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心の風景、愛の聖書、福音と癒やしと日常から。ミカエル小栗

ミカエル小栗がつづる心の風景。聖書の福音は愛と救いと癒やし。日常の出来事の心の雑記帳風景ブログです。聖書に基づくカウセリング、祝福と救いと心の癒やしを祈ります。あなたの教会のメッセージ奉仕もします。ご依頼はメールにて!

2015年07月

一年ぶりに歯の治療に行きました。

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詩 103:2 わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。

前歯の裏に虫歯が出来てしまいました。微妙に物が挟まる位の虫歯です。
近所の歯医者に行きました。何度かここで治療を受けています。 いつも出かけると早めの治療をテキパキとして下さいます。

「18年前に治療したのですが,再度,、治療が必要ですか?」と聞きました。
今回とは違う、奥歯にも物が挟まるようになってきたので治療が必要なのかを、初めて聞いてきました。

先生,曰く。『加齢によって歯茎が痩せて来たからですね。義歯が歯茎を接していると、歯肉炎の原因になるのでワザと隙間を空けて義理を作るので完璧な治療がしてあります。』 と言われた。
改めて,特別に神様に感謝しました。この奥歯には神様の手が入ったのです。
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神学生の頃に、この奥歯が痛み2本。抜歯しました。その時の治療費が不足して困りました。数日間。祈っていたら、ある方からの献金が届きました。それで、不足していた治療費を支払いましたが、肝心の奥歯の治療が中断しなくてはいけませんでした。

暫くして、カナダトロントからジョン・キャロル アーノット牧師の集会が岐阜市で開催されて,その集会の中で癒やしを祈る運びとなりました。その時に、歯のために祈られました。その頃。アルゼンチンなどで歯の癒やしのニュースを伝え聞いていました。 色々の福音のニュース。癒されたニュースを聞くと我が身や身辺周囲でも起きないかと期待をしている私です。

アーノット牧師の祈りの後に、司会者の促しから,歯の中の確認をと勧められました。隣りに居られた方から、『あなたの口の中に変化がありましたか?」 「いや特に!?」 と答えると 口の中をあけるように言われました。
『あなたの奥歯が光っている』と言われ、トイレに駆け込んで鏡で確認して驚きました。

奥歯4本の上をつなげて仮に止めて,お金が用意できたら、医師から次回に奥歯に被せると言われていたのです。その歯が真新しい金属で治療に必要な奥歯3本が綺麗に包まれていました。

あれから18年。今回は医者に再度。確認して神さまを讃えます。
癒やしには色々形があります。何故?癒やされる?何故 癒やされない? 私は何時も様々な期待を、父なる神さま・キリスト様・そして聖霊様に何時も期待してしています。

癒やしには何の意味があるのだと否定される事も様々。異端呼ばわりも希に聞きますが、キリスト御名において聖別しての祈りには、悪霊は入り込めません。
あるとしたら、神さまのせいでは無くて、癒やされて後の人々の考えが変わることが希に在る事。信仰の高ぶりが間違いを起こすことがあるからです。

私は良い言葉で、神さまの良い事だけを考えています。感謝しています。 叶えられていないこと、答えられていない事は、将来に答えがあると期待しています。隣人に起きたこと、神の恵みを聞いたならば、それなら私にも同じ事があると期待します。

神さまがして下さったこと、母のアルツハイマーの記憶喪失からの回復。私の歯<今回の証し>。私の癌から回復。他に、癒やしの祈りをし癒やされた沢山の人々を覚えて感謝し讃美しています。
「詩 103:2 わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。」
神がして下さったことは証ししていきたいです。黙ることは出来ない気持は下記の聖書の言葉からも・・
ルカ 19:40 イエスは答えて言われた。「わたしは、あなたがたに言います。もしこの人たちが黙れば、石が叫びます。」

私たちの願いが 祈りが答えられなくても 癒やされなくても、父なる神を聖なる方と性別し、崇めて神の喜びにいつも満たされている事もそれは重要です。

いつも神と出会っていることがもって大切だと思いませんか? この方が身体の癒やしより重要だと私は思います。

教誨師の伝道と救い。

「彼らが呼ばないうちに,私は答え、彼らが彼らが語っていないうちに,私は聞く。」イザヤ65:24
 
ある刑務所に入所している方と文通とキリストの信仰書を送っています。現在も含めて三人の方と交流してきました。
 
そのうちの一人が,私に,彼の身とも引受人として、私の身分証明書が欲しいと要望してきました。刑務所内の規定変更されためです。 身元引受人になるのであれは、頻繁に出会って福音を語りたい。との変化が私の心に強まりました。
 
しかしその刑務所が,私の住まいから遠方です。思いがあっても頻繁にはいけません。
私が年金生活で経済余裕がありません。アルバイトもあったり無かったり(前職の所から人手不足の時だけの依頼があります。)・・どうしたものか・・?祈っていたら・・

四国徳島県で教誨師をしておられる,私の恩師のお一人、清原牧師先生が刑務所伝道の結果。
一人の方を献身者を育てました。その方は今年から開拓伝道を始めました。
身元。引き受けするのであれば,この様なことを夢みますね。これは神戸の刑務所であれば現実的です。しかしそれが遠方では難しいです。私が頻繁には通えない現実が立ちはだかっていました。

