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心の風景、愛の聖書、福音と癒やしと日常から。ミカエル小栗

ミカエル小栗がつづる心の風景。聖書の福音は愛と救いと癒やし。日常の出来事の心の雑記帳風景ブログです。聖書に基づくカウセリング、祝福と救いと心の癒やしを祈ります。あなたの教会のメッセージ奉仕もします。ご依頼はメールにて!

2013年05月


 この季節、春の花と夏の花が・・

入り乱れ咲く頃ですね。 

外来書の花も定着すると、日本の花になるのでしょうか。 
私が滞在していたアルジェリアの原種の花の中には水仙があります。
各地に水仙が咲く海岸がありますね。種が海に運ばれたり、鳥が運んで来ますね。 


ALGERIAではケシの花も野原一杯に咲いていました。 

けし(ポーピー)の花


滞在先のティジウズから、このケシの花が咲く丘を越えていくと、海岸にある小さなローマ遺跡に行けました。 
小さな神殿跡やクリスチャンが洗礼を受けていたという水槽後がある遺跡でした。
始めて接したローマ遺跡でした。その後、ローマ又イタリヤ、ギリシャの遺跡に興味を持ったテグジルトにあったローマ遺跡となりました。このところにも、ローマの迫害を逃れてクリチャンが来た足跡があったことで、時空が縮まった気がしましたよ。






 最寄り駅にバスに乗らずに散歩をしました。

近くのコープで買い物することが多いですけれど、久々に最寄り駅にあるダイエーで買い物をしました。レギュラーコーヒーが欲しかったのです。高いマメは買いませんが・・

途中にある土手一面には、今が盛りの黄色いコスモスのような花は満開で綺麗でした。
本来は外来種のようですね。

黄色のコスモス

また花屋さんには紫陽花のライムライトが売られていました。

前回。この花の名前が分かりませんと書きましたが、

ライムライトという名前の紫陽花でした。
紫陽花を分かって、不思議な形の花〜とも思いました。

ハーブと白い花


沖縄でよく見かけた赤い色、何かのしっぽみたい花も綺麗に咲いていました。

キャットテールもどき


幸い神戸は雨が降っていません。
これから週末はどうなるのかな?
アヤメやカキツバタも綺麗に咲く頃ですね。


菖蒲

 橋本大阪市長が・・

焼きポックリを拾い上げた感じがします。 彼の主張も一理はあると思い、その点は否めませんが、外交的には言葉足らずだった思います。 彼の発言は決して表に出してはいけない、裏工作をするロビースト発言のように感じました。国連、アメリカ高官のコメントが出されるくらいまでに発展しました。
今日は橋本市長に問責決議が出されましたけれど・・否決で決着。しかしこれで良い訳でも無い。

ロビーストとは、自分の政治(国から地方自治の政治家まで)を有利にする、表面と裏面に関わっている人たちのことです。最近の映画、リンカーンでもロビーストは活躍していたですね。

慰安婦問題は、色々認める過去の政治家が種を巻きました。日本を代表する公式声明では無くて個人的な発言扱いになっているので、余計に誤解を生みます。

政治の混乱は生み出しています。 植民地政策は事実です。当時 行われていた目を背けたくなることも沢山あります。日本軍が直接、強制的に慰安婦を集めたのか。その人達を慰安婦にさせたのか? 民間を通じて集めた自主的に、その仕事をお金のために、身を投じたのか?それがハッキリしていません。歴史的な出来事の経緯は公表されていません。

日本の軍需工場に
強制的に連れてこられた工員もいます。自主的に働きに来た韓国人、中国人移民も沢山居る。当然。年月は過ぎると、分からなくなってきていると思います。

やはり徹底して積極的な真実を追究し、戦後処理を勧めて欲しいですね。
第二次世界大戦後のドイツやイタリヤの敗戦国に比べても 日本のスピード 政治家の対応が悪かった気がします。 
黄色のコスモス

