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心の風景、愛の聖書、福音と癒やしと日常から。ミカエル小栗

ミカエル小栗がつづる心の風景。聖書の福音は愛と救いと癒やし。日常の出来事の心の雑記帳風景ブログです。聖書に基づくカウセリング、祝福と救いと心の癒やしを祈ります。あなたの教会のメッセージ奉仕もします。ご依頼はメールにて!

2017年12月

人生はマラソン!

マラソンのような信仰の戦いですね。
ペース配分を変える。直ぐに結果は出ない。苦しい トレーニング。  失敗、  失望のくり返し。しかし何度もチャレンジして最後に勝利する。


昨夜。始めて陸王のテレビドラマを見ました。

祈りや信仰の結果を急いで 諦めることは、神を諦め見捨てるようだ! 


信仰の戦いは人生はマラソンのようですね。

マラソンはペース配分を変える。走っていると途中で追い抜かれるが、ペース配分は着実に守る。それは直ぐに結果は出ない。
何度も挫折。何度もチャレンジして最後に勝利する。

昨夜 始めて 陸王のテレビドラマを観ました!

{ 陸王-アトランティスの実在のモデルはアシックス?}

私たちクリスチャンが祈りの結果が出ないとか!?祈っても 癒やされない!? 希望、願いに答えが無い!?

よく御心のままと聞くし、私も思い、 言います。
死の直前迄 待って 待っても叶わない時があるならば、その時こそ、それは御心ではないかなぁ!  
信仰の結果を急いで 諦めることは、神を諦め見捨てるようだ!  


今日、神様からの答えや成し遂げて頂けなくても 明日 神が結果や癒しをくださるかもしれないと 希望を 神の言葉 人格につなぐことが大切だと思います。
それ以外は矢張り、人生 最期迄 祈り賛美して 忍耐強く 神が成し遂げる時を待ちます。



主を信頼して人生の中 最後迄諦めないなら、結果は主が成し遂げてくださるからです。神のご人格に最後の最後まで 信頼すれば・・神がなして下さる保証が聖書にはあります。

「あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる。」詩篇37:5 。


信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されましたヘブル12:2


邪悪な日に際して対抗できるように、また、いっさいを成し遂げて、堅く立つことができるように、神のすべての武具をとりなさい。
では、しっかりと立ちなさい。腰には真理の帯を締め、胸には正義の胸当てを着け、足には平和の福音の備えをはきなさい。これらすべてのものの上に、信仰の大盾を取りなさい。エペソ6:13〜16  1


しかし、神の人よ。あなたは、これらのことを避け、正しさ、敬虔、信仰、愛、忍耐、柔和を熱心に求めなさい。
信仰の戦いを勇敢に戦い、永遠のいのちを獲得しなさい。あなたはこのために召され、また、多くの証人たちの前でりっぱな告白をしました 汽謄皀 6:11〜12から、
私たちもテモテ書に書かれたように、最後の最後まで信じ忍耐して
多くの証人たちの前でりっぱな告白をしようではありませんか!?




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神は三位一体の方、

キリストだけでもよく無いし、聖霊だけでもよく無い。父なる神が、私たちの心を満たす為の様々な決定権。それらは父なる神ご自身の言葉から発生します。

ヨハネ14:16 わたしは父にお願いします。そうすれば、父はもうひとりの助け主をあなたがたにお与えになります。その助け主がいつまでもあなたがたと、ともにおられるためにです。
前記のイエス様の言葉からも、三位一体を表しています。

イエス様の誕生の前に、神はヨセフの信仰に目を止めて、御子をこの世に送る時に、この世の父親とのして、父なる神は計画してヨセフを選びました。{キリストは神の子で在るため、マリヤと聖霊の力でキリストは生まれましたけれど!}

ヨセフの決定 決心 信仰が、おさな子キリストを守りました。マリアだけが尊敬するのは片手落ちな気がするのです。

キリストだけが 父である神から栄光を受けるのですよね?

マリアに栄光を帰すのは、父なる神の心、本来の思いでは無いはず! マリヤだけに栄光を帰す言葉が多くの人・・また一部の方々から聞かれますが、何故 ヨセフには無いのですか?
パウロやペテロ達への尊敬する言葉はマリア以上には余りなく 一部の人たちの中にはマリアだけが多いのは何故だろう? 神は家族としてヨセフも大切に扱いました。ヨセフの心を無視しませんでした。彼に事前の告知と了解を取りました!

人の内面 心は各自 それぞれ違います。マリアに対する尊敬 敬拝 信仰の心のバランスも皆違います。何処を見て、どれくらいの重要性、バランスでしょうか?

 しかし、父なる神はキリストに栄光を返さ無い人の内面 心のバランス 重さを計られます。
天国、最後の審判の時に、御子キリストに栄光を帰さなかった方々も父なる神はお叱りになると思いませんか? そこからは尊敬、どこからが
敬拝→微妙な信仰心が芽生えて礼拝する心に変化しませんか?

