google-site-verification: google8bec6e3f3bda2812.html

心の風景、愛の聖書、福音と癒やしと日常から。ミカエル小栗

ミカエル小栗がつづる心の風景。聖書の福音は愛と救いと癒やし。日常の出来事の心の雑記帳風景ブログです。聖書に基づくカウセリング、祝福と救いと心の癒やしを祈ります。あなたの教会のメッセージ奉仕もします。ご依頼はメールにて!

2015年03月

神の救い 助け、癒やしを受ける。

その後には、神への感謝を捧げ物をして、最初に受けた恵みを神に献げ返し行為をしたのは、カインとアベルでした。 

創世記4:3−4 ある時期になって、カインは、地の作物から主へのささげ物を持って来たが、アベルもまた彼の羊の初子の中から、それも最上のものを持って来た。主はアベルとそのささげ物とに目を留められた。

この時、始めて得た初子を献げたアベルの心を喜ばれたのは神様ご自身でした。作物が何故?神は受け取らなかったか?までは書いていませんが、憶測としては、その時のカインの気持ちを見ておられたと思います。

ヘブル11:4 信仰によって、アベルはカインよりもすぐれたいけにえを神にささげ、そのいけにえによって彼が義人であることの証明を得ました。神が、彼のささげ物を良いささげ物だとあかししてくださったからです。彼は死にましたが、その信仰によって、今もなお語っています。

次に、アブラハムが戦争に勝利した際に、アブラハムを祝したシャレム王であり、大祭司メルキゼデクに感謝の捧げ物を、十分の一を取って献げました。 創世記14:20

忽然と現れた大祭司メルキゼデクですが、この人物はいったい誰か?その人は、ノアのこ子セムだろうと思います。創世記10章にはセムは500年生きました。セムから生まれた子供それぞれの生きた年を引き算していくとアブラハムが生まれた時代にもセムは生きていたことになります。 大洪水からアブラハムまでは、約400年です。


DSCF0517

創世記 
28:20 ー22 それからヤコブは誓願を立てて言った。「神が私とともにおられ、私が行くこの旅路を守り、食べるパンと着る着物を賜り、 無事に父の家に帰らせてくださり、こうして【主】が私の神となられるなら、石の柱として立てたこの石は神の家となり、すべてあなたが私に賜る物の十分の一を必ずささげます。」

願いを祈り、神から恵みを受けた時には、収入の十分の一を献げる自然な形が出来上がって習慣化されてきました。習慣化されても、心からの捧げ物で無ければ、カインの捧げ物に借りかねませんから、心の注意が要ります。 ユダヤ人には慣例化された後、律法として定められました。

病気の癒やしを祈ったり、誓願を立ててから回復した場合も 、神様に捧げ物をすることを勧められています。


申12:6 あなたがたは全焼のいけにえや、ほかのいけにえ、十分の一と、あなたがたの奉納物、誓願のささげ物、進んでささげるささげ物、あなたがたの牛や羊の初子を、そこに携えて行きなさい。

レビ記には、病気の回復の願いをする前やその後、回復したときには捧げ物をするように勧められています。小麦粉から牛まで・・ その人の経済状態にも 神は配慮しておられます。

レビ
14:11 きよめを宣言する祭司は、きよめられる者と、これらのものを【主】の前、会見の天幕の入口の所に置く。
 14:12 祭司はその雄の子羊一頭を取り、それを油一ログといっしょにささげて罪過のためのいけにえとし、それを奉献物として【主】に向かって揺り動かす。
 14:13 罪のためのいけにえと全焼のいけにえをほふった所、すなわち聖なる所で、その雄の子羊をほふる。罪のためのいけにえと同様に、罪過のためのいけにえも祭司のものとなるからである。これは最も聖なるものである

レビ
14:21 その人が貧しくて、それを手に入れることができないなら、自分を贖う奉献物とするために、雄の子羊一頭を罪過のためのいけにえとして取り、また穀物のささげ物として油を混ぜた小麦粉十分の一エパと油一ログを取り、
 14:22 また、手に入れることのできる山鳩二羽か家鳩のひな二羽を取らなければならない。その一羽は罪のためのいけにえ、他の一羽は全焼のいけにえとする。


イエス様も癒やされた後の注意として、神の癒やしを受けた事を人々に証しして、神がした事を言い広めるように、人々伝え讃美できる様にと言われました。

またレビ記に習い清めの証し、感謝の捧げ物をするように、イエス様は私たちに語っておられます。


マルコ1:44 そのとき彼にこう言われた。「気をつけて、だれにも何も言わないようにしなさい。ただ行って、自分を祭司に見せなさい。そして、人々へのあかしのために、モーセが命じた物をもって、あなたのきよめの供え物をしなさい。」 注意、この箇所では、言わないようにと言われましたが、主の時が来る前でした。 清めの捧げ物をすることは、主キリストは認めておられます。

 
DSCF0527

 
 癒やしを祈り、治ったら、感謝の捧げ物をすることは正しい事です。それぞれの経済状況にも神は答えられています
 レビ 5:11 もしその人が山鳩二羽あるいは家鳩のひな二羽さえも手に入れることができなければ、その犯した罪のためのささげ物として、十分の一エパの小麦粉を罪のためのいけにえとして持って来なさい。

 詩 50:14 感謝のいけにえを神にささげよ。あなたの誓いをいと高き方に果たせ。
50:23 感謝のいけにえをささげる人は、わたしをあがめよう。その道を正しくする人に、わたしは神の救いを見せよう。」

出エジプト 23:25 あなたがたの神、主に仕えなさい。主はあなたのパンと水を祝福してくださる。わたしはあなたの間から病気を除き去ろう。 

パンと水は、私達が生きていくための必需品。健康で在る事、病気が取り去られる癒やしを保証して下さいます。二つが並んだ言葉ですが、癒やしを受けた感謝、贖罪の供え物として、神に捧げる行為は、神が祝福なさいます。  キリストにあって、霊的なユダヤ人、キリストに身を寄せる異邦人である私たちも、自発的に、この神の命令を守ることは大きな意味を持っています。

自発的に私たち異邦人が、キリストの元にもを寄せて、神の加護と救いを受けるために律法を守る事は、神から祝されます。ユダヤ人に対して、身を寄せる異邦人を守るように旧約聖書にも書かれています。そのこと知っているユダヤ人が集まり協議もしています。下記の使途行伝

私たち異邦人が律法をを守るべきか、自発的な課題となりました。守れる者は守った方が祝福が大きい事は明らかです。その津法の中では病にかかり癒やされたら、祭司に病が癒やされたことを確認をおこない、神殿に、幕屋に、清めの捧げ物をおこなうことを含んでいます。未だ癒やされていない場合が、癒やされるように、贖罪の捧げ物を 誓願の捧げ物をユダヤ人達はしていました。


