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心の風景、愛の聖書、福音と癒やしと日常から。ミカエル小栗

ミカエル小栗がつづる心の風景。聖書の福音は愛と救いと癒やし。日常の出来事の心の雑記帳風景ブログです。聖書に基づくカウセリング、祝福と救いと心の癒やしを祈ります。あなたの教会のメッセージ奉仕もします。ご依頼はメールにて!

2011年11月

 8月に帰郷の時に立ち寄りました。

金沢城、黒門近くにある建物。加賀藩のお抱え御殿医だった高峰家の建物です。
金沢旧高峰家跡1 また建物は、タカジアスターゼとアドレナリンの発見で世界的に有名な、高峰譲吉の生家の一部を旧江戸村に移築し、さらに平成13年、元々建物のあった旧梅本町に近いこの敷地に再移築したものです。

落ち着いた日本家屋と茶室(移築の際に増築されました。)洋室が在ります。洋室は管理事務所になっています。
高峰家111度は着ています。けれど、再び此所に立ち寄ったのは格子戸の動画スライドをHP用に創りたくて、その格子戸を動かして数枚の画像を撮るためでした。しかし、格子戸を開けると、裏表の色合いが随分と長年の日差しで変色が目立って諦めました。 格子戸をお持ちの家にお住まいの方。少しづつ動かした画像が欲しいですね。




金沢市内、小立野にある教会に用事があり、その帰り道、加賀友禅館も初めて立ち寄りました。着物の友禅染めは京都が有名ですが、友禅とは個人の名前で、その方が最初京都で初めましたが、金沢に晩年住み、此所でも友禅染を始めて、それがまた京都の友禅とは違う発達をしたようです。50歳過ぎてから、私は頻繁に着物着るようになりましたので、関心もありました。京都友禅染の着物は持っていますけれど、加賀友禅染めの着物は持っては無いですね。作り手が少なくなって、次第に高級品になってしまったことが残念ですね。
加賀友禅館




金沢から高岡に向かう途中。砺波市を通りました。この地はチューリップ球根作りが盛んな土地です。それらの研究施設が在ります。DSC04580


夏場のチューリップ








温度管理されて一年中チューリップの開花が楽しめる部屋があります。球根を1度〜5度 近くまで下げて3ヶ月保存後に、暖かい気温20度くらいにすると、発芽します。チューリップに春が来たと思わせるのですね。



両親と姉、妻が眠る墓前で、主キリストに感謝を捧げるために高岡市に行きました。帰郷旅の目的でもあります。
瑞龍寺

この寺は加賀藩から独立、富山藩の前田利家の菩提寺で瑞龍寺です。現在は国宝になりました。
この寺の墓地には、織田信長の霊廟がありますが余り知られていませんね。私は幼いときから此所で遊んでいました。色々と潜り込んで隠れん坊などをして走り回り、時々。怒られていました。 国宝になってからは入場が有料になりました。有料になってから、境内に初めて入りました。両親と姉と妻も、この墓地の一角で眠っています。

 友人や義理の兄を訪ねるために急いでいましたが、高岡バブテスト教会を遠目に画像を撮りました。この教会は私の母教会=洗礼を受けた教会のこと。洗礼受けた時は15歳で、カナダ人宣教師からでした。そのときの教会とこの建物は違います。牧師も日本人牧師に変わりました。色々の思い出がある教会ですね。高岡バブテスト教会

富山、高岡市内には市電が今も走っています。



富山の市電 富山市内に住む妻の兄を訪ねました。
午前中から数回電話をしていたのですが通じなくて・・直前の訪問になりましたが、奥さんはいつもながら、色々美味しい手料理でもてなして下さいます。奥さんも妻と同じ直腸癌になりました。回復をキリストに乗りました。
妻の時 30数年前と比べ医療も発達していますが、回復に向かっています。 奥さんの退院後に電話で話して、一声元気な声を聞いて、二人で泣きましたね。妻の看病では随分とお世話になりました。妻と同じ直腸癌になるなんて・・言葉が無かったですよ。 でも回復に向かっていて安心です。キリストに感謝。


一連の画像はこちら http://www.facebook.com/media/set/?set=a.215670151836245.50862.100001797844630&type=1&l=ed76e289de
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 今頃になって・・


 紅葉が進みましたね。気候が寒い日と夏のような気温が入り混ざる変な気候ですね。その成果?やはり風邪を引く方が増えています。私は風邪をひいてはいません。でも皆さんはいかがですか?

