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心の風景、愛の聖書、福音と癒やしと日常から。ミカエル小栗

ミカエル小栗がつづる心の風景。聖書の福音は愛と救いと癒やし。日常の出来事の心の雑記帳風景ブログです。聖書に基づくカウセリング、祝福と救いと心の癒やしを祈ります。あなたの教会のメッセージ奉仕もします。ご依頼はメールにて!

2011年07月

連日 暑いですね。

お元気ですか。

海に行きたいが、そう簡単には行けないです。

そんな子供達を、親同伴で噴水出の水浴びを楽しんでいました。

 通勤の帰り道に撮影しました。

私もその水、噴水に入りたいような心地よさでしたけれど・・
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子供と噴水





噴水遊びが出来る平和が日本がいい。   水も自由に使えない国もある
放射で自由に遊べない日本国内の地域もある中での幸せなひとときだと思いました。


子供と噴水023















 今日は休みでした。

午前中はインターネットでのブログやアルバムをアップして過ごしました。
午後から銀行に行くついでに三宮まで出ました。

ランチタイムで、元町にある中華料理店。順徳で食事をしました。神戸には中華街もありますが、観光化されています。JRのラインを挟んで山の手には個人の中華料理店、美味しい店ががんばっています。

この店も、クリスチャンの方にある集会後連れて行かれご馳走になった店です。一品の量は少し多めですから,数人で分かっても満たされますよ。http://r.tabelog.com/hyogo/A2801/A280102/28000826/

今日は一人でランチタイムだったので円卓に案内されました。隣人が食べていた焼きそばがあまりにも美味しそうだったので、つい私も頼みました。点心の春巻きも食べたくて来たのですけれど・・
今勤務している社員食堂で、明日。作る予定だったので味を確認したかったからです。
003神戸 中華料理順徳

いつも此所では中華丼が定番として食べることが多いです。飽きない味ですよ。春巻きも とても美味しいです。

インテリアも墨絵などが飾られて落ち着いた雰囲気です。



004中華料理店 順徳
美味しい時間を過ごしましたが、一人だと少し寂しいですね。


今日の着物は先日、裾を切った絣の浴衣で、高下駄で外出しました。



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ハリー・ポッターD3見ました。 立体感が楽しめて引き込まれますね。ストーリーも練られていて良かったです。これで最後とか?3人の愛と友情 冒険 友達を守る勇気。色々の展開がありました。結論はヘッーと驚きました。
最初。この映画が出来た頃。魔法がテーマの一つでしたので、魔法、魔術 占いを禁止しているキリスト教会では反対意見もありました。でも、何故か?その意見は続きませんでした。?声が小さくなってきたのです。

個人的には魔法の部分は見ない、関心が無かったです。これは現実では無いと最初から思い、3人の友情の展開に関心がありました。

 現実的な 占い魔術には反対ですし、拒否しています。占いは一旦は良いことのように思えますが、背後には悪霊が絡んでいます。除霊もいったおこなっても、しばらくすると除霊された霊よりも、さらに悪く強い悪霊が取り憑くことが多いのでご注意をして下さい。 キリストに在りで真実、キリストを信じる者には」守りがあります。

 TV番具にでるような占い師で予約制のところがあります。そのような占い師は,スタッフがあらかじめ下調べしているところがあるとも聞いています。あくまでも私自身が調べ確証したわけでは無いですが・・

 神戸の地下鉄で


沢山の車両がありますが、今月の七夕あたりから,子供の小さな願いを短冊に書いた,七夕列車が走っています。

いつ頃まで走っているのかは分かりませんけれど・・ すべての地下鉄の列車が七夕列車にはなってはいません。

この列車に出くわすと,心がほんわかしますね。子供達の小さな願いに,心が温まります。
私たちにも小さな時に、色々願っていたことがありますね。



七夕の願い。

 あなたの夢は叶いましたか?
私の幾つか夢を追いかけてきました。幾つかの夢は叶いました。未だに追いかけている夢もあります。

 子供の頃に始まったNHKのTVの料理番組で 今は亡くなりました帝国ホテル 村上総料理長の番組から「調理師になっりたい。」と思ったのは昭和30年代小学生の頃ですね。
海外での仕事もしたい。 これも偶然の人のつながりから、12年間。海外で仕事をすることが出来ました。
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母の痴呆症から,看病疲れで調理の仕事レストランも辞めました。母を癒やして記憶を回復させて、又私に仕事に就かせて下さったのは主キリストです。