律法はおこなうことに重きを置きやすいですが、重要なのはその心です。つまり、神への感謝の行為です。
下記の御言葉は参照に・・


使徒
15:5 しかし、パリサイ派の者で信者になった人々が立ち上がり、「異邦人にも割礼を受けさせ、また、モーセの律法を守ることを命じるべきである」と言った。
 15:6 そこで使徒たちと長老たちは、この問題を検討するために集まった。
 15:7 激しい論争があって後、ペテロが立ち上がって言った。「兄弟たち。ご存じのとおり、神は初めのころ、あなたがたの間で事をお決めになり、異邦人が私の口から福音のことばを聞いて信じるようにされたのです。
 15:8 そして、人の心の中を知っておられる神は、私たちに与えられたと同じように異邦人にも聖霊を与えて、彼らのためにあかしをし、
 15:9 私たちと彼らとに何の差別もつけず、彼らの心を信仰によってきよめてくださったのです。
 15:10 それなのに、なぜ、今あなたがたは、私たちの父祖たちも私たちも負いきれなかったくびきを、あの弟子たちの首に掛けて、神を試みようとするのです。
 15:11 私たちが主イエスの恵みによって救われたことを私たちは信じますが、あの人たちもそうなのです。」


使途14:27 そこに着くと、教会の人々を集め、神が彼らとともにいて行われたすべてのことと、異邦人に信仰の門を開いてくださったこととを報告した。

 マラキ 3:10 十分の一をことごとく、宝物倉に携えて来て、わたしの家の食物とせよ。こうしてわたしをためしてみよ。──万軍の【主】は仰せられる──わたしがあなたがたのために、天の窓を開き、あふれるばかりの祝福をあなたがたに注ぐかどうかをためしてみよ。

上記の御言葉だけが、神を試すことが出来る事が可能であると示している捧げ物に関しての御言葉です。


イスラエルの王の中で、ヒゼキアが個人的に好きな一人です。神から死の宣告を受けて死にかける。へりくだり癒やさた王でした。王と民は自発的な捧げ物を、神におこなっています。
 
第二歴代29:31 そのようなことのあとで、ヒゼキヤは言った。「今、あなたがたは主に身をささげました。近寄って来て、感謝のいけにえを主の宮に携えて来なさい。」そこで集団は感謝のいけにえを携えて来た。心から進んでささげる者がみな、全焼のいけにえを携えて来た。
 
前後しますが、民が間違った方法で捧げ物、過ぎ越し生け贄を食べてしまいました。その時、ヒゼキアはとりなしの祈りを捧げています。その結果。民は癒やされました。参照。第二歴代 30:18−21

重要なこと。 神への感謝 自発的な感謝です。 日本人に多い義理人情からの捧げ物ー献金 献品は控えましょう。牧師が言ったからと渋々も献金することも避ける行為です。 

マタイ 8:17 これは、預言者イザヤを通して言われた事が成就するためであった。「彼が私たちのわずらいを身に引き受け、私たちの病を背負った。」

律法的な捧げ物よりは 感謝の生け贄、捧げ物です。

使徒13:39 モーセの律法によっては解放されることのできなかったすべての点について、信じる者はみな、この方によって、解放されるのです。

私たちは、救いを、癒やしを、様々な助けを祈り願います。 答えられたら 感謝の捧げ物をすることを神は求めておられます。前記に書いたように、聖書がしめすように、そレぞれの経済状態の中から十分の一。それも経済的に不可能に近い場合は、神に告げたー赦しを願いー事情は神がご存じです。その中から最良な小麦粉を献げています。

聖霊が、私たちの心に語りかける物を、感謝を持って献げましょう。献げた後、病が更に癒やされ、救い。喜び 平安が益し加えられるのは神様です。
現代では牛、羊や鳩と言った犠牲の捧げ物代わりに、献金 献品 献労働、 人生を献げる。色々その人に相応しい感謝の捧げ物があります。 人から言われた?強いられたのでは無く自発的な感謝表現の捧げ物を受け取られます。

同じく献げても カインのような、神がお受け入れられない捧げ物は止めましょう。また誓願を立てて願った事。誓願ー特別な願いを神との契約をして、「神が叶えられたら、私はこの様にします。」と言ったことを必ず実行しましょう。 出来そうも無い事を誓願することは最初から避けましょう。


キリストの栄光を感謝、表す捧げ物が大切です。  このブログを読んで下さる、あなたに、大きな恵みがありますように祈ります。

ネット社会から生まれる弊害でありがちな、

一方的に、自分の意見を書く方がおられます。 確かな発言の元になるインタビュー、本当にあなたがこの様な語ったのか?考えているのか?の確認がなされないまま憶測で書かれている文章もネットではよく見かけます。実は私自身もそのような攻撃をネット上で書かれたことがあります。

 書き込みの根拠、私への確認が無いままネットに書いていました、気がついて問いあわせても書き換えることも無かった人でした。驚いたのは彼もクリスチャンだと言って、多数の教会や牧師を、本人からのインタビューと確認もなしで、ペンテコステやカリスマ系の教会牧師をネット攻撃をしていました。  私の場合は、ある牧師の話を聞いて感銘と指導を受けた事があったと書いていたら、まるでカルト扱いの書き込みででした。私自身に確かめる問いあわせも無く、遺憾の意を表現しました。 神が本当の裁く方。裁判官です。

最近、2チャンネルやFACEBOOKでも、クリスチャンと言っている人も見かけることが増えてきました。愛と慎みの霊によって 書き込みをしたいです。


DSCF0529

キリストに在ってのインターネットの書き込みエチケットとは何でしょうか?

 正当で、誠実なものであれば良いですね。けれど、信仰上の問題相談と言って 教会の信徒同士の争い、牧師への不満、献金の問題が多いです。私は正しいとのスタンスでの書き込みが多いです。
読者からのアドバイスを受けても聞く耳が無い姿勢には何のための相談だろうか?と思ってしまいます。

個人名を揚げて攻撃をしない事も大事だと思います。異端、カルトへの注意喚起も必要です。時々節度を越えた感じがする。「その牧師より、私が正しい!。」と言い過ぎて、キリストの栄光が第一では無い気がする書き込みを見かけます。

クリスチャンの一人としてエチケット考える。誰かを批判する場合でも思いやり、慎みの言葉、品格ある言葉が、感動をあたえる気がする。ネット上に書き込むと、書いた本人が消さない限りは、半永久的に掲載が続きます。 批判された後、悔い改めてた後にもネットには残るのです。

批評を越えた避難することに快感を覚えているの様に感じるのは酷いです。批判が行為が既に偶像化になっていないだろうか?偶像かとは心囚われて、神より大事になる事を指します。避難して抑え込みたい気持ちが、神より第一になってしまうことです。この人はクリスチャンと思う汚い言葉には幻滅します。それでも、神に愛されている一人でもあります。

DSCF0505

 神の言葉を柔軟に受け入れ、批判も神の御心に添うようにと・・
 人を裁くことに囚われると、上記の石の像のようになると思いませんか?

