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心の風景、愛の聖書、福音と癒やしと日常から。ミカエル小栗

ミカエル小栗がつづる心の風景。聖書の福音は愛と救いと癒やし。日常の出来事の心の雑記帳風景ブログです。聖書に基づくカウセリング、祝福と救いと心の癒やしを祈ります。あなたの教会のメッセージ奉仕もします。ご依頼はメールにて!

2009年09月

 

 クレヨンしんちゃんの作者である 臼井さんが山登りの時に自己で亡くなられたニュースが流れて驚きました。 中高年の山岳事故も多いですけれど・・一人で気ままに山に登られて、思わず事故で亡くなられたようです。残念ですね。

 最初の子供に見せたくない下品だ漫画としてレッテルを張られていました。ある時からその作品が、家族愛や夫婦愛、親子関係のについておもしろおかしく、考えさせられる作品に変わってきていました。

 また 奥様のコメントにも『主人と天国で再会できる日を楽しみにしています。』とニュースで聞いて、なにかクリスチャンのコメントに似ているな〜と思っていたら、ニュースでは聖書題材にしてギャク漫画を書くように成られてと聞きました。

 聖書には考古学、歴史、 人生の教訓、心配談、成功色々のテーマで書かれています。良く映画の題材にもなっていますが、クレヨンしんちゃんの題材も聖書からとは思っていませんでしたが、なるほどと思う点が、おもしろおかくし書かれた所が沢山在りましたね。

未だ聖書を読んだことの無い方も、これを機会に読んで見られては如何でしょうか?

  http://www.youtube.com/watch?v=s7p9gvL2xf4  

 

 今日は未だ日中の日差しが暑いですが、秋晴れと感じる日でした。

 職安に帰りに、散歩をかねて神戸の六甲山系の一つの高取山に登り、神戸の眺望を楽しみました。

 神戸のウイングスタジアムから 神戸港、神戸空港が望む写真です。少し霞があり関西空港まではハッキリ見えなかったですね。 地方空港は確かに便利だけれど赤字は住民負担です。関空と神戸と大阪空港3つが大阪周辺にあります。 将来的に一つは閉鎖するとは大阪府知事は言っていますけれど、パリやニューヨークにも幾つか空港があり、それぞれの役割目的がハッキリしていますね。

高取山から神戸空港を望む  この高取山は320m位ですので眺望はよいですね。市民の一寸したハイキングコースです。何にかの人とすれ違いました。気軽に見知らぬ人にでもあいさつが出来るのは、やはり、山の上だからですね。町中では、知らない顔して通り過ぎても・・

元々は山の上では、互いの安全確認のためですね。

山頂では早くも小さな秋の気配を感じました。紅葉は緑色に混ざり色づいていました。ススキも穂を出して・・ 秋ですね。

                    色づき            高取山のススキ             色づく紅葉

 

 

 

 

 季節は移り変わりつつあります。 変わらないのは就職なんかな!?願う仕事に合う物がないですね。働きながら教会の仕事もしたいので、日曜日を休みたいです。 一般的にそれが普通なのですが、長い間、飲食調理師をしていたので他の職種には中々・・その気があっても採用が難しい。

でも、聖書の言うように、求めつつ諦めず、 また必要以上に明日のことを思い煩うことなく、就活しています。

夏の名残りの中に・・この夏を精一杯楽しみかのような蝶々とマリンゴールドに出合いました。このマリンゴールドは25年くらい前には日本に在りましたか?私はパリで苗を買い育てていました。綺麗で鮮やかだし、日本<田舎富山>では当時見掛けない花でした。 30年前くらいの日本では、あまり ガーディニングも盛んじゃなかった気がする。 私は、珍しい花を見てはその種を買って育て始めた頃ですね。

                     それにしてもさわやかな日でした。             蝶々とマリンゴールド     

 

 

 

 

 鳩山政権が発足しました。 長かった自民党政権から 民主党に・・過去に短期でしたけれど政権が変わりましたけれど・・

 新政権下では、政治社会のシステム作りから始めないと行けない!

