握る手。絶望 自殺?癒しへ
ある方とのメールの中からのやりとり。
(Aさん)その後いかがですか?入院されていたとは知りませんでした。
主のお癒しを切に祈ります。私も今週背中の中央に出来た腫瘍の切開手術を受けることになっています。DR からもリスクの出る確率がかなり高いと言われていることもあり、不安と恐怖におののき、昼間は安定剤を毎食後4ずつ、夜は寝る前に安定剤を4錠、睡眠薬を3種類各4〜5錠ずつ(なので12〜15錠)を飲んでいないと昼夜を問わず落ち着くことも寝ることも出来なくなってしまったのです。
どうにか薬の支配下から脱出しましたが、再度薬の支配下に落ちてしまいました。もうどうでもいいです。
今の私には、共に祈れる場所も、共に祈れる友も誰1人いないのです。唯一どんなときも一緒にいて、愚かな私を支えてくれた唯一の友はちょうど1週間前の8/10の深夜、私に別れのメールを残し、自らの命に終止符を打ったのです。
自分自身の体調の悪さと、唯一の友を救えなかったことに対する罪責感が重くのしかかっています。今の私にはもう、聖書の御言葉を読むことも、祈ることも出来なくなってしまったのです。
(私の返信)あなたも、大変な所を経験 通過しておられますね。
神様も案外にクールですよ。信頼してくる者には 信頼された分 答えを出します。
クリスチャンの多くは、『私を呼べ! あなたの知ら無い大いなることを 私は告げよう。』 エレミヤの33の3.このみ言葉を知っています。
しかし、途中で、神ご自身が教えたい告げたい大いなる事の前に、私達があきらめたり、叫び切れていないのではないか?と 今回の私自身の入院を通し再度、思い始めました。
大声で叫び!信頼し 最後迄 。神が語る始めるまで 叫び祈ら無いと駄目でと 思いましたね!
エルミア33の3の言葉の中にある【 私を呼べ!そうすれば、私は、あなたに答え、あなたの知らない、理解を超えた大いなることを、あなたに告げよう。】
と、語られたみ言葉を、入院後に、再び聞かされ悔い改めています!
激痛に負け一般常識的に祈って仕舞った通りに成りましたからですね!
あの時、完治を願い、神にダイレクトに癒しを願い叫び切ってはいませんでした。
神を第一にはしていなかった! ?普通は、海で溺れそうなのに、 ひたすら 単純に言い訳をしないで助けて!助けてを繰り返しますね!
【あなた方が私を呼び求めて歩き、私に祈るなら、私はあなた方に聞こう。もし、あなた方が心尽くして私を捜し求めるなら、私を見つけるだろう。】エルミア29の12と13より
私たちが主に接する態度、叫び、声に出す祈りをとことん、出し切ることの重要性を教えれました。
神様は私たちが見つけ出す事を望まれるのです。
また、異言を
語るとの例えが有るように心の中でつぶやく異言は無いように、祈り叫ぶ、神の介入を100パーセント望むことが大事、重要性を教えられたのです。主の答え、回答が無いと諦めたら、そこで お仕舞い。しかし、その後に、主の本音、本気の回答が在るのですね!
叫ぶ、声に出す祈り。。神さまご自身を、声を出さされ この世界を創造を始められましたね。
「神は、言われた!!光あれ!」そして光が出来ました。
この言われた事も一つの叫びでは無いでしょうか?
最終的な癒しは神 キリストに在ります。また、様々な問題、悩みも、解決はキリストに在ります。
叫び切り、救いを求める、私たちが知らなかった事を、神が語り出すまで求めましょう!教会で傷付いたと嘆く方もいますが、人には愚痴を言っても、悪口言っても解決しません。
神様は、最高のカウンセラー 良き相談者です。声を出して相談、つまり声を出して訴える。黙祷では無いのです。声掛ける祈りの相談であり訴える事が大切ですね。
人に愚痴り慰めの言葉を貰っても、本当の解決策は神さまからですからね。
願いや癒しも同じですね。
神様に叫び切り、大いなる恵みを知りませんか?