ロマ
12:3 私は、自分に与えられた恵みによって、あなたがたひとりひとりに言います。だれでも、思うべき限度を越えて思い上がってはいけません。いや、むしろ、神がおのおのに分け与えてくださった信仰の量りに応じて、慎み深い考え方をしなさい。

汽謄 5:8 しかし、私たちは昼の者なので、信仰と愛を胸当てとして着け、救いの望みをかぶととしてかぶって、慎み深くしていましょう。

反面教師として、見る。考える場合もありますが、御霊の実から出た発言なのかを考えてしまします。 ガラテア 5:22  「しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実。」から出て意見を書いているのだろうかと考えてしまいます。

発言、ネットに書き込む場合。
マルコ8:15 そのとき、イエスは彼らに命じて言われた。「パリサイ人のパン種とヘロデのパン種とに十分気をつけなさい。」 宗教の霊・支配権力の霊を指しています。その悪い霊に、自分が囚われているかを考えて見ないといけないです。

 
ネット上でも、飛散して、その避難する相手の人の人格抹消する行為は避けて欲しいです。生き残るチャンスも残さないと行けない気がします。

 機.謄 5:8 しかし、私たちは昼の者なので、信仰と愛を胸当てとして着け、救いの望みをかぶととしてかぶって、慎み深くしていましょう。
DSCF0480

 ネットに書き込む場合も、クリスチャンとしての慎みを保ちたいです。
極端な個人攻撃、名前を挙げて書いた場合は書いた方にも責任が付いてきます。書いたあと悔い改めるチャンス、余裕を残したり、悔い改めた場合には削除をして欲しいです。
インターネット上の争いが、未信者さんには悪でしか無く、神の国の栄光を奪ってしまいます。

ヨブ記には、ヨブを諭す3人の賢者の意見が書かれています。この余滴に見たら正しいと思う意見書かれています。けれど、神は最後に、彼らを叱りました。神の思いと、私たち一般常識が違う場合もあります。注意してネット上に書き込む事が大切です。

同情を買いたい人も居ます。アドバイスしても聞く耳が無い。
牧師の品格を疑う書き込みも、場合もあります。教会を変わった方が良いです。


 ネットに書くのは自由ですが、誰方。教会内の問題を書く前に、所属の教会内で解決すれば良いです。
マタイ。8:15〜19
8:15 また、もし、あなたの兄弟が罪を犯したなら、行って、ふたりだけのところで責めなさい。もし聞き入れたら、あなたは兄弟を得たのです。
 18:16 もし聞き入れないなら、ほかにひとりかふたりをいっしょに連れて行きなさい。ふたりか三人の証人の口によって、すべての事実が確認されるためです。
 18:17 それでもなお、言うことを聞き入れようとしないなら、教会に告げなさい。教会の言うことさえも聞こうとしないなら、彼を異邦人か取税人のように扱いなさい。
 18:18 まことに、あなたがたに告げます。何でもあなたがたが地上でつなぐなら、それは天においてもつながれており、あなたがたが地上で解くなら、それは天においても解かれているのです。
 18:19 まことに、あなたがたにもう一度、告げます。もし、あなたがたのうちふたりが、どんな事でも、地上で心を一つにして祈るなら、天におられるわたしの父は、それをかなえてくださいます。

 それでも変わらない場合は、足の塵(過去)を払って静かに教会を変われば良いです。

使 13:51 ふたりは、彼らに対して足のちりを払い落として、イコニオムへ行った。 この箇所のちりは福音を聞き入れない、受け入れない事を指していますが、カルトだったり、牧師が間違っていることを悔い改めない場合にも応用出来ます。

 
マタイ。8:15〜19
8:15 また、もし、あなたの兄弟が罪を犯したなら、行って、ふたりだけのところで責めなさい。もし聞き入れたら、あなたは兄弟を得たのです。
 18:16 もし聞き入れないなら、ほかにひとりかふたりをいっしょに連れて行きなさい。ふたりか三人の証人の口によって、すべての事実が確認されるためです。
 18:17 それでもなお、言うことを聞き入れようとしないなら、教会に告げなさい。教会の言うことさえも聞こうとしないなら、彼を異邦人か取税人のように扱いなさい。
 18:18 まことに、あなたがたに告げます。何でもあなたがたが地上でつなぐなら、それは天においてもつながれており、あなたがたが地上で解くなら、それは天においても解かれているのです。
 18:19 まことに、あなたがたにもう一度、告げます。もし、あなたがたのうちふたりが、どんな事でも、地上で心を一つにして祈るなら、天におられるわたしの父は、それをかなえてくださいます。

 どんな場合でも、問題を感じた場合は、互いに話し合って祈り合う姿勢を神は望んでおられる。
牧師や信徒間での話しが本当に正しいか?鵜呑みにしないで調べた上で。発言しネットに書くことが大切。カルト防止にも聖書を調べないてください。
使徒
17:11 ここのユダヤ人は、テサロニケにいる者たちよりも良い人たちで、非常に熱心にみことばを聞き、はたしてそのとおりかどうかと毎日聖書を調べた。

 
DSCF0248

終わりに、クリスチャンのネットマナーですが、「結局のところ、もうすべてが聞かされていることだ。神を恐れよ。神の命令を守れ。これが人間にとってすべてである。神は善であれ悪であれ、すべての隠れたことについて、すべてのわざをさばかれるからだ。」 伝道者の書12:13〜14の御言葉を念頭に置いて欲しいです。

神は無知では無く、私たちの心を見られます。

 の様なことがありますまでは問題定義、警鐘も、批評も良いかなと思います。けれど個人名、特定教会を上げてのコメントというか批判。批評と批判は違うからです。不愉快になること、私たちの霊が喜ばない。内住の霊 聖霊が喜ばない気がします。大天使ガブリエルは、サタンさえも、裁く事は、天の父なる神に委ねていましたね。私たちは許され、また立ち上がるチャンスを神様があたえて下さり、また私たちが立ち上がったら、周囲の人々に証しをしなさいと語って下さいました。ネットで徹底して叩き潰すことには、立ち上がるチャンスを奪う気がします。愛と思いやりのある言葉で包むならば、名前を出さずとも、本人が1番分かっていること。恥じて悔い改めると思います。 行き過ぎる発言 行為は確かにあります。間違った教えをする牧師やカルトもあります。しかし鵜呑みにしないこと。聖書でもう一度、私たちが調べることも必要です。直接、当事者同士で話し確認すれば良いのでは無いでしょうか? どうしても納得をしない場合は、その教会を変われば良いと思いませんか?


参考の言葉として、下記を

マルコ8:15 そのとき、イエスは彼らに命じて言われた。「パリサイ人のパン種とヘロデのパン種とに十分気をつけなさい。」 宗教の霊・支配権力の霊を指しています。

テトス
2:7 また、すべての点で自分自身が良いわざの模範となり、教えにおいては純正で、威厳を保ち、
2:8 非難すべきところのない、健全なことばを用いなさい。そうすれば、敵対する者も、私たちについて、何も悪いことが言えなくなって、恥じ入ることになるでしょう。

ガラテア
5:21 ねたみ、酩酊、遊興、そういった類のものです。前にもあらかじめ言ったように、私は今もあなたがたにあらかじめ言っておきます。こんなことをしている者たちが神の国を相続することはありません。
5:22 しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、
5:23 柔和、自制です。このようなものを禁ずる律法はありません。
5:24 キリスト・イエスにつく者は、自分の肉を、さまざまの情欲や欲望とともに、十字架につけてしまったのです。
5:25 もし私たちが御霊によって生きるのなら、御霊に導かれて、進もうではありませんか。
5:26 互いにいどみ合ったり、そねみ合ったりして、虚栄に走ることのないようにしましょう。
ピリピ
2:3 何事でも自己中心や虚栄からすることなく、へりくだって、互いに人を自分よりもすぐれた者と思いなさい

競謄皀
1:7 神が私たちに与えてくださったものは、おくびょうの霊ではなく、力と愛と慎みとの霊です。

マタイ 10:14 もしだれも、あなたがたを受け入れず、あなたがたのことばに耳を傾けないなら、その家またはその町を出て行くときに、あなたがたの足のちりを払い落としなさい。
口数が多ければ、罪を犯しやすい。気をつけて話す人は思慮がある。
イザヤ 26:12 【主】よ。あなたは、私たちのために平和を備えておられます。私たちのなすすべてのわざも、あなたが私たちのためにしてくださったのですから