そうだ!この方法だと清原先生に電話連絡をして,他県の教誨師の先生を紹介願おうと思い立ちました。
何度か電話。タイミングが合わず不在が続きました。普段から伝道活動に忙しい先生です。

要約、連絡が付いて、私が文通している方の地区を担当している教誨師牧師先生を招待して頂きました。
紹介された牧師先生に、朝に連絡。すると、ナント驚き。本日偶然。神の導きか!! その先生が神戸に来ておられましたので,お目にかかることが出来ました。

経緯を直接,話す事が出来ました。また快くお引き受けをして頂きました.神様に感謝、讃美します。
バトンタッチ! 刑務所に入所している彼の気持ちが、新しい先生に気持が動くように祈っています。
そして彼が献身者になって頂けるくらいに信仰が強まればと祈っています。
彼の名前は仮に、O,Tさんとして ご加祷下さい。

昨夜、偶然にも神戸に来ておられた,教誨師の先生との待ち合わせに向かう夕焼けが とても綺麗でした。

一年ぶりに歯の治療に行きました。

詩 103:2 わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。
前歯の裏にまた虫歯が出来てしまいました。微妙に物が挟まる位の虫歯です。
近所の歯医者に行きました。何度かここで治療を受けています。 いつも出かけると早めの治療をテキパキとして下さいます。

「20年前に治療したのですが,再度,、治療が必要ですか?」と聞きました。
奥歯にも物が挟まるようになってきたので治療が必要なのかを、初めて聞いてきました。

先生,曰く。『加齢によって歯茎が痩せて来たからですね。義歯が歯茎を接していると、歯肉炎の原因になるのでワザと隙間を空けて義理を作るので完璧な治療がしてあります。』 と言われた。
改めて,特別に神様に感謝しました。この奥歯には神様の手が入っついたから
です。

神学生の頃に、この奥歯が痛み2本。抜歯しました。その時の治療費が不足して困りました。数日間。祈っていたら、ある方からの献金が届きました。それで、不足していた治療費を支払いましたが、全ての治療費には足らず肝心の奥歯の治療が中断しなくてはいけませんでした。


暫くして、カナダトロントからジョン・キャロル アーノット牧師の集会が岐阜市で開催されて,その集会の中で癒やしを祈る運びとなりました。その時に、歯のために祈られました。その頃。アルゼンチンなどで歯の癒やしのニュースを伝え聞いていました。 色々の福音のニュース。癒されたニュースを聞くと
我が身や身辺周囲でも起きないかと期待をしていた私です。

アーノット牧師の祈りの後に、司会者の促しから,歯の中の確認をと勧められました。隣りに居られた方から、『あなたの口の中に変化がありましたか?」 「いや特に無いよ!? 」と答えましたが 「何となく口の中が熱く感じだけど!?」 そうする 隣に居た方が口の中をあけるように言われました。
『あなたの奥歯が光っている』と言われ、慌ててトイレに駆け込んで鏡で確認して驚きました。

奥歯4本の上をつなげて仮に止めて,お金が用意できたら、医師から次回に奥歯に被せると言われていたのです。その歯が真新しい金属で、ブリッジ治療に必要な奥歯の両側が綺麗に包まれていました。
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あれから20年。今回は医者に再度。確認して神さまを讃えます。
癒やしには色々形があります。何故?癒やされる?何故 癒やされない? 私は何時も様々な期待を、父なる神さま・キリスト様・そして聖霊様に何時も期待してしています。

癒やしには何の意味があるのだと否定される事も様々。異端呼ばわりも希に聞きますが、キリスト御名において聖別しての祈りには、悪霊は入り込めません。
あるとしたら、神さまのせいでは無くて、癒やされて後の人々の考えが変わることが希に在る事。信仰の高ぶりが間違いを起こすことがあるからです。

私は良い言葉で、神さまの良い事だけを考えています。感謝しています。 叶えられていないこと、答えられていない事は、将来に答えがあると期待しています。隣人に起きたこと、神の恵みを聞いたならば、それなら私にも同じ事があると期待します。

神さまがして下さったこと、母のアルツハイマーの記憶喪失からの回復。私の歯<今回の証し>。私の癌から回復。他に、癒やしの祈りをし癒やされた沢山の人々を覚えて感謝し讃美しています。
「詩 103:2 わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。」
神がして下さったことは証ししていきたいです。黙ることは出来ない気持は下記の聖書の言葉からも・・
ルカ 19:40 イエスは答えて言われた。「わたしは、あなたがたに言います。もしこの人たちが黙れば、石が叫びます。」

私たちの願いが 祈りが答えられなくても 癒やされなくても、父なる神を聖なる方として、崇めて神の喜びに満たされている事もそれは重要です。いつも神と出会っていることがもって大切だと思いませんか?

詩 1:2 まことに、その人は【主】のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ。
詩 78:11 神の数々のみわざと、神が見せてくださった多くの奇しいこととを忘れてしまった!