真実を包み隠さず公式発表が無いと益々混乱します。あったのか?無かったのか?
韓国との戦後の決着が話され保証されているとも聞いたことがあります。一方では不十分だったという日本人も居ます。政治家の利害からみも見え隠れしています。

 政治スピード度と言えば拉致問題も同じですね。スピードに掛けています。
戦後の領土問題も、曖昧にしてきたのです。しっかりした進展を望んでいます。

韓国人、慰安婦問題に対してここしばらくの間。
ネットでは馬鹿呼ばわりや 来るなとか 汚い言葉で非難したネット上の言葉を目にしました。

汚い言葉、ののしりの言葉では 人は動かない。知的な言葉で、人を動かす言葉で、反対意見を押さえて、自分の意見と発想に惹きつける事が出来ると思いませんか?

個人的には橋本市長の言葉、弁護士だった割りには言葉使いは気になりますね。」


http://politics.blogmura.com/board/enq/result37_54084_-1.html#185662

http://note.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/n10582 
外務省の現在  
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/taisen/ianfu.html

http://makizushi33.ninja-web.net/

 関西は梅雨入りをしていますが、

 
梅雨入りした初日に雨が降りましたが、その後はどんよりした曇り空が続いています。

コンビニに行く途中、スマホで撮影した花です。アイホーンを使いますが、接写など微妙な撮影は望めません。 記録するには良い機能ですね。
 
 スズランが綺麗に咲いています。 これは一眼レフで撮影

スズラン

 画像処理は、アドビの写真ソフトを使っています。

紫蘭も撮影この色合いが好きです。今この花が花壇周りに一杯咲いています。

                   
シラン

 
これは、スマホでの撮影しました。

                       
黄色の百合

 下記の白い花、名前は分かりませんが。毎年咲きますね。 
ハーブを背景にスマホで撮影しました。

              
ハーブと白い花

梅雨の晴れ間に、綺麗な花々を愛でることも幸せですね。
 

 1978年頃だったかな?

私が海外の生活を始める切っ掛けを掴んだのは・・? 結婚した頃にも、スイスに料理留学の話がありましたけれど、単身赴任だったので、妻の反対からチャンスが出来ませんでした。

 当時は北回り アンカレッジ経由で行きました。パリを中継して乗り換えて、・・2時間半でALGERIAです。 伊藤忠の受注した工場建設でした。始めはエルアスナムと言うところでした。

派遣会社では、通訳さんが居ると言う事でしたけれど・・調理係には通訳は付きませんでした。当然。工場の仕事の通訳さんでした。パリで絵の勉強をしていて、通訳になった人が来ていました。

始めてマルシェ=市場に食材を買い言ったとき、どの様に伝えて良いのか困りました。買い物客がどの様にして買うかをしばらく見ていたら・・・ K とかドゥミ=半分Kとか言っていることが聞こえてきました。指で欲しい数を示して圓鮓世Δ班癖が買えました。 

宿舎には、外国企業は現地人採用義務がありましたので、現地人お手伝い=おばちゃんが掃除と洗濯担当で勤務していました。 彼女を通じてフランス語を、フランス語で覚える切っ掛けになりましたが、彼女は余りフランス語が得意では無くて・・フランス語だと思っていたらアラビア語だったりもしました。 この地域はアラビア人系が多くするところでしたから・・

彼女は離婚後、生活に困窮して住む家を追い出されましたが、大統領に直訴した女性でもありましたけれど・・ 気質のきっかりした女性でした。当時は・・今も・・?女性の地位は低かったし、女性の働く職場は限られていました。

この町から半年後にティジウズに転勤になりました。


                     
                

私が結婚していたのは・・

10年あまりでした。中学生の時に知り合って、卒業と共に疎遠になりました。しかし、偶然。私は勤務してたレストランに、彼女の友達と一緒に食事に来ました。私はそこで調理をしていた事は彼女も知りませんでした。偶然にも、そこで私が働いていなかったら、中学生の頃の淡い思い出だけに終わっていましたね。 それは、19歳の終わり頃でしたね。