汽謄
:1 「人がもし監督の職につきたいと思うなら、それはすばらしい仕事を求めることである」ということばは真実です。
 3:2 ですから、監督はこういう人でなければなりません。すなわち、非難されるところがなく、ひとりの妻の夫であり、自分を制し、慎み深く、品位があり、よくもてなし、教える能力があり、
 3:3 酒飲みでなく、暴力をふるわず、温和で、争わず、金銭に無欲で、
 3:4 自分の家庭をよく治め、十分な威厳をもって子どもを従わせている人です。
 3:5 ──自分自身の家庭を治めることを知らない人が、どうして神の教会の世話をすることができるでしょう──
 3:6 また、信者になったばかりの人であってはいけません。高慢になって、悪魔と同じさばきを受けることにならないためです。
 3:7 また、教会外の人々にも評判の良い人でなければいけません。そしりを受け、悪魔のわなに陥らないためです。
 3:8 執事もまたこういう人でなければなりません。謹厳で、二枚舌を使わず、大酒飲みでなく、不正な利をむさぼらず、
 3:9 きよい良心をもって信仰の奥義を保っている人です。
 3:10 まず審査を受けさせなさい。そして、非難される点がなければ、執事の職につかせなさい。
 3:11 婦人執事も、威厳があり、悪口を言わず、自分を制し、すべてに忠実な人でなければなりません。
 3:12 執事は、ひとりの妻の夫であって、子どもと家庭をよく治める人でなければなりません。
 3:13 というのは、執事の務めをりっぱに果たした人は、良い地歩を占め、また、キリスト・イエスを信じる信仰について強い確信を持つことができるからです。
 3:14 私は、近いうちにあなたのところに行きたいと思いながらも、この手紙を書いています。
 3:15 それは、たとい私がおそくなった場合でも、神の家でどのように行動すべきかを、あなたが知っておくためです。神の家とは生ける神の教会のことであり、その教会は、真理の柱また土台です。
 3:16 確かに偉大なのはこの敬虔の奥義です。「キリストは肉において現れ、霊において義と宣言され、御使いたちに見られ、諸国民の間に宣べ伝えられ、世界中で信じられ、栄光のうちに上げられた。」


私のブログを読んで下さった方々に 神からの祝福、平安、恵みと導きが豊かにありますように。

本音で語り合う事が、

全てが良いとは限らない。

本心からで無く、その人が一時でも語った言葉に徐々に心が支配されやすい。 
「主よ。私の口に見張りを置き、私のくちびるの戸を守ってください。」詩編141:3にも書かれている。 
                   
DSCF0248
 

誰かを批判するとしても、それは己に向かって、先ずは語てからの方が良い。 言葉は心の表現。語った言葉に、心が誘導されやすい。悪い言葉は、悪い行動や考え方を引き起こす。
あの教会の誰々が悪い!牧師が悪い。信徒が悪いと言う前に、喩えそれが本音であっも、
その批判の言葉を自分に言い当ててみてはどうかな?

献金を強要されると感じたなら、 何故?強要されたと感じるのかを、自分に言いかけて、神に感謝する気があるのか無いのか?を考えて見てはどうでしょう?

献金他、教会の運営方法が悪いと思うならば、先ずは自分自身に問いかけてベストな方法が無いかを自分や所属教会に問いかけてみてはどうかな?

インターネット社会ですが、2チャンネル始め色々のブログから語り告げても良い解決になるだろうか?一旦。ネットに書き込むとほぼ消えないです。慎みの唇が必要です。未信者がインターネットから記事を読んだとしても、神の御名が傷付くような発言記事は避けるべきかと思います。教会の批判、牧師の批判も然りです、御名が引き下げられるからです。

私たちは献金以外でも誰かを強要していないだろうかと考えて見る。
キリストを信じている私たちは、人に言う前に、神に語り解決を求めるべきでは無いか?
人に告げてしまうから、神は解決の道しるべを示す事、それらに関する新しい解決策への知識や知恵を失う。人に左右されるからです。第一に相談すべきは神様です。

人に頼り不満や本音を告げてしまう、また解決を求めるならば、神ご自身の御手を引き下ろすことに成り兼ねません。
 
キリストを信じる者であるならば、先ずは相談して、不満を語る相手は、神でなくてはいけないと私は思う。 教会内の問題。病の問題 経済的なことあらゆる分野で、神に語り掛かりかけることが先ではないでしょうか? 「神よ。何故ですか?」と問いかけて下さい。神を第一に求めなさいとイエス様が語っています。

「主よ。私はあなたを呼び求めます。私のところに急いでください。私があなたに呼ばわるとき、私の声を聞いてください。」詩編141:1

                    
DSC00584

問題提起の本音は、各教会や個人の信仰の徳を高めたり、個人個人の信仰を引き締めることになります。愚痴は、本質の解決になら無いと思います。本音と言っても、お互いの傷を舐め合うだけでは解決しません。
助け祈リ合う事から、一緒に神に打ってるようになって、解決が見えて来ると思います。教会の姿勢。教理的に合わないならば、神に訴えて解決策を求めたり、静かに去って、神に相応しい教会に導かれるように祈りました。
ただその語るときに、己の唇に慎みを持って語る方が良いです。
 
ベストカウセラーは主キリストです。牧師でも語った言葉が、その引用が正しいかは、私たち信徒自身が聖書をも1度調べる必要があります。サタンも聖書の言葉を使いますから。要注意です。キリストは、サタンが使った聖書の言葉の誘惑を、聖書で答えました。 パウロの語った言葉を、当時の信徒はもう一度聖書を調べました。

使 17:11 ここのユダヤ人は、テサロニケにいる者たちよりも良い人たちで、非常に熱心にみことばを聞き、はたしてそのとおりかどうかと毎日聖書を調べた。

以前、私が所属していた教会は神の癒やし 聖霊のことを殆ど教えなかった 。メッセージとして語ったとしても、それは昔のことだと教えられた教会でした。 母の痴呆症になって、牧師任せではなく、自分から聖書や文献を調べて、現代でも神癒は存在すると確信し始めて、私自身から、神様に直截。祈りました。教会の説教も聞いたら直ぐに
聖書も文献も色々調べました。

母がその後、痴呆の記憶消失から回復しました。同じく その教会の牧師には献金についても問題があり、静かに、教会を離れて別な教会に変わりました。

ドイツ旅客機墜落。

その原因は第4のリスクだった!

機体の故障。事故。テロ。そして操縦士の自殺に巻き込まれることでした。

この様なケースは、1980年代にJALの操縦士が、着陸時に期待を逆噴射して突発的な自殺を図った。
そのやりとりはボイスレコダーの記録から判明しています。
BOX (1)

「機長! 止めて下さい!」と・副操縦士の悲痛な叫びから判明しています。
その時機体は滑走路をオーバーランをして、羽田の海に飛び込む。100名以上の犠牲者を出しています。

自殺に巻き込む事件がフイリッピン航空機でも起きている。JALの事故以降は、日本では心理状態のチェックをおこなっているようですが、ヨーロッパでは、今まで起きていなかったので、この心理状態のチェックはしていないみたい!?これからは、操縦士のウツ状態や、心理状態はは厳重にチェックして欲しいですね。 自殺は、他人を道連れにしない、これは殺人だ!