と 神さまから言われないように 小さな癒しや恵みは 大声で叫びたいのです。

映画 レフトビアインドを見ました。

サスペンス 推理映画としての紹介されている映画です。
原作から何本かTVの映画化されていますが、世界的に有名俳優のニコラス・ケイジが主演する映画で再リメークされました。
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映画の始まりは、登場人物の日常を丁寧に日常と心理描写する所から始まりました。中々 先に進まないので・・何でかなと思いました。

所が急に話が進みます。 主人公が搭乗した飛行機の中で、突然が消えたのです。子供が消えた親やまた大人も居て、機内がパニックに陥ります。異変に慌てて地上に連絡を取ろうとしました。でも・・管制塔からの返事も来なくなり 益々のパニックに・・

次第に状況が分かり始めます。公式 レフトビハインド 映画サイト
機内から地上の様子に展開されるストリーに。町の中もパニック状態。 

キリストが再び地上に来る最後の審判(レオナルドダビンチの絵画でも有名)その前に起きる.神に選ばれたクリスチャンが生きたまま,神に取り上げられる携挙(空中再臨)聖書が題材の物語です。
アクション映画としてもラストには、ハラハラさせられて身を乗り出してしまいました。

しかし、映画の中では、ある教会の牧師が取り残されました。「あなたは牧師なのに,何故?』との質問に、「心から信じなくても神学的な知識だけで.説教は出来た!」と答えた。純真に神に向かわないといけない。独りよがりの信仰ではいけないと思いました。神の心に少しでも近づいて,御心を求めたいと思います。

 同じ聖書でも、人の立場、個人的な見解から神を見るか? 神の立場から、聖書を神の本意に沿って理解する科で大きな違いが出てきます。多くのキリスト教団が生まれてきたことも.個人的見解の別れが影響しています。
                    

人間が多く介入すると神の本意から益々外れてしまう人 人間としての悲しみがあります。

携挙 再臨には 二つのタイプの違いがあります。 最後の審判までには多くの日本人が救われることを祈ります。

「また、私たちが命じたように、落ち着いた生活をすることを志し、自分の仕事に身を入れ、自分の手で働きなさい。外の人々に対してもりっぱにふるまうことができ、また乏しいことがないようにするためです」(テサロニケ人への手紙第一4:11〜12)

汽謄汽蹈縫4章16〜17節 16 主は、号令と、御使いのかしらの声と、 神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って来られます。それからキリストにある死者が、まず初めによみがえり、17 次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。このようにして、私たちは、いつまでも主とともにいることになります。」

猛暑また台風の変な天気ですね。
御元気にお過ごしでしょうか?

日々の生活の中で,救いと癒しを求め祈っています。一口に癒しと言っても、私達の生活の中、全てに関わることだと思います。霊的 信仰や教会生活、全般、仕事も含めていますね。
神が計画し恵みを与えようとしていた事を,私たの信仰のボタンの掛け違いに加えて,信仰を奪い取るサタンの働きからの回復、癒やし(あるべき姿に戻す)も含みます。

神様からの祝福を受けるのは、神の子としての権利ですが、神からのは祝福を奪い、神からさえ引き離し信仰を奪い取ろうとする力、 サタンの妨害も在ります。
色々の願いを祈っても答えが直ぐに無い。ある方の癒やしを祈っても、その癒しが進まない事で、私も神に祈り続けています。根気よく妨害者のサタンの戦いと頭では考えます。頭の中 感情が理解とちぐはぐで付いてこないことも多いです。けれど,神は真実で理解をする機会を与えます。

末期癌なのに、未だ生かされて喜んでいる知人のクリスチャンを見ると考えさせられます。
奥さんと死別し 糖尿から脚を切断した上、今回は癌なのですが、神はいつも最善をなさると期待して求め続け、また感謝をしている姿に考えさせられます。彼から受ける感動はヨブにも共通しいます。(前記のブログを参照) 色々の試練 病気の中でも神が与える最善に敏感でありたいです。
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聖書の中に書いてある、神ご自身が宣言してから実現するまで・・アブラハムに子孫 子供を与えると語られたのちの時間差。 私たちも祝福 癒しを受ける時間差が何故あるのは、神の御心の範疇で理解仕切れませんが、結果は多い恵みと祝福です。その大きな祝福と恵みが 私たちにも在ります。
折角の神の翁計画があるのに,途中で頓挫 諦めたら また同じようにハードルを乗り越すように神が試練を与えることが多いです。それはアブラハムが、神の友と呼ばれるまでの経過を理解して下さいますように。


先ずは第一歩、信仰の紅海に脚を入れてから分かる事が多い恵みです。
導かれていく中で 信仰が鍛えられ 神の愛に触れられる。神の臨在に出合える。その楽しみ 祝福が在ります。
周囲の方から誤解され,心が傷付くことがあったとしても、頼るべきところは主キリストしか在りません。
本当の解決も父なる神にしかありません。 試練と答えの時間差を立てた人が最後に勝利すると信じます。

