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心の風景、愛の聖書、福音と癒やしと日常から。ミカエル小栗

ミカエル小栗がつづる心の風景。聖書の福音は愛と救いと癒やし。日常の出来事の心の雑記帳風景ブログです。聖書に基づくカウセリング、祝福と救いと心の癒やしを祈ります。あなたの教会のメッセージ奉仕もします。ご依頼はメールにて!

2009年11月

先日、大阪梅田阪急内の「男の着物、銀座もとじ店」で江戸小紋に関する講演会がありました。

単に着物を売るだけでなく、毎回素敵な話と伝統工芸の保存と普及に
努力しておられる 銀座もとじ店です。
店長の司会で始まり、小紋を染める型紙の彫り師である佐々木正明氏の説明会でもありました。
もとじ江戸小紋 001和紙を数枚重ねて貼り合わせて、とても細かな手作業で彫り込んで、反物を染めていくのです。伊勢の型紙とか、鈴鹿彫りとも言われています。

三重県の鈴鹿市で始まった手作業の染めなのに、なぜ江戸小紋と呼ばれるようになったかも説明を受けました。

江戸小紋型紙江戸の武士たちが好んで盛装の裃に、この小紋を愛用初めたので、江戸小紋と呼ばれるようになったようです。需要から女性物、反物も紬や縮緬などに広く使われるようになりました。小紋の源流というなら、古くは奈良の正倉院の宝物の中にも見られるそうですから驚きですね。

それにしても右手にある爪楊枝と比べても細かな彫りを手作業で行うのです。仕上げまで日数もかなり掛かり、彫り師も昔に比べ少なくなり、着物愛用者も少ないので、必然と値段も上がりますが、その行程を見てもうなずける値段です。でもおいそれと手が出ない私の懐でもありますが・・^^: 

もとじ江戸小紋 008佐々木氏の説明を受けながら話を聞きました。

1ミリ単位の立て縞も手作業で掘ることが出来ると言われ実演も見せて頂きました。その型紙を彫るための小刀も、ご本人の手作りだそうです。

もとじ江戸小紋 021日本には伝統工芸が沢山在りますね。 それらが伝承されて、日本の繊細な技術が生まれてきました。この彫りの伝承にも力を入れておられるとも話しておられました。

一人の人材を育てるためには長い時間がかかります。
でも今の日本は目先の結果を追求するあまり、派遣社員
パート社員の採用で、日本の技術知恵を受け継がせる事がおろそかに成ってきてる気がします。海外の安い人件費と販売力を付けるために
日本の知識財産<その企業の知識財産でもあるが>を気軽に手放す企業も多いですね。 販売促進のために、後進国、先進国と手を組む代償に知識を手放す企業が多い気がします。
江戸小紋 014
液晶技術、LED発光技術 多数の日本企業が培ってきた知識財産を一時的な儲けのために手放してきた気がします。
結果。韓国や中国にコピーされ結果的には、日本の経済が危ぶまれるようになってきた気もします。

今から自動車用の燃料電池、太陽光電池の革新的な技術知識財産が世界から狙われていますね。資源のない国の日本ですから、この知識財産を大切に守り育つ国になって欲しいですね。
海外では知識や仕事内容に価値がありますので、パート社員でも正社員と同じ賃金が払われます。 日本は年功に対して賃金がつきます。知識技術には賃金が中々払われませんね。

江戸小紋も素晴らしい繊細な彫りと染めがあって生まれてきます。
失われたくない日本の伝統工芸の技術ですね。ふとそんなことを思った日でした。作り手、販売。そしてそれらを買う方がいて、日本の伝統も守られます。
着物の知識を教えて下さりながらの呉服販売をする銀座もとじさんですが、数少ないお店ですね。

『家は知識によって建てられ、英知によって堅くされる』聖書箴言24章3節


商いも日本の将来も目先のことでなく 長い目で将来と世界を見て欲しいなとも思いました。政府の仕分けで、スパコン ロケット、将来の技術育成考慮をして欲しいなとも・・急ぎ過ぎて無駄な税金使いはは困るけれど・・

 市橋容疑者が、取調室で出される食事を断り続けていたのを
急に弁当を食べたとニュースで見聞きしました。
それを聞いて・・私は一瞬!危ないな〜と思いました。

 彼が何故食事を食べないか?色々詮索論議もされていますが・・多くは何かの自己表現達成。 または自分の意志表示の絶食が多いのではないでしょうか?