 アメリカやEUでも、新政権 与党が入れ変わったことが在ります。 その時、多くの国民は、結果を急がせないでしばらくは静観していました。 

日本人は全体主義ですから、一部に偏ることを嫌う傾向があるかな!?

 人が1日何人通るか解らない道にも公共事業で道が造られています。日本は公共事業の国です。 税金の大半が使われてきましたので、色々の国を比べても公共事業のための出費はトップです。

個人的には公共事業する事自体には反対ではないです。でも・・もっと値切った価格に出来ないか?押さえられないかな? 日本は入札方法価格も秘密です。海外が全て良いとは思いませんが、公表されている点は良いですね。

医療や、教育に最も国の出費が多いのがアメリカやEUです。公共事業の出費の割合は医療と教育費に比べると少ないです。

自由主義ですから・・田舎に住んで道が悪くても、彼らは文句もあまり言わない!住みたいところに住んでいて、道の悪さは最初から納得しているからです。外国では山岳民族のように、好んで山の不便な所に住む人々がいます。

フランスで仕事をしていた頃に、彼らに聞いたことがあります。『此処が好きだから住んでいるよ!便利でも山から下りる気ない』と言っていました。『病院と学校があればいいよ』だって・・ 学校の統合もないし、一人の生徒でも教師はいましたね。

 

 

御国が来ますように。 神の計画達成を祈る。 

 歴史History キリストの歴史His storyであることは、私たちは知っています。その歴史の始まりの具体的な始まりは
エデンの園からでした。
 
 天においての主権者は父なる神であり、キリストです。この地上ではサタンが、その支配権利をアダムから奪い上げました。アダムはこの地上の国を治め支配する権利を父なる神から委託されていたのです。
 
 その権利が戻りようにと祈り求めることを勧めています。 「御国が来ますように』が来ますようにとは、キリストの支配する国が来ることを願うことです。黙示録11:15 すべの支配がキリストにありますと認める事でもあります。
私たちの人生の全てのシーンで、王座を明け渡し服従して下さいと願うことでもあり、神が主権者でありますと告白する事でもあります。
 
 再臨を願う運動もありますが、その決定権はキリストにあります。黙示録11:15 キリストの王国が来る事は確かです。でも神は一人でも失われることを願わず、最後の審判 裁きによって永遠に葬られることを願っては居られません。その時を伸ばしに伸ばしておられます。再臨を願うことも素晴らしいですが、例えば日本の人々が十分に救われていない現状で、再臨が早まるように祈るよりは、日本が早く救われるようにと祈っています。現状を神様も悲しんでおられると思います。再臨、神の計画達成を祈る事は大切です。先の日本の救い・・その救いが達成されて再臨があることを祈る事は必要なことだと私は思います。
 
 天においては神は崇められています。地上でも一人でも救われて、神に従い崇める人々が多く増えるようにと祈り願うようにと主の祈りでは語っていると思います。ローマ12:1 
地上の全ての人が神の供え物となるように祈る頃ではないでしょうか
 
 神の目的  御心が行われるように
 
 神様ご自身の計画通りになるように祈ることも求めておられます。ヨハネ? 5:1  詩編143:10
祈れば何でも叶うと勘違いしてはいけません。 神の計画通りに成るように第一に祈る事が大切です。ご人格に触れる祈りをすることが大切です。神の計画、御心通りになるように求めなくてはいけません。『御心ならば』と口で告白したなら
本心もそうでないと行けません。
 
 祈ったことが答えがないときに、「アッ〜あれは御心じゃなかったのだ!』と言っていませんか!?御心じゃなかったと
逃げ道や、言い訳の言葉ではありません。 必ず神は、神のご人格触れる時に、計画に沿うことには答えられます。 
 ヒゼキア王の祈り   ?列王記20:1〜7 彼ヒゼキア王は神の計画に驚き嘆きました。
彼は神のご人格、計画と約束に沿った祷りを捧げて聞かれました。

 天において、地上において、各自の生活中において、御心が行われるように、計画通りに成るようにと求めること
大切です。
 ローマ12:1〜2 ヨハネ5:9〜10 ?ヨハネ5:14 申命記29:29 詩編143:10 ピリピ2:13