今まで経験したことがない無い事を、誰から経験して神を讃美していたら、それはあなたにも起きることを示唆しています。 隣人に与えられた恵みは、次はあなたの番かもしれない。 隣人に感心を持って執り成しあい 励まし合い 祈り逢う。 誤解があっても許し合い事から,、新しい神の恵みに出合えると思います。
神と隣人にも無関心を装わないこともたいせつですね。私たち自身が多く,新しい恵みと祝福、癒やしを受ける,救いの福音を伝える切っ掛けを掴むと思います。

神の恵みが あなた様に豊かに注がれますようにと祈ります。




今日は西宮の病院に

御見まいと祝福の祈りに出かけ、またもう一件 富田林にお住まいのクリスチャンを訪ねました。
その方は癌の病で大変な手術をなさいました。 その知らせを聞いて 私は驚き祈りの言葉も思い浮かばず、何故?と 神様に向かって泣いてしまいました。神学生の頃に並々ならぬお世話になりました方です。

逢いに行きたい! でも顔を見ると泣いてしまうし・・。ガソリン代も直ぐには用意できなくて
中々いけませんでした。今日 要約 行く事が出来ました。感謝!!

お目にかかると、随分と明るく前向きなので,驚きました。「神様に守られているから安心だよ!入院中も医師や看護師に証しをしたよ!」 明るく語られて一安心しました。。 普通。抗がん剤の治療中には多くの痛み 食欲減退 髪の毛の脱毛がありますが、それらが一切。無くて・・不思議です。 

医師も 看護師も 末期癌の人が こんなに明るいのは初めてと 驚いていました。
『どうして?そんなに明るいの?』との問いには、『私の横にもう一人 居るのが見えないですか? キリストが居るのが見えないですか?』と言い 益々 驚き 納得して キリストの話しを 看護師から進んで話しを聞きに来たそうです。

彼は看護師さんが様子を見に来る度に,キリストの話しをしていたそうです。今日。お目にかかり納得しました! 末期癌とは思えない元気さと明るさですからね。

本当に末期の癌なんです。 肺や膀胱に転移があります。けれど、神が支えていると知り感謝です。 
一年半前に糖尿から 片足の切断をなさいました。 今回は癌です。

何故?次々と・・しかしその度に強くなる信仰を見て返って励まされた私でした。
苦しみや病を通して 神の臨在の力 助け 信仰が深まるのは、その方が神と出会っているから,
全てを どの様な状態なっても一切を 神様にお任せできるのですね。

一切の不安を捨てて,神と出会うから 霊が 魂が癒やされ平安があります。 癒やしだけを求めて,治っても 魂が救われないなら無意味です。

主の祈りでは、「天にあるように,地でもおこなわれるように。」と祈るようにさらりと イエス様は言われました。 此処には深い意味があります。 神に本当に出会っているならば・・出逢うならば 天国のように、地上でも神の臨在に包まれて 苦しみが無く 癒やしがあり、救いがあります。

ヨブ3:20 なぜ、苦しむ者に光が与えられ、心の痛んだ者にいのちが与えられるのだろう。
 3:21 死を待ち望んでも、死は来ない。それを掘り求めても、隠された宝を掘り求めるのにすぎないとは。
 3:22 彼らは墓を見つけると、なぜ、歓声をあげて喜び、楽しむのだろう。


大阪の湾岸線(高速)料金所付近から淀川と大阪市内方面。
 高速の入り口 出口を間違えてしまう・・。普段は使わない高速です。
 
湾岸線5477
 

                   

神と出会うためには、その福音を語る教える、人の助けが必要です

その背後には,聖霊の働き、導きがあります。その導き、助けが,神から来た助けであるか?見極める事も,敏感であることも大切です。
神の助けはあっても,それが何時なのかは多くの場合は事前に告げられることは少ないです。

この点で,敏感だったのは,アブラハムでは無いでしょうか?何時 神からの現実的な知らせが来るのか分かりませんでした。 けれど 固く信じて,その日を首を長くして待っていたと思います。神ご自身が約束したとしても,あなたが確信し,義と認められても実行するのは神です。
漠然と信じても駄目では無いのかな?確信し待つこと,注意深く神の到来を待つことではないだろうか?
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創 18:2 彼が目を上げて見ると、三人の人が彼に向かって立っていた。彼は、見るなり、彼らを迎えるために天幕の入口から走って行き、地にひれ伏して礼をした。
 18:3 そして言った。「ご主人。お気に召すなら、どうか、あなたのしもべのところを素通りなさらないでください。
 18:4 少しばかりの水を持って来させますから、あなたがたの足を洗い、この木の下でお休みください。
 
注意深く 何年も待つことも並み大抵では無いですが・・。うっかりしていたら,神の恵み、知らせも目の前を通り過ぎる可能性がありませんか? 神の知らせには敏感でありたいですね。

 もし私たちが,余りこの点で敏感では無い場合。私たちの隣人から神の助けを受ける事があります。
 決して強制はしない、謙遜な助けであり、その助けは私たちを神に導く聖霊様の助けと酷似している場合が多いです。私たちの信仰を助けてくれる助け 助言者 です。