それか切っ掛けでトントン??幾つかの問題もありましたが、20歳で結婚。

しかし、妻が突然 癌を患い30歳で死別しました。 一人に成って、悶々と生活していました。
あるとき。私が勤務先に、短期アルバイトで一人のコックが勤務始めました。

彼が海外の仕事をしていたので、死別後の生活を紛らわしたいと彼に頼んで、海外の仕事を紹介して貰いました。

紹介されたのは、東京にあった人材派遣会社でした。日本人企業が数多く、海外プラント工場を建設して時代でしたね。 派遣される予定だった、イラクがイランと戦争に成り、派遣時期が延ばされました。

イラクに派遣される予定だったからです。私が未だ33歳になる前の頃でした。しばらく待ちましたが、派遣先が、イラクからアルジェリアに変更されました。

首都アルジェから西に150km離れていた山岳地方のティジウズという町でした。

そこで、工場建設のために、日本人技術者並びフランからのスーパーバイザー達に食事を提供する仕事でした。

通常は、外国人に対してはフランス語で会話をしてくれました。「これは何て言うのですか?」
「これは何ですか?」から始まって片言のフラン後から始めました。第一共通語がアラビア西語、第二共通語がフランス語でした。他にもカビリー、ベルベル語もあります。
150〜200年間の間 フランス植民地でしたから、フランス語十分通用します。彼ら同士でも余りアラビア語は好んで使いません。先住民と後から来たアラビア系の歴史の関係です。

日本人には友好的な人達が多かった町です。沢山の良い思い出が出来ましたよ。

  そんな時の一コマの動画をご覧下さい。

                     


                        

 Twitterしたけど

ブランチ、朝 兼用 昼飯にパンケーキを作りました画像1


関西では、パンケーキが流行り出しているとか?ニューヨークからも、新しい大阪グランドフロントビル内には、パンケーキの有名店が出店して来ましたよ。
もともと、ホットケーキに更に手を加えてデザート風にしたのがパンケーキですから、

私は、シンプルに、作りました。

ホットケーキミックス粉、200g.グラニュー糖150g.卵二個、水、または牛乳200ccカップ一杯だけです
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卵を割り、グラニュー糖150gを攪拌。牛乳又は水を混ぜます。
それをボールに用意してあったホットケーキミックスに少しづつ混ぜます。

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画像1


あとは、形に入れて、オーブンで焼きました。シャープヘルシオだから、後は自動ですが、好みの焼き加減をすれば仕上がり。
オーブンの無い方は、弱火のフライパンで焼き上げるとよいです。

召し上がり方は、好みのシャム、メープルシロップ、果物と一緒にどうぞ!
私は、蜂蜜をつけました。
簡単、美味しいです。
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 YouTube動画のアップ・削除を繰り返しています。

       サハラの動画

           
 
         

 
1990年 サハラのオアシス巡りをした記録です。広大な砂漠を長距離バスとタクシーを乗り継いで旅をしました。1980年代を中心にALGERIA駐在をしました。帰国前に2ヶ月間。サハラを横断しました。その時の記録です。 VHS-Sビデオテープからデジタル化しました。
今見ても懐かしいですね。


 動画のアップと削除を繰り返す理由の一番の原因は使用する音源の問題からです。 

著作権利が切れた 誰でも自由に使える音源を使用していますが、それでも為体の知れない団体から、その音源&楽曲は、当団体の管理下にあると文句、権利を主張されます。

特に海外の曲、期限が切れたクラシック音楽にも権利を主張されます。変なことは、同じクラシック音楽でも、同じ指揮の楽団でさえも、上記、サハラ動画に挿入した ドボルザーク 新世界 1954年録音の第二楽章<家路>には多数の音源管理者が現れました。 同じ楽団と指揮者なのですが、1と3,4楽章には、音源管理者が現れません!? これも変だとは思いませんか?