 帰郷したのは8月末。忙しさと疲れからでブログを更新出来ない時期があり、今頃になって・・その帰郷の時をアップしています。(!)

帰郷の時は、国道8号線から逸れて・・時々ですが福井越前海岸にある漁り火温泉に立ち寄ることがあります。露天風呂から丹後半島に落ちる若狭湾の夕日が見えそうな時にですが・・中々タイミングが難しいです。漁り火おんせん2








潮風に吹かれながら露天に浸かるのは良いですね。この温泉に浸かり夕日を眺めるファンも多いようです。湯船の会話では京都から、金沢から滋賀県から来ておられた方が居ましたよ。



漁り火温泉の露天風呂9




画像集、URL http://www.facebook.com/media/set/?set=a.215455085191085.50781.100001797844630&type=1&l=31bbae15da

今回は、この福井県河野村海岸にある、北前船廻船問屋、右近家にも立ち寄りました。いつも、温泉の行き帰り この前を通るときには閉館になって間に合いませんでした。幕末明治にかけて繁栄した右近家です。 交通が発達して北前船は衰退しましたが、商社また保険会社として、現代に受け継がれています。

右近家は江戸時代の廻船問屋だけでなく、明治以降にも汽船を保有して海運業を続けたようです。(現代には海運業はなくなりました。)
更に、海運業を続けるかたわら海上保険業に進出しこの会社を作ったとのことです。
今は日本海上保険は、日本火災海上保険になり、更に日本興亜損保に姿を変えて現在も続いています。館内にあって海運業宣伝ポスター、その他の資料が多く展示されています。写真を取り残したかったですが、あいにくと撮影禁止でした。

 右近家の考え方で従事する人々。努力貢献する人を手厚く守ったそうです。また資本金も十分あてがっていました。繁栄する会社の基礎は、客に安心感を与え、従業員にも手を尽くしているところですね。現代はアルバイト、派遣社員など使い捨てみたいになってきました。


その繁栄は自宅兼会社で会ったこの建物が示しています。広い敷地、豪華な建物 離れ家が洋館など二棟あります。その離れから見る越前海岸は綺麗でした。
参考 URL http://fukui100kei.dogaclip.com/kanko/Profile-100000127.htm

右近家正面

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 ふと思えば・・

 今日、11月3日は、私の結婚記念日です。
と申しても、既に妻と死別して34年が過ぎてしまいました。二十歳で結婚。30歳で願の病で死別でした。
私たちが出会ったのは、中学生2年の時でした。私が所属してクラブで、夏休みに3泊4日の合宿に出かけました。、同じ青少年赤十字クラブで他校(富山県中)からも同じ処で合宿を催しされました。

 その合宿中のある世話役に任命されて、彼女も同じように任命されました。色々と打ち合わせする中で親しみを覚えました。その合宿が終わっても、クラブ同士の連絡を取り合う中で時々会うことが在りました。

 中学卒業後には次第に会うことが亡くなりました。20歳前に、私が勤務していたレストランに、彼女は友人数名と食事に来て、5年ぶりに再会しました。そこで再び個人的に交際を申し込みました。デート・・と言っても食事に来た、彼女の友達等とのグループ交際でしたね。

flwoeryy 009 初めの頃は中々、彼女一人では合ってはもらえませんでした。回を重ねて、ようやく、一対一でという感じでした。 結婚したい意志があると伝えてました。

 しばらくしてから、彼女の叔母が、ある人に会うように言われて・・また断り切れずに<父親を早くなくして随分と世話になっていた叔母でした>・・その人に会うことになったら、それがお見合いだと直前に伝えられたそうです。相手の男性が気に入り、話が進みかけたので、その翌日に、彼女は私の両親にあいさつをしてから、その晩。私のアパートに来ました。