若きサウルに仕えていた僕(しもべ) 彼の部下です。 
 第一サムエル記 9:4 そこで、彼らはエフライムの山地を巡り、シャリシャの地を巡り歩いたが、見つからなかった。さらに彼らはシャアリムの地を巡り歩いたが、いなかった。ベニヤミン人の地を巡り歩いたが、見つからなかった。
 9:5 彼らがツフの地に来たとき、サウルは連れの若い者に言った。「さあ、もう帰ろう。父が雌ろばのことはさておき、私たちのことを心配するといけないから。」
 9:6 すると、彼は言った。「待ってください。この町には神の人がいます。この人は敬われている人です。この人の言うことはみな、必ず実現します。今そこへまいりましょう。たぶん、私たちの行くべき道を教えてくれるでしょう。」
サウルは 
彼の従者の助けで,サムエルに合う事が出来ました。神はそのことを事前に告げていました。
従者の信仰が,彼を導きました。{従者が 銀を献げようとした事を、サウルは拒否しています。此処に神への献身度合いが見え隠れしていませんか? 8節}

またこれと似たケールが ナーマン将軍と従者の話が聖書に書かれています 。従者の話を聞き入れて、ナーマン将軍は 神の癒やしを受けて 神と出会いました。

第2列王
5:3 その女主人に言った。「もし、ご主人さまがサマリヤにいる預言者のところに行かれたら、きっと、あの方がご主人さまのツァラアトを直してくださるでしょうに。」

第2 列王 5:10 エリシャは、彼に使いをやって、言った。「ヨルダン川へ行って七たびあなたの身を洗いなさい。そうすれば、あなたのからだが元どおりになってきよくなります。」
 5:11 しかしナアマンは怒って去り、そして言った。「何ということだ。私は彼がきっと出て来て、立ち、彼の神、主の名を呼んで、この患部の上で彼の手を動かし、このツァラアトに冒された者を直してくれると思っていたのに。
 5:12 ダマスコの川、アマナやパルパルは、イスラエルのすべての川にまさっているではないか。これらの川で洗って、私がきよくなれないのだろうか。」こうして、彼は怒って帰途についた。
 5:13 そのとき、彼のしもべたちが近づいて彼に言った。「わが父よ。あの預言者が、もしも、むずかしいことをあなたに命じたとしたら、あなたはきっとそれをなさったのではありませんか。ただ、彼はあなたに『身を洗って、きよくなりなさい』と言っただけではありませんか。」
 5:14 そこで、ナアマンは下って行き、神の人の言ったとおりに、ヨルダン川に七たび身を浸した。すると彼のからだは元どおりになって、幼子のからだのようになり、きよくなった。

 私たちを助ける隣人 助言者<また聖霊様>を退け 無視できるる事も簡単にできる、私たちです。 エリシャは,ナーマン将軍の最初に期待していた答えとは違ったこと伝えて、彼ナーマンは怒ってしまいました。 でも神の力を知っていた従者の忠告を聞き入れて 癒やされ神に出会いました。
 
私たちは案外よこうありたいと 最初に祈っていた答えとは無いでしょうか ?最初に神が違う答えを出されたら、それでも謙遜になって従えますか? 私たちは謙遜に,静かに語りかける 聖霊の助けには素直になって聞き従える心の余裕を持ちたいです。 如何でしょうか?

神様に祈って,叶えられない!?何故?理解に苦しむことも案外多いのでは?
身近なクリスチャン同士 教会内の人間関係・・ けれど その背後に 神が本当にあなたに,特別に知って欲しいと願って試練、訓練を与えています。赦しの心を育てる、非難ばかりでは無く,共に祈る心を育てる。。その結果。癒やされる、救われる等々・・

真意を知らず,表面的な現れだけで 言葉が不適当かも知れませんが,食わず嫌い頭越しに否定する方がおられます。特定の教団教理に対して・・
万が一、これがナーマンに示されたことと似ていたら・・?喰わず
嫌い頭越しに 否定している人には、聖霊様からの恵みが遠くなる気がしませんか? 

お互いに許し合い,切磋琢磨し合い 父なる神に近づく事 信仰をお互いに高め合う事を望んでおられます。 
ただ注意しなくてはいけない気がすること。
色々の表れがあっても・・預言 異言 癒やし身体に表れる変化 等々 感動したリーダーや説教者 その教会メンバー全体に愛に溢れ、神と人に仕える心、謙遜な心.喜びに溢れて 等があり、神に近づく信仰を燃え立たせ,神の臨在に導くのではあれば 頭ごなしにカルトと呼ぶ,判断は慎重にして頂きたい。 鍵は聖霊のご性質の一つ謙遜に勧めることです。強制的 強要に勧めるのであれば注意かな!?謙遜な助言者の働きは損なわれています。
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独りよがりになってネットで,誰々はカルトと実名の批判の書き込みを見る事。未信者への影響もありますから心が痛い!確かな証拠 間違いを指摘する人たちの連名でネットの批判にも必要ではと思いませんか? 神の御言葉がネットエチケットには必要では・・?
第一 テモ5:19 長老に対する訴えは、ふたりか三人の証人がなければ、受理してはいけません。
聖霊はいつも、控えめ、謙遜な助言者でなんですね。