正規のHPを思える物さえも無い会社が多いです。怪しい省略された名前が多いです。ソニーパブリックとか・・ソニーの子会社かな?でも違っていますね。 まるで中国人がよく付けるネーミング。一字だけが違うからね・・・。

 自分の動画が乗っ取られる気がします。 正当な理由を伝えて意義を申し立てます。
けれど却下する団体もいます。 アフリカンシンホニーを ランズマーチとか言ってきます。全く作曲家も違うのです。umpg publishing はしつこい 間違いを中々認めない。権利管理下にある音楽名さえも違うのですよ。キチッとしらべて却下するところもあります。一社でも却下されたら、又やり直し。

訴えを却下されて、更に再度。私から 訴える場合には、住所、電話番号他の資料等の個人情報多数を提出しなくてはいけません。

私達の訴える勢いを削ぎますね。 そこまでして訴える前に、削除しています。個人情報を多数、伝え無くてはいけません。

一般的に著作権利が失効していても、それを証明する書類を作り提出しなくてはいけません。
通常50年過ぎたら権利は失効するのです。

YouTube動画は訴訟を好まない? 広告主側に立っていますから、私達、ユーザー側ではないことは確かです。 新しいChrome ブラウザをしきりに勧めていますが、個人情報=好みのサイトを収集しています。特に動画を見ると、各自の好みに合うサイトを表示されます。

 私の動画に対して、権利を・・音源管理者だとの相手側の権利が通ると、私の動画には、多数の広告が付きます。それだけではなく、広告収益が、その訴えてきた団体に入る仕組みのようです。
まるで、他人の動画、褌で相撲取られる気がしますよね。


再生回数(下の動画)が1000回越えた頃に乗り出してくる、音源管理者だと主張してくる団体がありました。
 人通りの異議を申し立てましたら、音源は強制削除。まるで面当て嫌がらせだと思いました。
逆に言えば、私の主張が認めた感じかな?

音源は削除し入れ替えて、再度のアップしてあります。  
藤の花のスライドショウーです。始めはショパンのノックターンの曲でした。
演奏者からの許可も頂いていたのですよ。 再生回数が増えると現れる。

     AdShare for a Third Party  
これも得体が知れない。広告で稼ぎ出す団体のようです。私自身、自分の権利がが認められないです。 付いた広告収益が、私から見たら不当な訴えをした団体に流れていきます。
1万回再生されてから、一回に、1円が収益になる仕組みだそうです。気が遠い話しですが、自分が作った動画の権利が、自分に無くなること自体は納得がいきません。ですから作り替えています。

             


又その結果。権利を主張する実態のない<正規の会社ならインターネットで検索されて、その会社のHPがあるはずですね。>

動画再生後。お気に入りや グッドマークをポチリと押して下さいますように
お願い申しあげます。

 北朝鮮により拉致被害者。

拉致問題が進展するのでしょうか?そうありたいと願っています。
政府官房長官が秘密時に、北朝鮮を訪ねましたが、逆に北朝鮮に利用されてしまった感もの拭い切れせんが、具体的に解決に向かって動きますように祈っています。

今日のニュースでは、恵さんのお母さんが、北朝鮮に向かって短波放送を続けているその言葉を聞きました。 黄色の薔薇

奇跡を祈る言葉で伝えられていて・・涙が出ました。 恵さんの両親は神戸在住のクリスチャンです。神に信頼して奇跡を祈る言葉にも、感動しています。

未だ拉致を疑いきれない日本人が800人くらいいるそうですから驚きですね。

私も、その拉致の危険に遭遇しています。
スペイン, バルセロナで知り合った人が北朝鮮人でした。 公園で観光疲れを休めていたら、声掛けられました。彼の自宅に招かれました。韓国料理を出すから食べに来ないかと言われました。帰国するならば、ピョンヤン経由で日本に帰っては?とも言われました。