 絶食していたのに、急に普通の食事を取ると、胃腸が拒否反応を起こして大変な腹痛になり危ないのです。 場合によっては命の危険にもつながります!! 彼が絶食を止めて、真実を話して心と体を軽くするようにと思います。

 ところで、私は過去に40日の断食を2度しました。 
ダイエット目的ではなく
自分の心と祈りのためです。

キリストが30歳になり宣教・・神の国を教え始める前に40日の断食をしたので、単純に、見習いたいと思ったこと。  また預言する力、癒しの祈りをする力も増し加えられると良いな〜と思ってのことです。 ただ賜物は、神の意志の領域ですので、与えられるかどうかは、神の意思でもありプレゼントですね。 賜物を管理使いこなす力も必要な気もします。

 最初の断食は仕事をしながらしました。

 摂取する水分が少なかった事と、仕事は食事作りでしたので辛かったです。 それでも、いきなり始めないで、
おかゆ またスープの前断食=徐々に固形物を取らないように3日かかけて胃腸を慣らしました。私の場合は、断食すると全ての感覚が鋭くなりました。

 食事作りの仕事で、食材の香りは辛い臭い変わりました。水分の不足から多少のめまいが30日過ぎた頃に出たので、水だけは飲みにくく、少しの果物や野菜ジュースを混ぜて飲み始めて、めまいが収まり40日を乗り切りました。

 心の中に不完全さが残り。半年後に再度、40日断食をトライしました。聖書にはバブテスマのヨハネが断食した記述の中に野密をなめ、イナゴも少し食べたと書いてあります。なめる程度ですから微量だと思い、蜂蜜を2リットルの水に、小さじ半分入れる日もありました。イナゴの代わりに10日に一度。少々のヨーグルト(プリン型くらい)をなめました。

 出来るだけ水だけでの断食に拘りたかったでのですが・・方法よりは、父なる神との交わりと祈りを重視しました。


 また、前回とは違い仕事をしないで、断食と祈りに専念しました。<下記のパトモス社の施設を利用しました。細かいアドバイスも受け助かりました。> 祈りに専念できて、父なる神と聖霊様、キリストが身近に感じられました。

 3日かかけて徐々に空腹に慣らして、4日目あたりから実際的、空腹は感じませんが、食事を考えてしまう時期がしばらく続きました。

軽い散歩をして空腹感、食べたくなる習慣の気持ちをそらして祈りました。 乗り切ると個人差はありますが、霊的には敏感になると思います。

 その祈りの中で示されて(と信じて)神戸で宣教活動を始めました。最初の計画は古里の北陸。または、初めての宣教活動で沢山救われ癒された四国徳島市内のどちらがよいのかを祈り決めたいと始めた断食祈祷でしたが、
神戸を示された気がしました。

 神戸宣教活動を決心したのちに当てもなかったこと住まいや人間関係がが与えられて今に至っています。自分自身の計画から見ては、全てが順調とは思えませんが、父なる神の別なプランがあるのではと祈り求めつつ忍耐と軌道修正の機会が在り無しを見ています。

  ダイエットで、信念のために 信仰的で、、色々の理由で断食は必ず 1日 2Lの水分を補給して下さい。でも決して絶食はしないで下さい。=水も何も口にしないことは危険です。例え1日でも危ないですから・・ 食事も急に戻さず10日間の断食なら5〜10日かかけても流動食から戻しましょう。20日なら、20日かかけて戻しましょう。

 

ダイエットの為の断食も指導してくれるところが在ります。

キリスト関係の断食施設ですが、一般の方も 3泊から受け付けています。愛知県足助町の 静かな山の中に有ります。霊的に、精神的に見守るなら、此処が良いですね。

食事の健康療法もあります。                       about_img
                       
http://www.patomos.co.jp/
 

私は此処 上記URLで
40日の断食をしました。本人を見ながら
健康管理をしてくれるので助かります。

長期の断食に成ればなる
ほど、
どこかの施設 人に見られてが安全です。
40日の断食を許可してくれる施設は此処 パトモスくらいかな??