そのとき経験、経過から神学校に・・牧師と調理師の二足のわらじです。単立独立教会ですから収入を得ないと宣教活動費も生活費も,自前で捻出しなくてはいけません。電話かけ手紙を送る チラシを配るコピーする色々雑費を必要とします。

 慢性的な赤字ですね。金銭を気にしないで自由に宣教したい
 
  これが今の夢ですね。海外国内の教会でミニストリーもおこないたいです。 金銭をかけないでコツコツ宣教もしていますけれど・・大きく宣教するとなると・・そうはいかない。それが悩みです。
 
 主イエスの御名を国内外に広く広げていきたい。これが今の願いです。


 「信仰は望んでいる事柄を保証し、目に見えないものを確信させるものです。」ヘブル 11:1

神戸地下鉄 七夕

 連日 暑いですね。 

 暑中 お見舞い申し上げます。  ヒマワリ


  
 私の自宅周辺ではようやく蝉が鳴き始めました。 例年に比べて遅いです。異常気象の影響ですね。
ここに来て急に暑くなり,蝉たちも待ち焦がれて,地上に出てきたのでしょうね。私の住まいは 六甲山の裾野といえるかな? 確かに三宮よりは海抜は50m〜70m?少し高い地点にあります。勤務先の周辺の木々では、2週間前くらいから蝉が鳴いていました。地域の違いがありますね。蝉は7年間も地下で過ごして,地上で10〜15日間しか生きられないのですね。その2週間は子孫への命を紡ぐ大切な2週間ですね。

 semi

風が通る高台ですので、風さえあれば涼しくクーラー無しでも良い日もあります。元々、クーラーの風は好きでは無いですから、よほど暑いときには扇風機を使います。昨年は,扇風機の風も熱い日が多かった。今年はまだそれ程。暑くは無いので助かりますね。

 勤務先に浴衣で出勤を初めて・・ふと思いついて 浴衣の丈を切り詰めました。
余計に風は通り抜けるようになって涼しいです。甚平スタイルですね。最近の甚平にはズボン短パンがついていますけれど、昔は無かったですね。 袴用丈の着物ですね。 ハサミで丈を切り手縫いしました。
その着物に高下駄を引っかけて出勤しました。 和食の調理場で高下駄を履いていました。これは外出用の高下駄です。半丈浴衣

 話は変わりますが、夏に田舎、ふと祖父を訪ねた記憶の中に、祖父がこの甚平丈の着物を愛用していたこと。時々。褌一丁で大の字で昼寝をしていた祖父を思い出して・・・

そうです。思い出して浴衣の丈を切りました。『夕涼み、よくぞ男に生まれけり。』という川柳もありますが、ズボンを履くよりは涼しいです。習慣、衣装は時代とともに多少変わりますが・・高下駄にこの半丈の浴衣で歩いていると変なオヤジだと思ったでしょう。笑い!! 西郷隆盛の銅像が上野にありますが、その着ている着物の丈と同じです。 彼も高下駄を愛用していたのでしょうか?

 田舎と言えば,祖父に抱かれて五右衛門風呂に入れて貰った記憶も懐かしいですね。
五右衛風呂 囲炉裏も五右衛門風呂も、すでに田舎、祖父の家の中には無くなっています。囲炉裏は2〜3年前まではあったのですが・・祖父も私が小学生の頃に亡くなっています。懐かしい思い出は消えないで残っています。

高下駄

 今日。思いだって

 浴衣で出勤しました。普段はTシャツとGパンですけれどね。

職場に着くと、「今日はどうしたの?」と驚いた人もいますけれど・・職場では作業服に着替えるので「ジャバニーズ・クールビズで来たよ!」と答えて、「涼しいでしょう。」と関心を持つ方もいましたが・・着るとなると別なようですね。 夏は,浴衣が涼しいです。

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着物で仕事をしていた時代とは違いますからね。

明治になって天皇家が公式な場所では、洋服を正装の一つに決めたので、またそれが流行して庶民も洋服を愛用始めたですね。一度。身につけると動きやすさも洋服にはありますけれど・・

 戦争中に、敵国の習慣、英語表記や言葉も禁止されたことがあります。・・例えば ベースボールという言葉が野球になったのも第二次大戦争の時と聞きました。けれど洋服だけは、変えなかったみたいです。

何度か過去にも、このブログで書きましたが、両親共に和服が好きで、母からも幼い頃から着物を手作りしてくれました。結婚したときにも妻が着物が好きで,結構,作ってくれました。

 和服を着ると自分が日本人だと思います。海外生活をしていた経験もあるからでしょうか?