クリスチャン身寄りに尽きること、幸せな天国の救いを得ることができますね!また天にあるように、地上でも身体の癒やしがあります。
私のことですが、15年前に、胆石、胆嚢癌の手術をしました。妻を癌で亡くし、私の思いは癌!= 死でしたからmその恐怖と 神学校卒業して直ぐの癌発見でした。やり残したことの悔いで押し潰されそうでしたね!
手術をして、麻酔が覚めて行く中で、私の左手を優しく握っている人に、おぼろげ気が付いました。
暖かい優しい手が、私の手を、両手で包んでいました。誰かな?嬉しいな!でも 痲酔の関係かな?目が開けられず認識できませんでした。
はっきり目が覚めてから、看護師に聞いても、私達は忙しいから、1人には付ききりにはしませんよ、
また、貴方が麻酔から覚めて行く間、誰も側には見掛けませんでしたよ。と答えられました。
当時所属していた教会のメンバーも、手術開始の頃はいましたが、麻酔が覚める深夜には帰宅しいました。 付き添う人は居なかったのですよ。
では、私の手を黙って握ってくれた人はだれか? 私は天使か? キリストかな?と 1人思う私です。
きっと 貴方にも 孤独を慰めるキリストがいますから、大丈夫だよ!安心して キリストに委ね切って下さいね。
(Aさんの返信)
ハレルヤ!
歩けるようになって本当に良かったですね。
イエス様のお癒しに感謝します。
引き続きお祈りしています。
私も薄皮を剥がすように、少しずつですが痛みもなくなりつつあります。
小栗先生と同じような体験をしました。牧師先生や看護師、DR にも確認しましたが、
誰も私の手は握っていないと言うのですが、確かに私は肉厚の手に握りしめられていたのです。
そのお陰か?不安や恐怖、痛みもほとんど味わうことなく、治療を終えることが出来たのです。
誰も私の手は握っていないと言うのですが、確かに私は肉厚の手に握りしめられていたのです。
そのお陰か?不安や恐怖、痛みもほとんど味わうことなく、治療を終えることが出来たのです。
祈りと御言葉の力は偉大ですね。自宅に戻ってからは、常に御言葉を学んでいないと、呼吸困難を起こしそうになるので、時間の許す限り、御言葉を学んでいます。そうすることと、お祈りに支えられて、安定剤や夜も睡眠薬を全く飲まないで過ごせるようになりました。
夜はイエス様の寝心地の良いゆりかごのようなベッドでぐっすりと朝まで眠っています。
まるで赤ちゃんのようですね。
(Aさん、)
感謝します。 肉厚な手に握られた!のですね。私自身は、肉厚だったか迄は 覚え切れていないです。
私の場合は手を握られて包まれた感覚です。
癌の手術後の心細さを、主の手が、私の手を確かに握り支え続けて癒してくださったと信じます。
あなたも 私と同様な経験者となりましたね!その事を通しても、互いの経験から、私の経験 15年前の事は、単なる思い違いや幻だけでは無い事実の確信に変わりました。
この経験は恵みです。誇る事でも無いです。へりくだることを覚えます。証しとしては語りますが、へりくだりが必要ですね。
希に天国に行ったと語り、天国の詳細を語りながら、それらを誇る方もいますが 聖書に書いていないことまでは、信じられないです。
握る手に関しては、下記の聖書が静かに力強く語っています。
イザヤ 41:10 恐れるな。わたしはあなたとともにいる。たじろぐな。わたしがあなたの神だから。わたしはあなたを強め、あなたを助け、わたしの義の右の手で、あなたを守る。
イザヤ 41:13 あなたの神、主であるわたしが、あなたの右の手を堅く握り、「恐れるな。わたしがあなたを助ける」と言っているのだから・・
私たちをあらゆる方法で励まして力付けて、信仰をあたえて下さるキリスト様に、聖霊の働き。父なる神に
栄光を尊厳と誉れがありますように。 アーメン.アーメン!!