パウと、ペテロ、そしてマリアも・・他の聖人たちも。
キリスト以外に、栄光を帰すことや 聖人 特にマリアへの賞賛の言葉を言わない事が大切です。御子キリスト以外に栄光を受ける事は、父なる神、聖霊の本望では無いと思いませんか?
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この絵はマリアにオーラーを描いている・・? なぜ? 作者の心の中をどれくらいマリアに対する思い 賞賛が占めているのだろうか?
キリストと信仰 崇拝バランスはどうなっているのだろうか?私には解りませんが、神はその人の心を測られ裁かれます。
        天国に、父なる神の前に立ってからでは遅い!

下記を参照に!
申命13:3 その預言者、夢見る者のことばに従ってはならない。あなたがたの神、主は、あなたがたが心を尽くし、精神を尽くして、ほんとうに、あなたがたの神、主を愛するかどうかを知るために、あなたがたを試みておられるからである。

汽汽 16:7 しかし主はサムエルに仰せられた。「彼の容貌や、背の高さを見てはならない。わたしは彼を退けている。人が見るようには見ないからだ。人はうわべを見るが、主は心を見る。」


ブル1:3 御子は神の栄光の輝き、また神の本質の完全な現れであり、その力あるみことばによって万物を保っておられます。また、罪のきよめを成し遂げて、すぐれて高い所の大能者の右の座に着かれました。

ヨハネ 8:54 イエスは答えられた。「わたしがもし自分自身に栄光を帰するなら、わたしの栄光はむなしいものです。わたしに栄光を与える方は、わたしの父です。この方のことを、あなたがたは『私たちの神である』と言っています。

ヨハネ14:13 またわたしは、あなたがたがわたしの名によって求めることは何でも、それをしましょう。父が子によって栄光をお受けになるためです。

クリスマスが近いです。

キリスト誕生次第は聖書 福音書に書かれています。

マリヤが聖霊によって妊娠。処女でありながら身ごもりました。聖女マリアとして尊ばれています。

しかし マリアはヨセフのいいなづけでした。そのマリアがヨセフの身に覚えの無いときに知らない間に妊娠!?それでも、神の言葉 事前の神からの啓示を聞いて夫となる決心をしたヨセフの信仰が無ければ マリアは姦淫の女としてユダヤ人から排除、当時の習慣から石打ちの刑 死罪相当になりました。
ヨセフとマリア

神によって信仰深いヨセフがマリアより先に選ばれています。ヨセフはホセア記を読んでいたのかも知れません。
その預言者ホセアを通して、裏切りのユダヤ人への無限の愛を秘めた預言書です。「姦淫の女をめとり妻とせよ」とも書いてあり、その記録 旧約聖書を知っていたヨセフは 直接的な神からの啓示を通し、かつホセア記の記録を合わせてマリアを妻として受け入れ 石打ちの刑からイエス様とマリアを守りました。
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その子、ヤコブ{イエスが聖霊による長男、ヤコブは肉による長男 彼は父親のヨゼフの信仰を見習って、ユダヤ人のリーダーになり、その後 旧約と新約聖書を結びつける働きをしました。マリアだけが尊ばれるのは信仰的な不幸! 信仰的なバランスが変な気します。

ヨセフ若くして亡くなったのか?あまり聖書には書いていませんね、しかし少年期のイエス様をシッカリ守り育て神からの使命を全うしていたことが解ります。
{イエスの誕生と12歳のエルサレムへの宮のぼり以外には}その時、父親として守るためにイエスを心配してきつく注意しています。その後、、ヨゼフの記事記録が余り有りませんが、ヨセフがいなければ イエス様は成人として成長できませんでした。ヨセフの信仰={旧約の知識も}イエス様にシッカリと継承されたことは聖書から解ります。
ホセア6:6、「わたしは誠実を喜ぶが、いけにえは喜ばない。全焼のいけにえより、むしろ神を知ることを喜ぶ。」
聖書を知れば、父親の愛が解ります。また、神である天の父の心も解ります。マリアだけが尊ばれるのは、信仰的、霊的 父の愛 神の愛の欠損に至る気がします。

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こんばんは。

あなたが、神の恵みに満ちあふれますように祈ります。

「狭い門から入りなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。そして、そこから入って行く者が多いのです。」マタイ。7:13  
直指庵47 (0)

初めてこの言葉を聖書から読んだとき、どの様に感じましたか?神に逆らっていたら、駄目なんだとか!? 罪を犯して繰り返すと駄目なんだとか・・私は思いました。
キリストの十字架、罪の赦しは完全だから いかなる罪も許されるから大丈夫と聞かされて一安心しました。