             
 短期間でも、人によっては障害が出ますので注意して下さい。


 又食事を取らないので、栄養の関係?=素人考えですが、 隠れていた病気が出やすくなります。 また癌の進行も遅くなったり不思議なことも祈りと共に起きます。
ケースバイケースですので。。ご注意を

下記のURL 淡路島の公の病院も指導してくれます。長期は無理かも?宿泊値段も高いですね。


http://www.fyu.jp/dojo/
  上記2箇所が正しく指導をしています。

 

 断食も祈りも 自然体が良いですね。
施設選びには十分に気を付けて下さいね。ウエーブ検索では 色々出ますけれど、霊的に敏感になるために、その辺も調べても良いかもしれないですね。・・・

ミカエル記   
http://blog.livedoor.jp/mickaels_mind/ 

       http://el-shaddai.jp/default.aspx

 今朝、イエメンの拉致事件が解決されましたね。

本当に良かったですね。裏で政府が動いたと思いますが・・

 イラクに滞在していたときのことですが、拉致されて民間人を助けるために政府は他の諸国に比べて全力を尽くすことに大変遅い、疎い気がした事があります。アメリカ人がこのような拉致されて時には、軍隊を動かしてでも、アメリカは動き助けようとしました。でも自民党時代の政府の動きは大変鈍いと思ったことがあります。海外生活をしていたので。明日は我が身と思う事もあったからでしょうね。

 フイリッピンで民間人、在る商社マンが拉致された時も、民間のことだからと政府は動きが遅かった。メキシコでも・・動きが遅い、相手国任せで・・ 人質は亡くなってしまった例もある。 

 そうそう・・イラクとイランが戦争を始めた時に、真っ先に国民の安全を考えてアメリカやフランス、ドイツ等は、緊急の救出のために飛行機を飛ばして、イラク、イランに滞在していた民間人の救出のために動きました。

しかし、当時の政府は動かず、JALに要請をしませんでした。

 結局、エアーフランスの飛ばした救出機の残り座席に、日本人の子供と奥さんらが乗り込んで助けられた。他国任せの日本政府に腹立ちさ情けなさを感じました。 一時的に陸路3〜4000km車で陸路で海外逃亡する結果になりました。

 拉致と言えば、北朝鮮の拉致事件が真っ先に、頭に浮かびます。
スペイン、バルセロナノ公園で、休んでいると、『日本人ですか?懐かしいですね。 自宅に来ませんか?』と声をかけられたことがあります。いきなりのことでしたので、少し用心をしつつ会話をしました。

 『私の自宅で、キムチを食べませんか? 日本に帰るなら、一緒に帰りませんか?』と言われました。ソウル経由でなく、ピョンヤン経由の話で断りました。 ソウルなら、韓国最大の大きな教会{ヨイド福音教会}に関心があるので、そんな会話を楽しんでいました。

それから数年後に、そのバルセロナで拉致の発端が会ったことをニュースで知りました。 もしかして、バルセロナで出合った韓国人と気が合えば、ピョンヤンついて行った。同行したかも知れません!

ぴょっとしたら。。のんびりブログを書いていなかったかも知れないと思いと恐ろしいです。 パリでも韓国経由で帰って、行方不明の人もいます。
浮かれて海外に出かける裏には、身の危険を十分に考慮しないといけないですね。

 それにしても早く政府が具体的に動いて・・他国任せにしないで
北朝鮮の拉致問題の解決をして貰いたいです。
横田恵さんのご両親はクリスチャンです。 日本国と神の手が早く動いて解決されることを願ってやみません。

下記のURLは横田恵さんのホームページです。

http://asagaonokai.jp/

土曜日に映画のクリスマス・キャロルを観ました。

心貧しい強欲な主人公。クリスマスを心から祝うことが出来ない彼に、ある時3つの亡霊・・過去、現在=自分がどのように人々から思われているか? そして将来はどのように成るのかを
天使が、彼に見せる話です。

ジム・キャリーがいくつかの役柄にふんしています。けれど実写とは思えないほどにフアンタージー アメニーションのような感じでした。
技術的にも3Dが発達していて より立体的にみえました。

人は過去から学ぶことが大切。 現在からも自分を知る事。
また将来に夢と愛と希望を持つことが大切だと教えていると思いました。

子供も大人も楽しめる良い映画でした。原作者が聖書の教えを盛り込んでいることも良い映画として安心してみられました。
オフシャル サイト
http://www.disney.co.jp/movies/christmas-carol/

イエメン日本人拉致事件の進展が止まったままです。

 今も、多くの日本人が海外で仕事をしています。 必ずしも安全に歩く事が出来る国には、何処にもないですね。ただ日本があまりにも安全な国ですので、海外に出てからも、その感覚が抜けないのかも知れないです。
海外では自分の身の安全は自分で守ることが原則です。