義税者には深い哀悼を献げます。

3de8e37f

アメリカや、ヨーロッパでは、9,11の後、テロに備えて、むやみやたらに、操縦席には入れないように厳重なセキュリティーしたようですが、これが仇となったみたいです。

1970年代 飛行機にのると 希望者は操縦席を自由に見られた平和な時代は終わって事が残念です。
 
自殺だ テロだと行って片付けないで欲しい

17
 

年々。医療も発達しています。
 
ハリウッド女優 アンジェリーナ・ジョリー、卵巣と卵管を摘出  リンク先 ⇒アンジェリーナ・ジョリー
卵巣、子宮摘出すると子供が産めなくなります。子供が産めなくても、生きていれば素敵です。
 早期の癌手術はリスクがあっても良いことです

私の妻は卵巣から子宮摘出 肝臓の転移から間に合わずに亡くなりました。妻は便秘症でした。その便秘の原因は大腸癌で、それが卵巣子宮、肝臓に転移していたのです。便秘は女性に多いのだからと気にしていませんでした。普段から余り自分の身体には気を付けないタイプでした。その頃の医療と、今では大きな医療の発達の違いがあります。私の妻。子宮摘出した日に、私は泣きました。肝臓、大腸に大きな転移があると告げられもしました。少し、身体に異常を感じたら、医療機関の検査を受けましょう。

    アンジェリーナ・ジョリーの家系からの遺伝子を気にして、彼女は思い決断をしました。早めにリスクを避けたのです。ただ、このリスクを意識して定期検査をおこなうだけでも、子宮摘出をしなくても良かったとは思います。ただ、子供が産めなくても、生きていれば素敵です。 

リスクを背負ってからだが癒やされなくても、天国で永遠に生きる事も最大の喜び。父なる神は、このために、神子キリストの十字架に変えてまでも、私たちに救いの道をあたえられました。天国。永遠の癒やしです。
                  
IMG_4566

妻の時。私は、イエス様との間に遠い距離感を感じていました。 確かに、御心なら治してください。」とは祈りましたけれど、当時、牧師に任せた祈りでもありました。 強い確信が持てませんでしたし、「神は癒やす神だ!」 癒やしも、御心だと言う事は知りませんでした。その頃、私は神の癒やしについては、その実態には全く知りませんでした。教会でも使途行伝の時代にあっただけと教えられていました。小さく祈って癒やされなかったことを、神に問いあわせて祈りました。

無知は良くない。聖書を調べ、人や牧師任せでは無く、本人。個人個人で聖書を調べることを怠っていました。

『御心ならばと・・』この様に告白することが、健全なクリスチャンだと思い違いもしていました。御心で無いと言われたら、辞めるのだよ!この様に従うと教えられていた気もします?そう思ったと言った方が的確ですね。

聖書には、大声で叫びつつけて、イエス様  父なる神が振り変えられ、御心を劇的な変化をなさいました。この違いはなぜだろうか?
母委の癒やし。痴呆症の時には、絶対に癒やされる。 母は記憶を戻して、キリストの、母自身の口から、キリストは主で在ると告白できるように、繰り返し 繰り返し祈り叫びました。

私は医者では無いので、治ったのか?未だ治っていないかの最終診断は医者がします。 
第一に、内心は神癒が最高です。けれど医師に診てもらわず、神癒だけは間違いです。

癒やしは色々の形があります。病と回復は、神に愛されている事を知る良い機会です。神の栄光を見るチャンスです。 

苦しいとき、私は、私自身の癌の痛みの時に、繰り返して「主よ!々」と痛みが治まるまで叫びました。 
戦記のブログでは、常習性のある薬を飲んでいた青年も、薬が切れて減額など症状が出たときに、彼の意思から薬を絶ちたいと、繰り返して発作が治まるまで繰り返して主の名前を叫び続けました。

使 2:21 『しかし、主の名を呼ぶ者は、みな救われる。』

マタイ 15:22 すると、その地方のカナン人の女が出て来て、叫び声をあげて言った。「主よ。ダビデの子よ。私をあわれんでください。娘が、ひどく悪霊に取りつかれているのです。」
 
カナン人の女性は叫び続けます。一旦は退けられますが、それでも諦めずに叫び続けました。その熱意が・・熱心がイエス様を動かします。 カナン人=ユダヤ人では無い異邦人を指しています。彼女は「食卓から落ちるパンは、子犬でも食べます。」と告白して、異邦人であっても、父なる神の恵みと癒やし。救いを受けたいと叫び続けて告白しました。

信じいて叫びつづけるのか? 諦めて途中で辞めるか? 信仰は自由による希望の選択。神を信じる方を選ぶか?   「御心なら癒やして下さい」  消極的なのか?大胆にイエス様に詰め寄っているのかを、あなたの心を吟味して下さい。

信じても、うわべだけですか? 心底、希望と共に、神を知ろうとするのか 
そのまま、救われただけで終わるのですか?   つまり、神様に貴方が愛される人格に、信仰の大人に成長するか? ヨハネの自負。「1番愛された弟子。」と告白しおています。この様になるまで主イエス様に愛されたいですね。
大声で、叫び続けて、貴方の存在を天国に・・振り向いてくださるまで・・癒やされるまで叫びましょう。    もちろん、身体の癒やしに限らず、聖書の奥義を知りたいと聖霊様にも叫んで、聖書の奥義を請い願いましょう。

  希望を持って祈り続ける。 亡くなったとしても・・。
天国で永遠に生きる事も最大の喜び。父なる神は、このために、神子キリストの十字架に架けてまでも、私たちに救いの道をあたえられました。天国。永遠の癒やしです。

神が人にあたえる知識からとして、癒やしは医療も含んでいます。
私は、最善の医療や医師に巡り会うようにと祈ります。 もちろん、父なる神、キリストの十字架、血潮による癒やしを信じて、あなたのために祈ります。

昨日。大阪から祈っていた青年が訪問してきました。


13年間、総合失調症で苦しんでいた人が癒やされた! 大量の薬から解放されて・・飲まなくても良くなって 落ち着き正常になりました。 インターネットカウンセリング&面会を始めて7〜8年間 祈り続けていました。
 
17時頃に 訪ねて来て、その報告を聞いて 嬉しくて泣きました!
 薬の副作用からも解放されるまで、暫く合えなくて心配していましたが、まるで嘘みたいに正常になっていました。 幻覚、幻聴も無くなりました。 ハレルヤ!
 