 半年間、同棲をしてから、結婚式までの期間は、キリストのことを伝えました。彼女はキリストを信じ、教会の奉仕もするようになりました。教会で結婚式を願い、カナダ人宣教師に結婚式を依頼すると意外な答えが返ってきました。 『あなた方は既に生活を共にしているのだから、結婚式などは形式だからと必要ないでしょう。』 保守的な考え方?日本の習慣を理解できない外国人だな〜と思いました。彼女は怒って、教会以外で式を上げるようにと言いだして困りましたが、異の思いを汲んで別なところで結婚式上げるようになりました。外国人、宣教師の不理解が哀しかったですね。私もその教会しか知らず、他の教会で引きを上げることを思いつきませんでした。
今はクリスチャンで無くても教会で式を挙げる時代とは違っても居ましたね。

 同い年ですから、友人の延長感覚もあり、色々喧嘩もしましたね。在るとき、妻は幼友達と出会いました。彼女はその人が中学生のときから兄のように慕って好きでした。時々何かあると私にこっそりと泊まりで会いに行っていました。少し浮気を疑ったことも在ります。ホテルのマッチを見つけたときにはさすがに怒りました。・・けれど、それなり理由を・・旅先で仕方なく・・彼とは一緒じゃ無いとキッパリ言いましたので・・

 それでも聖書にはホセアという人が、浮気した妻を許して、結婚生活をした事が記されていましたから・・本当に浮気をしたのかどうか現場を見て<これは無理か!>・・知りませんので・・

 彼女がどの様な事をしても、そのようなことが合っても、自分自身が妻を好きだという気持ちには変わりないと 私自身の気持ちで押しきっていました。どうしても、私以外に好きになったなら。『好きならその人の処に行けば良いよ。』と開き直ったことも在ります。父が娘を送り出すような気持ちにもなろうかな〜〜?と思ったことも在ります。 結婚して子供を三回も流産。そのストレスもあったと思います。

 あるときに、腹が出てきて不思議に思い、妊娠か・と聞いたら・・違うとのこと。幾つかの病院を回ってようやく婦人科の子宮筋腫とわかりました。その筋腫が悪性。癌でした。 色々その癌が肝臓リンパ腺などに飛び火。9ヶ月間の闘病後、
30歳になってまもなく、死別しました。昭和52年の記録的な大雪の日でした。
葬儀には友人交友関係が広かったので300名くらいの列席者が在りました。

あれから既に一人での生活の方が長いですね。 お見合いというか、ある牧師の紹介 友人の紹介も在りましたが、意見の違い、信仰的違い、その他で再婚には至って這いません。若いときなら経済的なことは将来があるからと考えませんでしたが、今は結婚=経済的なこととなってそれがネックですね。

若いときは海外での仕事で懸命でしたし・・歳を重ねて、時々寂しさも感じる事もあります。特にうたた寝をして、夜中に起きたときですが・・ 

神様は時に叶って良い事をしてくださるので、そのことによって慰められています。


 




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 帰郷した際に八尾に
立ち寄りました。 昨年は盆踊りの期間中に行きましたが、あまりの人の大勢さに圧倒されました。
今年は、ゆっくり楽しめる前夜祭期間中に行きました。

 風の盆は9月1日から3日までです。けれど、小さな町に数万人が期間中に全国から押し寄せるために混雑解消の手段に、8月半ばを過ぎると前夜祭をおこなうようになっています。
当番制の町が担当して町流しをおこないます。


おわら風の盆町流しN2 jpg















この期間中だけ!観光客も指導を受けて踊りの輪に入れます。



おわら風の盆町流しN2 jpg














随分前に私も、会社から踊り手として参加をした事が在ります。浴衣の背中には社名の入った浴衣でしたけれど・・


 何時聞いても胡弓の音色が哀愁を誘いますね。子供の踊りは可愛いですね。

 


画像集はこちら http://www.facebook.com/media/set/?set=a.213999272003333.50448.100001797844630&type=1&l=af96b2a0e7



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