 私自身は正直に言うなら、イエメンでは日本人拉致は起きない地域だと思っていましたが、日々世界情勢は変わりつつあると思いました。アルカイーダ組織は昔はなかったし、今回もこの部族が関わっているとニュースで聞きましたが、本当のところは解りません。1日も早い可決を願ってやみません。

 私は1980年代に、イラクに滞在していたことには、富士通の社員がイラクのある部族に拉致されました。大金を支払い解決されました。フセイン大統領の力添えが日本に対してありました。 けれど、日本では大きなニュースには成りませんでした。バビロン 獅子の門20                     
その後、私が町中に仕入れ買い物出かけるときには毎回。銃を持った兵隊が護衛をしてくれるようになりました。

左の画像はバイロンの遺跡の門の前です。

1970〜80年代には高度成長基でしたね。慣れない海外で多くの日本人が働きました。

 中には仕事と慣れない環境で精神的な病気になる人もいました。精神的に追い詰められたらかです。これでは駄目と判断されて仕事半ばに強制的に帰国され、『成田に着いたぞ!』と肩を叩かれたとたんに
我に返った人がいた話も聞いています。

ある海外の職場では、『日本に帰りたい!』と酒に酔ってスーツケースを持ち出してあばれて・・みんなで気持ちを静めるようになだめていたが、夜中に宿舎を抜け出して、港に浮かんでいた人もいました。言葉にならない悲しみで一杯になりました。会社の命令・・家族を思い慣れない国での仕事に疲れての事でしたが・・ 

本人の意志と適用性に関係なく、海外出張を命じられた人ですね。

前記の「沈まぬ太陽」も本人の意志を無視した海外転任の話が出てきます。 日本では部下に慕われていた人が、海外では仕事のストレスから
鼻つまみの性格に一変した人も、私のいた職場にもいました。

幸い、私は海外の仕事、生活は水があっていたようようでした。良い思い出が沢山出来ました。

下の画像は イラク メソポタミア砂漠です。

メソポタミア砂漠418

79b64439.JPG

 映画で『沈まぬ太陽』を見ました。60歳からはシニア割引がありまね。

  冒頭には、JALの御巣鷹山航空事故を思い起こさせるシーンがあった  映画では 国民航空になっていたが・・ 映画のリアルな事故のシーンと大画面の中に映し出される事故の悲惨さ・・また・・そのシーンでは 友人を思い出し泣いてしまった!大声で泣きそうになり必死に口を押さえていました!!

 私はその飛行機事故は、イラクでの国営放送で見たのです。なぜなら・・当時・・私はイラクで仕事をしていました。 慣れない海外での仕事で、その要領を親切に教えてくれた先輩でした。彼が一足先に休暇で帰国し、数週間後には私も同じ飛行機の便に乗る予定でした。 その事故で不幸にも亡くなった先輩と家族のこと思い出しました。 


人生には、思いがけない悲しみや不幸な出来事、とんでもない病に出合います。 『神様!!何故ですか?』 泣き叫ぶことも多いですね。
しかし、神様から目を離さないでいるなら、神は優しく救いの手をさしのべて下さいます。また教訓や慰めを与えて下さいます。

 映画は利益追求で、安全を怠った会社の体質と考え方を正面に戦う、主人公と世渡り上手に出世する二人の物語でした。 でもそれは想像の物語ではなく。。JALを思い起こさせる物語でした。 ラストにはアフリカの太陽が最後のシーンでした。 

 夕陽は世界を旅して色々の場所に見ました。アフリカ サハラ砂漠の夕陽 。またユーフラテス河 ギリシャの海の夕陽 でも・・自分の古里の夕陽が一番良いと最近思いますね。 下記にその写真があります。
越前海岸の夕陽 幼い時から眺めてきた立山連峰の夕陽です。

 夕陽77
 
丹後半島に沈みゆく夕陽と 越前海岸漁り火温泉にて・・

 漁り火温泉568

 古里の剣岳の夕陽 turugi

雄大な立山連峰。 聖書の言葉の中には、「私は目を上げて遠き山を見る。私の救いは神から来る。』という御言葉を思うときでもあります。
立山連峰ss





 加賀慕情という題名のデジタルブックを製作しました。

加賀の金沢は、私の青春の思い出が詰まっています。妻との初デート 度々遊びに行きました。
妻の癌宣告も金沢の病院でした。 その後も友人との思いでも金沢にはあります。

妻が健在なら11月3日が結婚記念日でもあり、ふとこもごもの思い出など 一部脚色して
物語風に仕上げたスライドショーです。
金沢の街が舞台です。どうぞご覧下さい


 加賀 慕情
       
        
   