彼は、若い頃に、生活面から不安?詳しいことは追究していませんので分かりません。 
酒をよく飲みように成り、睡眠不安定になりました。 睡眠薬を貰うために心療内科に通院するようになりました。
医師から渡された薬を何の疑いも無く飲み続けました。益々。寝られないに加えて、薬科の弊害でしょうか?情緒不安定と言いますか? 幻聴、幻覚も現れるようになりました。


 
ayabeyama_013

 出会った頃。薬を飲んでいるときには正常でしたし、薬を飲んでいないときでも、正常な話しが出来たように思いました。 しかし、薬が切れるに従い落ち着きが無く、瞳もうつろに代わる時も希にありました。

私が彼と出会うときには、何時も食時やお茶を共にして 話を聞いて 少しだけアドバイスしてから、神の導き、癒やしを祈り続けていました。長時間。座り続けて話しすることは避けていました。そのためにも喫茶店や、レストランで会いました。 また彼と同じ世代の青年がいる教会を紹介していました。

私は単立教会で、開拓伝道中です。彼と同じくらいの年齢層の人がいません。
信仰の友がいる様が良いと思ったからです。ダビデとヨナタンの関係が同じ年齢層で、かれに出来たらな〜との思いからです。 カウセリングは、相手の立場に立たないと続きませんね。
彼に合う教会を探し照会。 彼もインターネットから探していました。

出会った後は話を聞いて祈りながら、神様が彼に対して最善を尽くして下さるようにと祈り続けました。
また心療内科の薬を見せて貰ったこともあります。大量な薬を見て、疑問が湧きました。

それで、別の病院を探して紹介したこともあります。 その病院は、最初に通院していた処より、薬の量が少なくなりました。

私たちは、キリストの神癒をいのります。 けれどそれを証明するには医師の診断は欠かせません。
それそれの症状に合わせた祈りをしています。 干からびた骨に、エゼキエルは息をかけました。
イエス様は、病人に会わせた祈り、命令をしています。病んだ細胞に息を吹きかける。復活する、細胞がよみがえるように命じます。

良い医師に出会う事が出来るように。適正な診断が出来るようにも祈ります。
数年間の中で昨年。薬を半分に減らしてはどうかな?と思い伝えました。急に止めることには賛成できませんでしたからです。薬害 常習性 弊害を感じたのです。

イエス様も色々な方法で命じています。
あるときは病に、悪霊につかれた人から出て行くように命じて、ブタの中に行くように、特別に変わった命じた方法もありますね。

ルコ 5:15 そして、イエスのところに来て、悪霊につかれていた人、すなわちレギオンを宿していた人が、着物を着て、正気に返ってすわっているのを見て、恐ろしくなった。

鬱や精神的に落ち込むときには、色々の思いが交差している・・色々の思いが入り乱れる。
他方からの影響=レギオンが影響していると思いませんか?

レギオンは多数の者と言う
意味です。  私たち人間は自分自身をしっかり見据えて保つことを怠ると、周囲からの影響も受けやすいのです。 私たちには、イエス様からは『明日の事を心配するな!』と言い伝えられてはおります。けれど・・ついつい余分な心配。不安。 周りの噂に心奪われていきます。 また現代ではインターネットからも、各自の不安をあおったり間違った情報に翻弄され、次第に、精神的なダメージを受けやすくなります。その不安や間違った情報が多ければ多いほど、レギオンに惑わされやすくなります。

 さて、心療的な病の原因は複雑です。何でもかんでも悪霊 レギオンからとは思いません。しかし悪霊は存在している以上。否定もしませんし影響を受ける事も否定しません。

けれど、悪霊は自分からは人の心には入り込めない。悪霊に対して本人が心を許す、機会をあたえないと入り込めないのです。決別決断。状況を変える。病にも神の介入を信じて前向きになることも大切ですね。  落ち込む要因を振り払う、イエス様に 問題の下駄を預ける姿勢。(
今日の心配事を十字架に委ねて、、明日はキッと良い日に変えようと前向きに気持を切り替え日々の積み重ねをして生きていきます。) 御心に従う 探して生きる。。色々の気持に着替えられると良いですね。

 新しい明日のに、キリストによって新しく生まれ変わった自分をイメージして見続けることも大切です。

私が祈りカウセリングをしていた彼は神の助けを信じて、薬を立つことを決断。 薬を絶つことから弊害、麻薬 常習性薬を絶つことにも似ています。健康になったら何をしたいかを考える様に勧めていました。

ある時からからからの連絡が途絶えて心配しました。
しかし、昨夜、訪ねてきて、「先生!僕は治りました。薬なしでも寝られるように成り幻聴幻覚が無くなりました。」との報告を聞いて、彼を思わずハグして泣きました。 神様を讃美しました。

薬から絶つことからの幻聴幻覚を持ちながら外に出たくないと決心努力して神の助けを祈っていたそうです 。ハレルヤ! 心療的病 薬の強い習慣性から癒やされました。 最初に通って強い薬をだした医師ー病院では無くて、 別の医師の指導も受けていました。

少し寝られるようにと病院に通い睡眠薬 精神安定剤をだされて医師、常習性の薬が彼を13年間苦しめたのです。
 
 2番、3万目の病院ー医師の診断が必要です。 大量の薬を出す医師は避けましょう。
良い医師に出合えて治療を受ける事が出来るように祈りましょう。
いかなる病にも、通院にも、神様の導きがあります。
神様は知識 知恵をあたえて下さいます。

人の心は弱いです。 周囲の影響 
レギオンの影響を受けやすいです。
しかし レギオンより 主イエス様の言葉から、自分たちの心を整えていきましょう。

聖書のお言葉を自分の生活に生かして応用しないと意味が無いのでは・・?
神は心配する纏っておられます。現実逃避では無く神が守られるのです。
 
マタイ 6:34 だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。

マタイ 6:27 あなたがたのうちだれが、心配したからといって、自分のいのちを少しでも延ばすことができますか。

今日も出会い社会復帰についてアドバイス カウセリングをしました。 
神は彼に新しい希望をあたえていました。感謝です。


 

 私の癌から・・

   私が、神学校卒業して1年半後、神戸に移転し開拓伝道を始めた矢先のことです。
アルバイ先で、勤務中に、突然!耐えられない腹痛におそわれました。
救急車で病院に運ばれ問診の結果。胆石ではないかと告げられました。
その日は精密検査は必要なので、痛み止めをして入院をしました。

午後から精密検査。レントゲンを見ながら、医師が深刻な顔で私と向き合いました。
私自身もふと『先生、レントゲンの影が大きいですが、何か特別な異常とか癌とかがありませんか? 私は独身なので、正直に、告知してください。』と医師に伝えました。
医師が静かに胆嚢癌があると告げられました。

  胆嚢癌  ⇒ 胆嚢癌の説明
 なんで?癌宣告! その場では冷静を装いました。 手術日を聞いて病室に戻り泣きました。
何で?今 癌のになったのか? 神学校を卒業してようやく開拓伝道を始めようとした矢先なのに・・何故ですか? 不満が入り乱れてしまい また併せて感情と不安が交差し癒やしを祈りをしなくてはと思っても祈れませんでした。祈り・・神にどの様に話せば良いのかの言葉が浮かんできませんでした。

とりあえず、知り合いのクリスチャン。教会に 牧師に、私のこの癌のことを伝えました。祈れない私に代わって、大勢の人達が祈ってくださいました。キリストに預かる愛と共に、とりなしの祈りを捧げてくださいました。
お互いにとりなしあって祈り支え合うことは重要、大切です。 私が祈れない分、随分と助けられました。
               
LIFE-SYMBOLS-dove
ローマ 15:30 兄弟たち。私たちの主イエス・キリストによって、また、御霊の愛によって切にお願いします。私のために、私とともに力を尽くして神に祈ってください。

また聖書は言います。

ローマ書8:26 御霊<キリストも>も同じようにして、弱い私たちを助けてくださいます。私たちは、どのように祈ったらよいかわからないのですが、御霊ご自身が、言いようもない深いうめきによって、私たちのためにとりなしてくださいます。
 8:27 人間の心を探り窮める方は、御霊の思いが何かをよく知っておられます。なぜなら、御霊は、神のみこころに従って、聖徒のためにとりなしをしてくださるからです。