最後までご覧くださり感謝します。父なる神が豊かに 祝福をなさいますように。
 

キング牧師の記録の映画を見ました。

無暴力で アメリカの国を動かしました。 

奴隷制度から解放されても、アメリカ黒人社会に公民権が無い時代に、法の下の平等を訴えて立ち上がりました。
聖書の元にある人間の平等を訴えました。
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白人社会にも聖書からの平等を理解はあっても 実行に移す人は少数派でした。
南部アメリカでは,クリスチャであっても奴隷制度や、黒人の人権を認めない人もいました。
人間社会の労働力としての黒人でした。聖書を読んでも,神の考え方、神の目線では無く,人間側の解釈から黒人への人権無視がありました。悲しいことです。
                
ベトナム戦争当時  ジョンソン大統領とも公民権の交渉。弱腰の大統領も描写されていました。
キング牧師がノーベル平和賞を受賞していたので、ジョンソン大統領も余り無視できなかった。またベトナム戦争中でしたから、余り黒人問題に深く関われなかった時代でもあります
         リンク⇒   グローリー 明日への行進 キング牧師の記録
人権問題として、牧師ではあったが信仰の話を深く結びつけることが無かったですね。

 ちょうど50年前の1965年3月7日。セルマの地で黒人の選挙権を求め平和的なデモ行進をしていた人々が、警官隊に暴力で弾圧された―。この“血の日曜日事件”はアメリカ国民に大きな衝撃を与え、次第に人種をまたいだ2万5000人もの人々による歴史的大行進へと発展していく―。
この世紀の行進の指揮をとったのが、マーティン・ルーサー・キング・Jr.=キング牧師だ。彼は、政府やFBIによる妨害、白人至上主義者による家族の殺害予告、そして信念の代償として命を落としていく同胞たちと、多くの苦悩や葛藤を抱えながらも、反対者の殺害で39歳の若さでその人生を終えるまで、生涯「非暴力」という志を貫き通した。
               

1964年ノーベル平和賞を受賞したキング牧師は、翌65年、黒人の選挙権を求める525人の同志と共に、アラバマ州セルマから州都モンゴメリーまで80キロのデモ行進を始めるが、そこに待ち構えていたのは白人の州警察と民兵隊だった。次々と黒人たちが殴り倒されていくニュース映像が全国に流れ、テレビの前の全米7,000万人が衝撃を受ける。

信仰 肌の色など関係ない。人は皆平等だと信じるならば共に行進しよう」キング牧師の呼びかけに、全国から続々と人々が集まってくる。翌日、黒人と白人、男と女、大人と子供がしっかりと腕を組み、彼らは再び歩き始めた。


牧師としてその愛を家族や同胞に伝える行動しました。神に人間に平等を与える神だと言う信念に向き合いました。理解者を探していても、無闇な説教して強要をしていなかったようです。

アメリカの黒人社会が認められて公民権を得たのは,僅かに50年くらい前なんですね。
今そのことがぐらつき始めています。 アメリカ南部から白人優位主義が、また暴力を行使始めています。 白人青年が 黒人を学校で射殺.予告をYOUTUBEに流す事件が最近ありましたね。

愛によって結び、愛によって協調理解をする人間社会を神は望んでいます。
自己の利益や立場より,神の目線に立つことの重要性を改めて知りました。

選挙権が 私たちに与えられていることを,改めて感謝しその一票を大切にしたいとも思いました。世論を動かす事が出来るのは熱意と小さな行動 1票です。

日本は民主主義というが、どちらかと言うと政党主義ですね。
正当の利益ばかりを追求する傾向には歯止めが必要になってきていると思います。

 

私たちの信じる神は,どの様なお方?

神の名前を神聖なので,直接 呼びつけることは出来ません!

 神は好き嫌いする方(人間的な価値観の好き嫌いでは無い。)と前記のブログで書きましたが  、その神様のご性質を知るには、神様の聖なるお名前を別な喩えから,知る事が出来ると思います。

聖書を調べたら 分かることですが、あくまでも 私的な要素も含まれていますのでご理解ください。
           
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神の名前の意味 父なる神 主のお名前から の一部です。
EL SHADDAI(エルシャダイ):全能なる神、ヤコブの力ある方。(創世記49:24;詩篇132:2、5)−全ての物の神の神の究極的な力を示す。

EL, ELOAH(エル、エロア)力ある、強い、卓越した神(創世記7:1;イザヤ9:6) – 語源上、エルは、“力”という意味があるように見える。創世記31:29にある“私はあなたがたに害を加える力がある”のように。エルは、誠実(民数記23:19)や、ねたみ(申命記5:9)や憐れみ(ネヘミヤ9:31)のように他の質にも関連している。

ELOHIM(エロヒーム)創造者、力ある、強い神(創世記17:7;エレミヤ31:33) – エロアの複数形。三位一体の神と言う教理を確立させる。聖書最初の文章から、神としての最上級の神の力の性質が明らかに見える。神(エロヒーム)が仰せられると世界が存在するようになることで。(創世記1:1)