 ベルリンの壁は、東西社会の隔たりの・・

 自由社会と共産社会主義のイデオロギーのぶつかり合いの象徴でした。あの壁が崩れ去ることなどは、当時は誰も思いもしなかったと思います。当時はその壁の先に理想の自由があると宣伝されもし、実際にそう信じた東ベルリン市民がいました。そのために多くの犠牲、死人=銃殺をされても良い覚悟で壁を乗り越えようとした人々がいます。

 確かに壁が無くなることは、強い希望や願いはありましたが、あれほどの歴史が、数日間の出来事で代わるなどとは誰もおもいもしなかった!

 自由に対する根強いあこがれが、東ドイツには在ったことは事実です。 人々には自由あって当然のように、一般に思われてもいました。

 自由とはフランス革命後、王族や貴族に押さえられていた時代から解放されて、一般市民が勝ち取りました。日本も自由社会と言えるようになったのは、戦後ですね。 明治、大正時代にも確かにそれなりの自由はありましたけれど・・

 自由には責任が伴いますね。 今はその責任無しでの自由を言う方も増えてきています。

 社会主義下の平等制度は、世界の歴史の中では少ない。また困難だと思います。ベルリンの壁崩壊ご20年過ぎて、それを懐かしむ風潮が芽生えてきてもいます。

 そこには経済的な隔たりに対しての不満があるからですね。自由になったけれど・・経済的に自分の手で生活しなければならない責任が伴っているからです。

 聖書の教える共同生活での平等性とも違う、社会主義を懐かしんでいます。経済的のみ恵まれることを望んでいます。でも神が与えた自由を無くしてしまったら。。経済的に恵まれてもなんの意味もない気がします。

 社会主義の基本は、共同生産性です。でも本来の自由がともなう共同生活とも違います。。本人の意志で、少ししか働かないでも食べられると言う考え方も芽生える気もします。 北朝鮮の社会主義も貧富の差を生んでいます。中国も社会主義と自由経済の狭間に貧困の壁があります。

 自由主義の全て良いとは思いませんけれど・・ 力・・日本の言う勝ち組の考えには抵抗感があります。その努力は理解もしますけれど・・ 日本が・・世界が人に優しい社会に成ればと思います。

 自由の中に有る格差という壁が無くなればいいですね。弱い人々・・子供や老人、病人等に代表される一般的に弱い立場の人々に対して、いたわりがあれば、大きな隔たりの壁は生まれにくい気がします。

 経済的な壁ばかりでもなく、それぞれの人生には乗り越えなければならない壁があります。その壁をのりこえる原動力、言葉 希望は・・私は全てキリストから頂きました。今も乗り越えなければならない大きな壁がありますが、きっと乗り越えられると信じて明日を迎えようとしています。

 

 

 

 

 

 ベルリンの壁崩壊から20年目です。

 その時は信じられない思いで、テレビからのニュースをみました。

その時。私は、パリの16区にある安宿に1ヶ月以上も泊まって、パリでの調理師として働くための就活中でした。フランス他の仕事の契約が終わり、新しい仕事を探しつつも、帰国するかどうかも迷っていました。

 ホテルに帰るとテレビの間へには大勢・・普段は数人でしたが・・ 真剣な目つきに 『どうしたの』と聞くと歴史が動いたと一言 興奮した面持ちで見入っていました。

画面には大きなハンマーを振りかざす人々・・すぐにベルリンの壁と理解できました。

 冬のバカンスで レストランのオーナーは不在が多く、就活も上手くいなかった。 私もなんとなく 壁が壊れたのを見て、10年以上居た海外の生活から、新しく日本での生活を始めようと帰国を決意した日でもあります。

あれから20年。早くて長い20年ですね。

 

 

 

 

夏に京都の祇園祭りに一人旅をしました。

京都は着物着て歩いていても、さほど違和感のないところです。 
それでも私のように和服で歩く男性は少ないですが・・ ^^:

京都は亡き妻と初めて旅したところです。 40年前の事です。そんな処も、旅をしました。

年月が悲しみを癒していますけれど、ふとやはり思い出すこともあります。


こもごもな想いと友人と訪ねたときの想いも重なりますね。

そんな想いも少し織り込んで、スライド集を作りました。 ご覧下さい。
 マウスを表示画像に当ててクリックをして下さい。

 


上記で使用しなかった画像も下記に 纏めました。 メイキング集です。


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