手術開始が始まり迄のあいだ、胆石の痛みは抑えていました。  私の妻は癌で亡くなっています。ですから、癌=死でしたから・・・
 
       
20120730014242_2085357452_2715_9
 
癌宣告はショックでした!   もしこのまま癌が悪化、死を迎える事になっても、神は十字架での救い、永遠の癒やしを、私たちに与えてくださっておられることを徐々に再認始め、また、絞り出すように、感謝の言葉、讃美の言葉を語ろうと決心しました。

  讃美の言葉。詩編を読み始めて詩編23にたどり着き次のダビデの告白を読んでイメージが湧いてきました。
   
ダビデの生涯も波瀾万丈でした。 死を覚悟したことも多数ありました。

詩 23:3 主は私のたましいを生き返らせ、御名のために、私を義の道に導かれます。
 23:4 たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。あなたが私とともにおられますから。あなたのむちとあなたの杖、それが私の慰めです。
 23:5 私の敵の前で、あなたは私のために食事をととのえ、私の頭に油をそそいでくださいます。私の杯は、あふれています
                 
            
喩え死の影を歩むとも・・この先ある緑の牧場をイメージ感謝し、感謝の言葉を絞り出していました。
数日 過ごして、手術前検査で感でしたが、開腹手術すると癌は消えて居ました。 
血液検査から癌の反応が残っていたのですが、その後、再発はありません。 信じないより 信じた方が良いです。   神との個人的関係を、映像、絵を描くようにイメージすると良いです。  私は癌=死の影 谷を必ず通り過ぎ、緑の牧場、癒やされた、神に抱かれた自分の姿をイメージしました。
                                 
5a7838dd4ef38a16_S

現在病気とか、困難の中 苦しい生活、色々の現実がありますけれど、希望を捨てないで試練の中の人、将来の願いは、しつこく粘って祈ってください。 ヒゼキア王も、1度は余命宣告されたけれど、神はその決心を代えました。神の愛や使命に訴えることかな・・?個々に違う使命があります。神様との個人関係を深めてください。
ヒゼキアが余命宣告後に、神が取り消されたのは、彼と神との個人関係や使命の関わりが深いです。

  粁鷁 20:1ー6 『そのころ、ヒゼキヤは病気になって死にかかっていた。そこへ、アモツの子、預言者イザヤが来て、彼に言った。「主はこう仰せられます。『あなたの家を整理せよ。あなたは死ぬ。直らない。』
しかし、彼は、へりくだり嘆願した。神はヒゼキアの その内心を見られたました。
  
 神が、日本的な御利益より、神との個人的な愛を教えたいのだと思いませんか?
日本的な御利益では無く、神が個人的に愛していることを伝える、教える事だと思います。私たちが想像超えたこと、、天地の神が私たちを愛していることを、知る事は、隠れた事の一部です。

 『わたしに呼び求めよ、そうすれば、わたしはあなたに答える。そしてあなたの知らない大きな隠されている事を、あなたに示す。』エレミヤ 33:3

「大きな隠されている事を、あなたに示す 」 示される前に、諦めて祈りを辞める人が多い気がする!? 15年掛かって答えが・・叶えられたり。20年掛かって答えがきた事がある。。3日で答えられ、教えられたことも、朝に祈って夕べに答えがきた事も多数。でも、忍耐して希望を持って叶えられ答えらたり、知りたかった聖書の真実を10年〜20年掛かって体験や知識 智恵を通して答えがあると最も嬉しい。

示される前に、諦めて祈りを辞める人が多い気がする!? 私には、15年掛かって答えが・・叶えられたり。20年掛かって答えがきた事がある。

3日で答えられ、教えられたことも、朝に祈って夕べに答えがきた事も多数。
でも、忍耐して希望を持って叶えられ答えらたり、知りたかった聖書の真実を10年〜20年掛かって体験や知識 智恵を通して答えがあると最も嬉しい。

しかしながら隠れた、また答えが見つからない!15年と25年掛かっても、未だ答えが叶えられないこともあります。また、使命ビジョンとして神戸と世界宣教で私が担いたい事が未だです。

答えが無いからと失望 嘆く 信仰から離れる方もいるのは残念!病が癒やされなくても、天国が在る事も認識しながら癒やしの祈りに関しては祈る事も大切です。死の間際まで諦めない、食い下がる祈りも重要です。

  答えがないように感じても、神には計画があり、信じる者には必ず答えがあるよ。原動力は忍耐と希望と信仰のパン種です。

  
『多くの民が来て言う。「さあ、主の山、ヤコブの神の家に上ろう。主はご自分の道を、私たちに教えてくださる。私たちはその小道を歩もう。」それは、シオンからみおしえが出、エルサレムから主のことばが出るからだ。』 イザヤ2:3

いなかる場合でも、神を恐れ、礼拝と讃美。試練や病の時にはなおさら・・神の御心、教えを深く知るチャンスです。

 

命ずる言葉と癒やしと言えば

エゼキエルのこの言葉を思い出しませんか?
干からびた骨に、神の命令を受けてエゼキエル37章に書き記されている言葉です。

  神は干からびて死んだ人の骨を、エゼキエルに見せます。
そして、『これは生き返るか?』とエゼキエルに聞きます。

この様な質問は、何かある時には、神は何時も私たちに問いかけてきます。
これは出来るかと? 問いかけてきます。

この言葉を抜粋します。
                   
SnapShot(185)
エゼキエル
 37:1 主の御手が私の上にあり、主の霊によって、私は連れ出され、谷間の真ん中に置かれた。そこには骨が満ちていた。
 37:2 主は私にその上をあちらこちらと行き巡らせた。なんと、その谷間には非常に多くの骨があり、ひどく干からびていた。

この様子は、私たちの常識から判断すれば、全く不可能です。

しかし神は私たちに問いかけてきます。

 37:3 主は私に仰せられた。「人の子よ。これらの骨は生き返ることができようか。」私は答えた。「神、主よ。あなたがご存じです。」

 私たちは、神の力により頼みますが、絶望的なことに直面したときには、いかに答えるかを、私たちにも問われています。

神の力の凄さ、素晴らしさを知っているエゼキエルは、更に神の言葉に信頼して「はい!神には出来ます。」と答えずに、「あなたがご存じです。」と答えました。
神の全権に委ねた答えをしました。
出来る・・と知る己の知識では無く 神の権威に委ねたのです。

 37:4 主は私に仰せられた。「これらの骨に預言して言え。干からびた骨よ。主のことばを聞け。エゼキエル 37:4
 37:5 神である主はこれらの骨にこう仰せられる。見よ。わたしがおまえたちの中に息を吹き入れるので、おまえたちは生き返る。

神は私たちに命じられます。
神の言葉を受けて、宣言をしなくてはいけません。
神の言葉が成就する前の預言をはしなくてはいけないのです。

    イザヤ53章より
  しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。
   神の預言は、私たちの病 傷 罪からの救いを解放を宣言して下さいました。

神の力は干からびてしまった骨さえも、生き返らせる事が出来るのです。
けれども神は何故か?私たちの信仰を試されます。

 37:6 わたしがおまえたちに筋をつけ、肉を生じさせ、皮膚でおおい、おまえたちの中に息を与え、おまえたちが生き返るとき、おまえたちはわたしが主であることを知ろう。」