けれど・・神様に会いたい。その臨在に触れられたい願いが強くなった来たときに 気が付きました。

キリストの血を携えて至聖所に行かなくては、神の臨在には触れられ無いのだと・・。

信じた!洗礼を受けた!だけだと、その他大勢と云えなくは無いのです。
幕屋の中に入っただけ 滞在しているだけに過ぎません。

幕屋、神殿の構造は

入り口から門があり、東に一箇所あるのみ。礼拝する者はだれでもこの門を通らなければならなかった。<神、キリストが救いに至る唯一の門(ヨハネ10章9節)
幕屋には入り口があり、キリストに関心がある人、礼拝をする人は誰でも入れます。

幕屋の入り口の次にあるのは、祭壇があり、その場所では、私たちの身代わり=罪の身代わりになる動物が犠牲として全焼され捧げられました。クリスチャンになれば様々な色々の形の犠牲が伴います。惜しまずに喜んで捧げる人は、神に受け入れられます。
教会に仕える。奉仕する。献金する。献金は惜しまない 生け贄と同じ意味があります。
重要なことはその人の心です。後々 惜しむ献金は最初からしない方が神は喜び、私たち自身のためにも良い気がします。

次に清めの洗盤があります。神に仕えようとする人は心と身体を水で洗い清めました。幕屋の時代、祭司がその洗盤で身を清めてから至聖所に入りましたが、現代では、全てのクリスチャンが祭司の務めが出来るように、キリストの十字架と復活を通して出来るようになる約束があります。
HS

キリストを信じるときの証として洗礼もあります。しかし、その事を信じて祭司の務めを十二分に行わんとするときには、水の清めを含めて 心の洗礼が必要です。聖霊の満たし、内住が不可欠です。

キリストを信じられるのは、聖霊の助け無しには「誰も、キリストは主で在る!」とは告白出来ません。
汽灰螢鵐12:3 神の御霊によって語る者はだれも、「イエスはのろわれよ」と言わず、また、聖霊によるのでなければ、だれも、「イエスは主です」と言うことはできません。

幕屋に有る備品にはそれぞれの意味が深くあります。
幕屋の中には一つの入り口があります。続く。
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お早うございます。

今日は、数日前に比べると幾分 暖かい神戸からご挨拶を申しあげます。
ある事情から暫くブログを書いて更新しおりませんが、それでも、大勢の方々が、ご覧下さって心痛いです。
直指庵47 (0)

下記の写真は京都 奥嵯峨野 直指庵。表と内側から見た写真。随分と違って見えます。
          直指庵

さて、神には裏表な心は有りません! 私たちを一方的に愛して下さいます。
キリストはペテロを通じて、私達に語っています。「あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。」第一ペテロ5章7節 
直指庵2


数日前からの腰痛!痛いが、良く成った!寝込むこと無く用事・・面会に カウンセリングにも行けました。来客に対応出来て、来客者のために癒やしを祈る事も出来ました。

私たちの健康的な心配、「今日は身体が悪くて大変だけど、あした癒やされるから!」と希望を繋ぐこと。
経済的なこと・「年越せるかな?でも心配ない!! 神様の介入 助けがある!』と
第一ペテロ5章7節の言葉に基づいて、先に告白すること先にする事が出来ます。
  
その
信仰=神に対する信頼に 神が働くのだから。 信仰=神を信頼する立ち位置で、私たちがキリス見るお姿が変わって見えたり 神との位置関係=距離感が、私たち自身の心の位置で変わって見えてきます。

同じ庭を眺める位置で印象が違うのは、私たちの立ち位置からです。
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上手に写真を撮る方がおられて、そのような写真を見習い撮影方法を見習って考えませんか? 風景全体を写真には収められません。何処を切り取り、同じ位置であっても、視線の位置、高さでも微妙に写真の印象が変わります。

ペテロが私たちに神の言葉として語り伝えた言葉には、神とペテロの関係性の立ち位置と、神キリストの信頼関係や ペテロの経験、体験からから出た告白の言葉です。

私たちも そのペテロの経験を見習いませんか? 12弟子、他のクリスチャンのが見て切り撮った経験、証からキリストを見つめることが出来ます。
私たちがキリスト 神の何処を見ているだろうか?でも変わって来ませんか?
キリスト以外のこと見てばかりで・・それに拘って躓いてはいけません。

仮に私たち自身が 信仰に変化、不信仰 否定する信頼感になったとしても、神の御心には変わらず、私たちを心配して下さっています。ペテロはそれを、彼自身がよく、よく知っていますね。
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一番 重要と思えることは、ペテロや他のクリスチャンの信仰経験以上に大切なことがあります。それはあなた自身でキリストを味わうことです。

 最高の立ち位置は、神の臨在の中にしか有りません。神の心を外から眺めるだけでは無く、神の心の内、至聖所にキリストの血を携えて行きましょう。
キリストの血を携えずに神に近づくことは不可能です。


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