会社に入ったときに,支給された作業服が和食の服装でした。でも個人でコック服を買いました。
何故か?和食の服装だと仕事している気がしません。相撲取りが、ゆるい褌で相撲取るみたい感じですね。

コック帽を被り,コック服に着替えると、さぁ〜これから仕事だ!と気合いが・・スイッチが入ります。
職場22

 フェルメールの作品には特徴的な青が使われています。


 現在。京都市立美術館で開催中 URL http://vermeer-message.com/

有名な耳飾りの少女他に、彼が描く青い色が上手く使われ神秘的な青い色が際立っています。少女の肌の色合い、眼差しはこの青色によって引き立っていますね。


フェルメール 耳飾りの少女

今回はこの作品は見ることが出来ませんが、修復されたばかりの手紙を読む婦人の絵は身近に鑑賞できました。フェルメール4

 当時のオランダは後悔時代が始まった頃と、文字の普及は始まり手紙を書くことが流行したようです。
船乗りの夫からの手紙を食い入るように見る婦人の眼差しが光と影の中に際立っていました。
手紙が無事に婦人の手元に届いても、無事に夫なのか?息子、または恋人が無事に帰還する保証がない時代でした。現代は一瞬で安否が解るメールの時代とは違い、数ヶ月間〜1年以上かかって安否が解る時代でしたね。

 大航海時代にもたらされた交易によって、彼が使ったマリンブルーの鉱石もオランダにもたらされたのですね。
アフガニスタンで採掘されて海を越えて運ばれてきたブルーという意味で、ウルトラマリンブルーと呼ばれて物ですが。高価な顔料でした。金に匹敵する金額だったようです。
ですから、フェルメールの財力、サポーターの財力には限界があったのでしょうか?書かれて枚数は少ないですね。彼が若くして亡くなった事も一因ですけれど・・

このウルトラマリンーで作られたアクセサリーが売店で、、複製画もそれなりの値段で売られていました。



メルメール1

牛乳を注ぐ婦人の絵は京都美術館では見られません。他の2点がみられます。
またオランダ人画家の良く出来た絵。観賞できます。

ラブレターと言えば、父なる神からのラブレター。それは聖書ですね。神の愛にあふれた言葉と教訓が書かれています。未だ読んだことのない方は一読をお薦め致します。

 哲学の道の起点にある銀閣寺に。

フェルメールの絵を鑑賞後。バスで銀閣寺まで行きました。過去に2度来ているので、立ち寄ることに少し迷いましたけれど・・。一度目は亡き妻と初めて京都に来たときに、金閣寺などの名勝旧跡を訪ねた際に。あと一度は神戸に移り住んでから、京都散策に来た際でした。そのときに、前記の哲学の道のことを知りました。

私は個人的に、神社物閣への信仰は無いですが、日本の名園庭園が好きです。せっかく此所まで来たのだし、宵山まで時間があるので立ち寄ることにしました。
銀閣寺 緑の街道

東山を借景、山門の土産物屋のなだらかな坂を上ると銀閣寺、正式名称は慈照寺。その門を潜り抜けると、この30位、緑の回廊にたどり着きます。夏の暑さから一瞬に涼しい風景が目に飛び込んできますね。入山料とお経の書いたお札付きですが、丁重にお返しします。金閣寺の英語案内には、お札のことをチケットと書いてあったので、何となくにやりしてしまった記憶があります。英語には適切な言葉が無いからでしょうけれど・・ 今更。免罪符でも無いですからね。

入山<500円>半券をちぎってもらい中に入ると、小石という粗めの砂で描かれた小さな庭が目に入ります。庭石が浮島のようでした。銀閣寺の庭石

目を上げると東山の大の字(通称大文字山)の下の部分が少し木立の陰に見え隠れしています。新緑の時期は過ぎて夏の暑さの中に、松の緑が生き生きしています。銀閣寺入り口

さらに中にある門をくぐると向月台、砂の盛り上げた物が目に飛び込んできます。夏の暑さに白い砂がまぶしいですね。東山から昇る月がこの砂の向月台に、夏至冬至にくるように江戸時代に設計されたと、観光タクシーのドライバーが客に説明していたのを聞きました。 銀閣寺の2階部分には、観音像が納められていて、同じように月の光が夏至当時の時に、観音像の顔を照らすように設計されていると説明していましたよ!?