 37:7 私は、命じられたように預言した。私が預言していると、音がした。なんと、大きなとどろき。すると、骨と骨とが互いにつながった。
 37:8 私が見ていると、なんと、その上に筋がつき、肉が生じ、皮膚がその上をすっかりおおった。しかし、その中に息はなかった。

私たちは神の言葉と共に、信仰という息を吹き込むのは、誰であろう、私たち自身なのです。
 
37:9 そのとき、主は仰せられた。「息に預言せよ。人の子よ。預言してその息に言え。神である主はこう仰せられる。息よ。四方から吹いて来い。この殺された者たちに吹きつけて、彼らを生き返らせよ。」
 37:10 私が命じられたとおりに預言すると、息が彼らの中に入った。そして彼らは生き返り、自分の足で立ち上がった。非常に多くの集団であった。

息、風は聖霊様の象徴!息に命じるとは、聖霊様の助けは、私たちには不可欠です。
聖霊は、キリストと共に居てくださり、働いて下さいます。

私たちが苦しい状況下になったときにも、その状況が変わるように、キリスト、聖霊、そして父なる神の権威によって、命じていくことも必要です。

病に負けるのでは無く、聖霊の力、。息によって病が去って行くように命じて言う事も大切です。
例えば『癌よ!聖霊によってされ!』と・・。骨に新しい命が来たように命じても良いのです。

病気、内臓の病気であるならば、その内臓に向かって生き返るように・・新しい細胞 病気の無い細胞 新しい内臓器官に生まれ変わるように 信仰と共に復活を! 生まれ変わるように信仰の息を吹きかけるのです。 

聖霊の助けの息が掛かって生まれ変わった新しい内臓、神経 骨 筋 筋肉 血管 細胞に変わるように命じることも重要です。 神には出来るからです。
 


イスラエルの復活

 37:11 主は私に仰せられた。「人の子よ。これらの骨はイスラエルの全家である。ああ、彼らは、『私たちの骨は干からび、望みは消えうせ、私たちは断ち切られる』と言っている。
 37:12 それゆえ、預言して彼らに言え。神である主はこう仰せられる。わたしの民よ。見よ。わたしはあなたがたの墓を開き、あなたがたをその墓から引き上げて、イスラエルの地に連れて行く。
 37:13 わたしの民よ。わたしがあなたがたの墓を開き、あなたがたを墓から引き上げるとき、あなたがたは、わたしが【主】であることを知ろう。
 
37:14 わたしがまた、わたしの霊をあなたがたのうちに入れると、あなたがたは生き返る。わたしは、あなたがたをあなたがたの地に住みつかせる。このとき、あなたがたは、【主】であるわたしがこれを語り、これを成し遂げたことを知ろう。

  長い歴史の中で、イスラエルは滅亡したように思えました。しかし20世紀にに入り、新しい建国が始まりました。神には不可能は歴史を見ても無いのです。ユダヤから見たら私たち日本人は異邦人です。しかしイスラエルの神に身を寄せる、信頼する者には、天の父からの保護が、キリストを見上げる私たちが十字架によって、身の安全と救いと癒やしの保護を受けているのです。砧鷁Α。検В械掘腺械

またイスラエルの安全と平和を祈る必要な私たちクリスチャンに負わされています。
   キリストに身を委ねて 救いと癒やしを受けましょう。


                    

神の救いは、十字架の身代わりの死。

それは、私たちに、神の愛と栄光を教えるために。
また十字架の影には、栄光を現すには、永遠の命と癒やしがある。

                 歩けない人が歩く・・癒やし

                
                    

 
             奇跡! 歩けない少年がキリストの祈りで歩き出す。動画発信元   
             サンフアン (プエルトリコ)のインターネット ラジオ


神には、出来ない事が無い! 
私が、祈ったときにも、1年以上、寝たきりの婦人が立ち上がり歩きました。

車いすだった人も歩きました。私の伝道旅行先のことです。 残念と言えば!?
その時の写真動画が無い事ですね。

私たちが祈っても、その時に歩いたとしても、その後の癒やしの継続には、
癒やされた後の信仰的ケアーも不可欠です。

癒やされた本人の信仰が燃えないと行けないですね。信仰が沈むと癒やしも消えやすいからです。

この点も、癒やしの伝道の者が来て、その場で癒やされても、継続し信仰を支えるのは、
その癒やされて人が属している教会のクリスチャン達なのです。

私は、父なる神のリアルな愛を伝え救いを・・また癒やしの伝道をしています。
信仰による、癒やしの願いを込めたハンカチを送り届けたり、各地の超教派の教会で、
上記のような、神の愛の福音、癒やしをお伝えしています。

伝道集会 セミナーに出かけています。貴方様の教会で、ご健闘下さり教会の礼拝集会に、どうぞお招きください。お声を掛けて下さい。宜しくお願いいたします。
   
                   

 私自身が、癌を癒やされています。
母は、アルツハイマー病型 痴呆記憶喪失から、回復して、洗礼を受けました。 
この経験が、癒やしを祈り、ミニストリーをする切っ掛けです。 
キリストの十字架の影に、想像を超えた恵みがあり、愛があります。
神、主キリスト 聖霊に栄光がありますように。 
神は、私たちを愛していることを 伝えるために、癒やしがあると思います。

父なる神、キリスト 聖霊様に どの様なイメージを持つかで、信仰の持ち方が微妙に違いが出ると思います。
父性愛の父なる神です。
親子関係が癒やされていない方、特に肉親の父親の愛に対して、トラウマ、問題を抱えておられ父親の愛を素直に理解出来ない方は、先ずはこの関係が癒やされる必要があると思います。

許し合う事と愛の気持から。その決心からスタートです。

色々の状況下で、現在。病で、生活環境下で苦しくても、神を讃美する決心と許す決心から癒やしも始まります。


これから故郷はどのように変わるだろうか?

この案が出来て50年目の開通です。 
当時の北陸経済界と、大物政治家が誘致に説得して動きました。

東海道新幹線ばかりでは無く、北回り=北陸周りのの新幹線を、当時の国鉄に訴えました。

すると、我が町にもと政治家が動き始めて、新幹線と高速道路は、国鉄の計画から離れて、
国が計画実行するように変わりました。

e7
 

そために、新幹線がとんでもない利用率を無視したような、政治家駅が各地に出来ました。
そのような駅は今も利用率が低いです。

順調に計画が進むように思えたときに、石油危機やリーマンショック 日本の経済が停滞して、
田中角栄は断念!
それから忘れかけましたね。

その時から数十年が過ぎて、漸く開通です。

そのあいだ!北陸の経済の地盤沈下。故郷にはシャッター街がふえました。
開通して、便利に成り。危機管理上から、土地の安く北陸に、東京から移転する会社が増えると良いですね。津波や地震の心配が少ない富山 金沢です。

大阪からの急行が金沢止まりになって、富山 新潟方面が不便になりました。

金沢、福井 大阪と新幹線が伸びる完成はは何時になるだろうかな?

フランスのTGV新幹線のように、線路の幅に自動変換して、普通線路に併せるシステムが出来ないかな?

フランスのTGV専用線路では、スピー絽を出して、普通路線ではスピーとは落ちるけれど、乗り換え無しで目的地に行けるのは便利だよね。!


080815thunderbird1


                   



                    

 
                     

                 
 

                   

このページのトップヘ