ADONAI(アドナイ):主(創世記15:2;士師記6:15) – YHWHの代わりに使われた語, YHWH はユダヤ人は、罪深い人間が口に出すにはあまりにも聖なる語だと思っていたので。旧約聖書では、 YHWH は神がご自分の民を取り扱う時により多く使われたがアドナイは神が異邦人を相手にされた時に多く使われた。 アブラハム・イサク の犠牲を献げようとしたときに.一匹の羊が与えられ アドナイ・イルエ(主の山には備え) アブラハムが言った言葉も有名です。 

YHWH / YAHWEH / JEHOVAH:(ヤーウエ/ジョホバ)主(申命記6:4;ダニエル9:14) – 厳密に言えば、神の唯一正しい名。英語の聖書ではLORD(すべて大文字で、アドナイLordと区別するために)訳されている。この名前の啓示は最初にモーセに与えられた。「わたしは『わたしはある』という者である。」(出エジプト 記3:14)この名は即時性、つまり臨在を明記する。ヤーウエは、救いのために神を呼ぶ者とともにおられ、近づきやすく、近くにおられ、(詩篇107:13)罪を赦し、(詩篇25:11)導かれる。(詩篇31:3)

YAHWEH-JIREH(ヤーウェ-ヤイラ):主は備えてくださる(創世記22:14)この名は、主がイサクの代わりに羊をいけにえとして備えてくださった時にアブラハムが記念とした名前 。

YAHWEH-RAPHA(ヤーウェ-ラファ): 肉体的も霊的にも癒す主(出エジプト記15:26)肉体的には、病気から守り、病気をいやすことで。魂は、罪を赦すことで、いやされる。

YAHWEH-NISSI(ヤーウェ-ニシ): 「主はわが旗」(出エジプト記17:15)旗は勢ぞろいする場所と理解される。出エジプト記17章で、荒野でアマレクに勝利したときを記念 した名である。

YAHWEH-M'KADDESH(ヤーウェ-ムカデッシュ):「あなたがたを聖なる者とする、または聖別する主」(レビ記20:8;エゼキエル37:28) – 神は律法ではなく、神のみが神の民を清め、聖なる者とすると明らかにされる。

YAHWEH-SHALOM(ヤーウェ-シャロム):「主は平安」(士師記6:24)–ギデオンが主のみ使いを見た後、祭壇を築いて主のみ使いを見たので死ぬかと思ったとき、み使いが死ぬことはないと確信させたのでギデオンがつけた名前。

YAHWEH-ELOHIM(ヤーウェ-エロヒム): 「神である主」(創世記2:4;詩篇59:5)―神の独特の名YHWH と神の一般的な名を結合した名で、神が主の主であることを示す。

YAHWEH-TSIDKENU(ヤーウェ-ツクヌ): 「主は私たちの正義」(エレミヤ33:16) – ヤーウェ-ムカデッシュのように、人間に義を備えてくださるのは、神のみである。最終的には、私たちのために罪と化して、「私たちがこの方にあって神の義となるために」(第2コリント5:21)来られる御子イエス.キリストにあって備えられる。

YAHWEH-ROHI(ヤーウェ-ロヒ): 「主は私の羊飼い」(詩篇23:1)–ダビデが羊飼いとして 自分のひつs時との関係を思い巡らせた後、神と自分の関係と全く同じだということに気づいて、「ヤーウェ-ロヒは私の羊飼い。私には乏しいことがありません。」と宣言する。

YAHWEH-SHAMMAH(ヤーウェ-シャマ): 「主はここにおられる」(エゼキエル48:35) – エルサレムとそこにある神殿を指した名で、一度は離れて行った神の栄光が(エゼキエル8-11章)戻ってきたことを示す。(エゼキエル44:1-4).

YAHWEH-SABAOTH(ヤーウェ-サボアス):「万軍の主」(イザヤ1:24;詩篇46:7)万軍とはみ使いと人間との軍勢のこと。神は、天と地上の住民、ユダヤ人、異邦人、裕福な者も貧しい者も主人も奴隷も含めて、すべての軍勢の主である。この名は、神の威厳と力と権威の表現で、神はご自分が定められたことをすべて達成することができることを示している。 

EL ELYON(エル エリオン): 最も高い神(申命記26:19) – へブル語の“上がっていく“、”上る“の根源からきている。それで、一番高いものという意味を暗示している。エル エリオンは高く挙げることを意味し、主としての絶対的な権利のことを言っている。

EL ROI(エル ロイ): 「ごらんになる方」(創世記16:13) – サラに追い出された後、荒野で一人ぼっちで絶望していたハガル(創世記16:1-14)がつけた神の名。ハガルは主のみ使いに会った時、 神ご自身を見たのだと気づきます。そして、エル ロイは悩みの中にいる彼女を見ておられたとも気づきます。 それで、神は生きておられ、すべてを見ておられると証言しています。

EL-OLAM(エル-オラム): 「とこしえの神」(詩篇90:1-3)– 神の性質は終わりもなく始まりもない。時間の制限から自由で、神ご自身のうちに時間の原因そのものを含んでおられる。「とこしえからとこしえまで、あなたは神です。」