銀閣寺、観音堂 月の光が照らすと言えば、宇治の平等院もそうですね。 日本人の造形美のすばらしさを思いますね。

薄い緑色の作業服の庭師達が、砂の造形=銀沙灘や向月台の伝統を守っています。指や傘でいたずらした痕跡らしき物も見えて残念だなと思います。銀閣寺 銀沙灘

縁側に腰掛けて少し暑さを避けながら銀沙灘を鑑賞しました。小道を進むと滝に出会います。また、足利義政が茶の湯に使ったわき水も保存されています。今の茶の湯には使用されているそうですね。東山の裾野に小道がありましたが、今は新しい道、石畳が新設されていましたよ。


銀閣寺 滝

山頂から見る銀閣寺は町並みを背景にして、緑の林の中に映えていました。 金閣寺に対して銀閣寺と言われるようになりました。建設当時から、銀箔は一度も使用された痕跡が無かったことが、大修繕の時に検査をして分かったそうですね。

 院内の東求堂は足利義政が政治の中心に使ったこともあり、建設当時はもっと大きな規模の建物があったようです。又、茶の湯。わびさびの原型を形創った建物で会ったことを、今回。知りました。
                        
                                    銀閣寺 東求堂

京都は盆地で特に夏は暑いですが、わらぶき屋根は、夏は涼しく、冬は暖かいです。京都府の美山には藁葺き屋根の村が今も残されています。

銀閣寺は銀沙灘や向月台の造形美も有名ですが、庭に生えている苔も有名です。昔は苔寺とも言われるほどでしたが、今はそれほどでも無い変化がありますね。


銀閣寺 苔の庭

着物にはいくらか急な坂を下る途中には、わき水が水路になっています。苔が夏の暑さの中に涼しく青々していていました。

銀閣寺 水路



錦鏡池(きんきょうち)を中心とする池泉回遊式庭園を周り、違う角度から銀閣寺の建物を眺めて 庭の散策を楽しみました。一人ですから気ままですが・・思うところで写真を撮ってもらえないことと、感動を共有して話し合う相手がいないことは寂しいですね。

庭番、出口の守りをしていた女性達と少し会話をして楽しみました。たいした話題では無いですが、私が着ていた着物についての話ですよ。

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 京都市立美術館の側には琵琶湖疎水路の水がとうとうと流れていました。

特に南禅寺境内の中にある水路閣は、TVドラマでもロケに使われて知っていました。又一度も 哲学の道を歩いたことが無いので、宵山の時間には早かったこともあり散策をしようと決めました。
琵琶湖疎水路1

フェルメールの絵を鑑賞後に起点の一つである銀閣寺に向かいました。そこから哲学の道が始まっているからですね。桜の木が沢山植えられていて、春にはきっと桜が綺麗だと思う。DSC04099
綺麗な水も心地よい音奏でて流れていました。京都の夏は暑いですが、気持ちだけが少しばかり涼しいかったですね。散策をしている、自伝者に乗った初老の男性から声かけられて、何事かと思ったら、祇園祭りの風景を石にペイテングしたものを売っていました。散策をしている外国人にも流ちょうな英語で声をかけていました。
上手な絵でしたが必要を感じませんでしたDSC04100

銀閣寺近くから始まって、南禅寺から蹴上まで歩きました。

水路閣1

この水路閣は観光的にも有名ですから、数名の外国人も見学に来ていました。琵琶湖疎水路の歴史は、1881年(明治14年)1月19日 北垣国道京都府知事に就任(2月着任)、琵琶湖疏水の検討をはじめ事とか始まります。

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このような赤煉瓦のしっかりした酢路は初めて見ました。  外国。ローマ遺跡の水路は見ていましたが、すべて石造りでした。


セゴビア水路遺跡

スペインのセゴビアの水路遺跡は有名です。高さが4〜5階くらいのビルの高さに匹敵しています。もう何年が過ぎてでしょうか?見物に行った記憶が懐かしいです。そうそう、思い出したよ。1986年に11ヶ月間の間、EU、ESA CANADを旅していました。



水路閣2


今日の着物はモスグリーンの小地谷縮です。風は通り抜けて涼しいです。膝丈の半襦袢を下着にしています。


 哲学の道筋に、数匹の猫たちが集まっていました。とても人なっこいねこもいました。持っているえさも無かったのですけれど・・
猫1





何となくミュージュカルのキャツのワンシーンを思い出しました。
猫2

 15日は、私の個人定休日でした。。

その休みを利用して京都に出かけました。
私立美術館でフェルメールの手紙を中心とした展覧会を見るためでした。10月16日まで開催されています。
フェルメール手紙を書き合える合間光と影の画家と言われておりますね。まるで写真を撮ったかのように描かれていた絵でした。 オランダでも彼の絵を見ていますが、今回は修正されて初めて日本での公開となりました。