私がフランス経由で返るからと伝えていたからです。しつこく勧められましたね。今思っても・・
イギリスとかニューヨークにも行く予定があったので丁重に断りました。



しかし数年後、バルセローナからピョンヤン経由で帰ると家族に伝言を残したまま、行方不明者になった男性がいます。そのことを知ったときには驚きました。

 また能登の海岸に姉家族連れて行き、人混みを避けた海岸で、幼かった姪や甥を遊ばせていたときに、韓国人が3名。沖からゴムボートに乗ってきた。私達を指さしながら消えて行きました。

後に分かった事ですが、その海岸の近くでは、男女が行方不明になっています。

あの時には、ゴムボートで沖から来た韓国人が3人、こちら側は5人でした。その点で難を逃れたのかな?と今になってもぞ〜としますよ!

 そんなことと思えば、未だに解決していない行方不明者がいてもおかしくないですね。
早い解決を望んでいます。年々と年老いていく、家族がいるからです。

政府外交、政治のスピードが絶対に必要です。

 色々動画をアップしては・・

削除を繰り返していましたが、使用した音源には、コンテンツの一致とかで次々と管理者が現れました。 著作権利が50年を過ぎていた権利が失効したパブリックドメインの曲にも多数の管理者現れてきました。動画をアップする度に、現れてくる、音源管理者がいます。

one or more music publishing rights collecting societieと言う得体の知れない団体は、意義を申した立てると直ぐに、引き下がります。毎回。意義をもう立て返すことも煩わしいですね。
しかし正当な権利は、主張すべきと思います。

 元々の動画アップの動機は、ブログとかHPに転用したい。また1987年から1990年に滞在した海外。ALGERIAのサハラの動画を観ていただきたいと思ったからです。
暫くは、これらの動画を紹介したいと思います。


                      

私はキリストを信じ、キリストに信頼して癒やしを祈っています。簡単に紹介しているビデオです。



                     

平成5年に母が痴呆症に成り記憶を無くしました。介護とレストラン経営疲れて、神である主キリストに癒やしを求めました。 聖書には癒やしのことが書かれています。心のどこかで、遠い昔のことと教えられていました。その時まで、身近に感じていませんでしたし、実際に私の身の回りでは見たり聞いたりもなく経験していませんでした。

 色々癒やしに書かれている本とか、沢山のセミナーに参加しました。癒やしを祈って下さる牧師先生にも出会いました。 初めて断食をして、母の癒やしをいのりました。ある牧師先生の助言から直接、神様に訴えるようにしました。 母が未だキリストを信じていませんでしたから、その点を強く訴えました。 

癒やしが先か?十字架の購いの救いが先かですが、全ては十字架の救いの力が権現にあります。
母は救われるために、癒やしが必要でした。救われて癒やしもあります。
魂の救いが究極の十字架の目的ですから、喩え癒やされなくても魂が救われているなら、平安が魂にあるならば、それは素晴らしいことです。神の御心に委ねて、癒やされたいことの目的と癒やされたら、神の栄光を表して証しをしなければ、癒やされる意味が無いです。
癒やされて後に、不信仰に成り、折角の癒やしを失った肩も見て来ました。とても残念ですね。
癌とかひどい痛みの中で、癒やしの希望を保ち続ける事も困難です。でも神は居られるのですから・・


科かが救われていませんでしたから、記憶が戻り母の口から、主キリストの讃美が出来るように祈りました。それから、3日後に、母の癒やしが始まり記憶が戻ってきました。
又 不思議にも、助言を下さった牧師先生から、洗礼を受けることが出来ました。

その後。献身を決意。あるクリスチャンの支援援助で神学校に入学して卒業後に 癒やしの祈りを付くに力を入れて祈るようになりました。 自分自身の胆嚢癌が癒やされたり、祈った方々では耳が聞こえたり、歩けるようになったりしました。

全てはキリストの力です。 その様子のYouTube動画です。

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