EL-GIBHOR(エル-ギブホー): 力ある神(イザヤ9:6) – このイザヤの預言的内容の箇所で、メシヤ、キリスト.イエスを延べる名。力強い、力ある勇士として、メシヤ、力ある神は神の敵を倒し鉄の杖を持って支配される。(黙示録19:15

父なる神 主のお名前から の一部です。 父なる神、アバ と呼びかけたのは、キリスト様ご自身です。それまでの旧約聖書には無い表現。そのご性質をうかがえる気がします。

私たちも、いつも 父よ 父ちゃん と呼びかけることが出来る神です。 イエス様が主の祈りを通して教えてくださいました。
 

神の愛には,より好みがあるのかな?パート2

神様の愛は、全て信じる人に は等しい愛なのでしょうか?
前記では,アブラハムは「神の友」と呼ばれましたが、モーゼには「神の友」とは呼ばれませんでした。 
この違いは何でしょう?カインとアベル!同じ捧げ物であるのに、カインの捧げ物を拒否なさいました。

初めてこの聖書箇所を読んだ時に何故と?と思いませんでしたか? 色々。神学的な裏付けもされてはいます。しかし・・。アベルは、動物の血。命を捧げています。 また献げたときの態度。アベルとアベルとの違いも在ります。
アダム達がエデンを追放される時に、一匹の獣の血が流されています。救いと犠牲の原形とも言えます。

創 3:21 神である神は、アダムとその妻のために、皮の衣を作り、彼らに着せてくださった。

アベルは、両親からこの話を伝え聞いていたのでしょうね。初物の捧げ物に,同等の捧げ物を選んだ,彼の心を受け入れたと思う神様です。 詳細な神様の気持ちは,聖書には書かれていませんけれど・・血の代価には、血で
返したアベルの心を愛されたのでしょうね。

 逆に,カインの態度、心はふてくされていませんか? 
私たちが,神に捧げもの、私利私欲が含まれていないだろうか? 

神から受けた恵みを血の代価で払う.これ程 尊いことは無いですね。 

アブラハムは人生の中で、神のテストからは失敗を繰り返していましたが、最後には神の命令に忠実でした。 イサクを献げる決心をしました。血の捧げ物は,アベルと同じです。 またエデンで神がアダムに与えた獣の血の代価です。 のちに,キリストの血の購いの原形となりました。


モーゼは・・? 神様の命令に忠実でしたことを,私たちは知っています。
ただ一点。神が言われていた通りに,彼の杖を使いませんでした。
砂漠の中で、水が無いとイスラエルの人たちから,散々文句を言われ,イラ立っていました。
神は、「杖を岩に向かって,差し出すように」と語りましたが,モーゼはイラだって その岩を叩いてしまいました。
                       
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民 20:8 「杖を取れ。あなたとあなたの兄弟アロンは、会衆を集めよ。あなたがたが彼らの目の前で岩に命じれば、岩は水を出す。あなたは、彼らのために岩から水を出し、会衆とその家畜に飲ませよ。」
 20:9 そこでモーセは、主が彼に命じられたとおりに、主の前から杖を取った。
 20:10 そしてモーセとアロンは岩の前に集会を召集して、彼らに言った。「逆らう者たちよ。さあ、聞け。この岩から私たちがあなたがたのために水を出さなければならないのか。」
 20:11 モーセは手を上げ、彼の杖で岩を二度打った。すると、たくさんの水がわき出たので、会衆もその家畜も飲んだ。
 20:12 しかし、主はモーセとアロンに言われた。「あなたがたはわたしを信ぜず、わたしをイスラエルの人々の前に聖なる者としなかった。それゆえ、あなたがたは、この集会を、わたしが彼らに与えた地に導き入れることはできない。」

モーゼは神に従いましたが、この一点で神を聖なる方としませんでした。絶対者の神に 少しでも忠実になることを,私たちに対して示唆しています。モーゼは約束の地、カナンの地には入ることを赦されませんでした。私たちが知りえる神のお気持ち 愛は一部でしか無いですが、キーワードの一つとして忠実がある気がします。 イスラエルの民の導き手としてモーゼはとても優れて人でした。
十字架にかかる計画をイエス様に告げたエリヤと共に一人では無いでしょうか?キリストの姿が弟子達の目の前で変貌したときのことです。 この時、エリヤとアブラハムでは成った人選は.神だけが知っています。

さて・・神の御心を思っての捧げ物、祈り 献金が無いだろうか?また、独りよがりだったり、
手前味噌の献身 献金 献品が無いだろうかといつも吟味しています。 神に誠意を尽くしきる人を神は愛されるのでは無いだろうか?

私たちが神に向かうとき,その誠意 心を神様ご自身が吟味なさいますね。神の吟味に合格した者には格別な恵み 祝福が伴うと信じます。

エホバ エルシャダイ等と 多くの神聖な お名前で例えられている,私たちの父なる神を絶えず 聖なる 聖なる絶対者 雄一の神として崇める者だけに 格別な恵みが伴うと信じます。


教会に出席して、クリスチャン同士に 傷付けられてとしても,いつも神に目を留めていれば 神は守られます。
 その鍵は赦しであることは、変わらないと思います。

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