前回は青木繁展を見た後に、貴船鞍馬に行ったので見る機会を失っていましたが、このフェルメールは何度見てもいいな〜と思います。

また、祇園祭の開催中で、宵山の期間中でもありました。烏丸御池駅交差点から四条通りが歩行者専用に切り替えられ、縁日屋台大勢の人々が祭りを楽しんでしました。これが千年も続いていると思えば驚きです。きらびやかな、鉾を飾る色々の道具飾りも数百年と保存されています。文化財保護への情熱も素晴らしいですね。

又その人の多さにも驚きました。縁日 金魚すくい

外国人の方も浴衣を着て散策や縁日の金魚すくいを楽しんでいました。子供達も祇園祭のかけ声とともに、ちまき、その他の祇園祭りのグッズを販売していました。これを買うと時別に祇園の引山の中に上れます。
                           



       祇園祭り宵山1

ちまきが1000円と聞いてためらいました。引山に上がって画像を撮りたいのは山々でしたが、夕ご飯の前でしたし、ちまきがご飯代わりにはならないのであきらめました。線香とか宗教ぽいのも嫌でしたから・・

祇園宵山NO1


人混みの間を縫って散策していましたが、。途中から歩行者も一方通行になりました。それだけの人、人でした。手ぬぐい屋で鯉の絵柄の手ぬぐいを買いました。有名作家の作品とかで2000近く手ぬぐいの値段におどrきましたが。返そうにも放送をした後でしたので返せなくなって・・しまいました。通常500円ぐらいの品が・・最低でも1000円になっていました。祇園祭りの特別絵柄とかで・・
祇園宵山NO2

今日とは一般的に物価 特に旅人には高いかもしれない?それでも旅の思い出にとついつい手を出してしまいますね。京都在住者は、別な安い店も知っているでしょうね。格式ある店では、一見さんはお断りの風習も残っています。一部の呉服屋さんの中にも、その流れがある気がします。??冷やかしお断りが見え隠れする店も残っていますね。


祇園宵山NO3

コンチキ コンチキと祇園囃子が心地よかったですね。


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月鉾の近くまで言って引き返しました。終電に乗り送れると困るからです。神戸駅12時までに戻らないと・・

数年前に偶然。四条で辻回しを見ていますが、宵山は初めてでした。祭りの風域が夏の暑さと祇園祭りが重なって良かったです。着物浴衣の男性も多くてチョコと私自身が目立たなくて気楽に着物でも散策が出来ました。

  仕事が終わって三宮に出かけました。

今度の土曜日にキッシュ・ド パリジャンを作ろうとして、タルト型探しに出かけました。料理道具屋さんには同じ大きさの物が無くて・・結局。同じ物を買った店に(カインズホーム)で明日買おうかと思いました。大きさが違うと困るからです。

 時間があるので映画、『小川の辺』を見ることにしました。昔の武士の世界。君主に使えること,家族愛が美しい風景の中で淡々と語られていた映画です。繰り替えられるテーマ曲が印象的でした。

帰りに食事をしようと,三宮のガード下の飲食街に行くことにしました。此所に来たのは久しぶりです。045

ラーメンや 焼き肉屋、小しゃれ店、イタ飯、寿司屋などもあります。いろいろの店が軒を並べています。
何処にしようかと・・献立看板&値段を見て回りましたが、結局。大衆中華料理店 民民に決めました。値段は大衆的ですが,
味はいいですよ。


046 大変狭い店でしたが,少し拡張していました。でも相変わらず忙しい店です。調理担当者が4人が狭いカウンターで奮闘しています。看板は薄皮の餃子です。



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中身の具も美味しいです。1人前315円だったかな? 私は豚ニラ炒めを注文しました。


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カウンターで食べている間も次々とお客が来ています。店のインテリアは汚い=古いので・・味が旨い店ですね。
場所柄的にもサラリーマンも多いです。

 久々に美味しい餃子をいただきました。神戸には中華街もありますが、その観光的な通りですから点心が多いですね。美味しい店もありますけれど。

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盛りつけは簡単ですが、ボリュームがありますので、結構満たされますよ。


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