階の部屋に集まって熱心に50日間も祈り続けました。
すると聖霊が下って力をあわらして弟子達を満たし、まるで地震が起きたようになりエルサレムを震撼させました。使途1〜2章
使2:1 2:〜4 五旬節の日になって、みなが一つ所に集まっていた。
すると突然、天から、激しい風が吹いて来るような響きが起こり、彼らのいた家全体に響き渡った。
また、炎のような分かれた舌が現れて、ひとりひとりの上にとどまった。
すると、みなが聖霊に満たされ、御霊が話させてくださるとおりに、他国のことばで話しだした。
            聖霊降臨

使途の時代になっても教会の成長に伴う印として聖霊の満たしは継続し、与えられた異言の賜物、預言や癒やしその他の賜物は豊かでした。

しかし迫害時代がひとまず終わり各地には安定した教会と信仰生活が送れるようになりました。313年皇帝コンスタンチヌスかミラノ勅令が出されローマのキリスト者への迫害が終わりを迎えました。その後、392年にはテオドシウス1世によってローマの国教と定められカトリック教会の誕生につながっていきました。
ローマ帝国に於いてキリスト教が公認されると、首都ローマの司教は聖ペトロの後継者であると自ら宣言し、神の国に入るための鍵を持っていると宣言した。 
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コリント書においても見られるように、共同体、教会として、成長していく中で、様々な賜物があり、また賜物の用い方から混乱もありました。
教会が組織化され巨大に成ると{中央集権の中}法王の認可が全てにおいて必要となりました。次第に個々の賜物 異言の活用は尊重されないような成っていったと思われます。

教会組織が優先されると、神の意志が損なう危険性がある気がします。常に神の意志が何であるかを考え聖霊を消さないように留意しなくてはならと思います。

汽謄 5:18〜 19すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。
御霊を消してはなりません

アズサストリートのリバイバルは近代に続く使途の時代の復活となっていきました。
続く。

前記の復習として

宣教活動する為に、使徒時代のような聖霊の働きを求め祈り人々が1901年にカンザス州トピカのベテル聖書学院で行われた年末年始の祈祷会で、指導者であるチャールズ・F・バーハムをはじめ神学生のほとんどが、いわゆる「聖霊のバプテスマ」を体験し異言で神をほめたたえたことが契機となった。バーハムは、テキサス州のヒューストンに聖書学校を移転して、その学生でもあった牧師のウィリアム・シーモアが1906年、アメリカのロサンゼルスのアズサ通りで集会を行ったところ、集会中に聴衆である信徒のなかに「聖霊のバプテスマ」を受け、異言を語る現象が起こった。

             ウィリアム・シーモア
牧師
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さて、
アフリカ系アメリカ人の説教者、ウィリアム・J・シーモアが率いる。それは1906年4月9日から始まり、およそ1915年まで続いた。復活は物理的な癒しの奇跡の証言を伴った霊的経験、礼拝と舌で話すこと異言によって特徴付けられた。参加者は、特にその時に、非凡で非正統的であると考えられる行動について、世俗的なメディアとキリスト教の神学者によって批判されました。今日、リバイバルは歴史家によって20世紀のペンテコステの普及のための主要な触媒であると考えられています。

当時は、オーソドックスな宗教家は新しい風潮 異言や癒やしの復活に警戒を強めました。
アズサストリートリバイバルは、カリフォルニア州ロサンゼルスで行われた歴史的リバイバル集会であり、ペンテコステ運動の起源です。

アフリカ系アメリカ人の説教者、ウィリアム・J・シーモアが率いる。それは1906年4月9日の集会から始まり、およそ1915年まで続いた。バイバルは物理的な癒しの奇跡の証言を伴った霊的経験、礼拝と舌で話すこと異言によって特徴付けられた。

アズサ ストリートのウィリアム・J・シーモア師は1905年に、解放された奴隷の片眼の34歳の息子である。よく知られているペンテコステの説教者のチャールズ・パラムは、カンザス州トピーカの小さな教会のための牧師です。シーモアはパラムから、聖霊とのバプテスマが新しい誕生(恵みの第一の仕事)と完全な聖化(恵みの第二の仕事)に続く恵みの第三の仕事であるという信念を継承しています。 

アズサ ストリート リバイバルは激しいリバイバルであった!長くオーソドックスな教会で封印されたことが起きました。異言が特徴であり、それらにともなって癒やしは預言 解き明かし様々なことが起きたので、従来からのナン替え新しいリバイバルについて行けない人々 クリスチャンもいました。

固守したい伝統的な信仰教会から怪しまれ不愉快に思われました。ウィリアム・J・シーモア師は人種差別も受けました。
アズサ ストリート リバイバルの集会に行く人々を制する動きも活発化し 次第に参加メンバリストを失って行きました。

長期にリバイバル始まるとき、必ずと要って言い程、反対者も現れる!
上記のようなことが今日でも起きる可能性があります。{サタンは試させる人を探して不信感を持たせます、}

神様は自由にリバイバルを起こす事が出来ます。
しかし、地上はアダムからサタンが自由に出来る世界になったので、協力する人を神は探しておられると思います。
イザヤ25:1 主よ。あなたは私の神。私はあなたをあがめ、あなたの御名をほめたたえます。あなたは遠い昔からの不思議なご計画を、まことに、忠実に成し遂げられました。

エレミア 29:11 わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。──主の御告げ──それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。
聖書に書かれていたペンテコステと同じ事が起こりうると信じた人々に聖霊が下ったように今日、あなたにも起きます。

そのために私たちの信仰が強められ 聖書に書かれていることが間違いないと信じ 神に仕える心が必要です、神は協力者を探しています。

箴 8:22 『主は、その働きを始める前から、そのみわざの初めから、わたしを得ておられた。

終演させる原動力は、人間側にあるそねみや不信感からです。反面教師として自分自身の心に留めて記憶したいと思います。


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