 
 
 日々の糧を祈る  神の備えを祈る。
   
 将来のことよりも今日の糧を願うことが基本だと思えます。 砂漠を旅するようになり、エジプトから持ってきたパンが無くなって、彼らは神にその日の糧を求めました。天のマナが降ったときに、一部の人は2日分を集めて腐ったことが聖書に書かれています。神が必要を認められた安息日は腐りませんでした。マタイ6;31−33 神は必要を既に知っておられ与えられますが、父なる神に求めることを日々望んでおられます。糧という原語意味には、その日の買い物リストの意味があります。
 
 求め与えられることにより、信頼と関係作りが出来ます。幼子は母のと関係は日々与えられてきた乳によって育てられた
事に由来することが大きいです。 今日の生活、将来の生活のことも祈っても良いでしょう。
 ピリピ4:19 でも一番求めることは、命のパンであるキリストの意味もある気がしますけれど・・
 
 だからといって・・霊的ではないからと日常の糧、パン、生活面を祈る事は行けないことだと言う方もいますが・・
神の国に仕えていくためには、必要な健康と生活があります。神はそのために求めることをよしとなさいました。
砂漠で、水を与えました。マナがあたえられました。 砂漠の40年間着ている服は擦り切らず、履き物も擦り減りませんでした。糧とは日常に生きて行く為に必要なリストのことです。スパーに買い物に行き、懐に合う良い物を見つけ買うが出来るように祈っても良いと思います。 祈りつつ求めるときと、そうでないときの違いをを知るでしょう。
糧という意味は、当時の主婦の買い物リストの意味ですから・・
 
 神の計画を行うために、日常のあれこれで悩むことがない様に、祈りなさいと言われたのです。 私ごとですが・・ 献身後に生活に困窮したことがあります。食べる米が無くなりそうでした。米袋にわずかに米が残っていました、けれど使っても、使っても減らずに、3ヶ月以上持ちました。米が増え続けました。 神様は必要以上に、日常にとらわれて、祈る事を止めたり、神の計画遂行の妨害にならないように生活を守って下さいます。 私たちがそれから解放され十になるようにと願っておられます。 明日も事を思い煩うことなく・・ マタイ6:26  31〜32  ピリピ4:19 へブル4:15〜16
 
 物質的に豊かであっても、すべてを神様から与えられないなら生きて行けないという信仰告白を
示さなくてはいけません。

 
 負い目を許す。 神の許し、私たちの罪の許しを・・
 
 そのことを神は願っておられます。 あることで私の心に深い傷を付けた方がいました。中々許せませんでした。 ある日、十字架で私は許せなくて憎んだ人を、神は許していることに、気づかされました。 その日から出来なかった許しを与えることが出来るように祈り始めてから、私に祝福が来ました。ルカ17:3〜4    エペソ3 16〜21    許しなさい!神は訴えておられます。神様が許される負い目ある人を、私たちが許さないことは、神の救いと権利を壊すことです。キリストの福音の基本は愛するが故の許しです。「日ごとの糧を与えて下さい。」のあとに続く言葉が「負い目を許して下さい。』であり「負い目有る者。』を許す言葉です。 食べ物・・日ごとの糧を求める事と同様に日ごとに許しをもめて与えることです。
 
自分が神によって許されていることを毎日確認感謝することも大切です。けれど毎日『私を許して下さい。』と祈る事も、主キリストが完成している十字架の福音を理解していないで、十字架の贖いは完成されていませんよと告白しているのに等しいです。むしろ、人があなたに対して犯した罪を許しがたいと思っていることを示し、それらを許せるように祈りなさいと言っておられるのでは・・?「彼に仕返しをしないで、彼を許せるように導いて下さい。」と・・ 償いを罪を犯した人に求めずに・・神に近づいて、あなたに負い目、罪を犯した人に祝福を祈る姿勢を求めておられるのではないでしょうか。
 
 誰かを、また自分自身を許さないと病にも成ります。怒りをコントロールすることも病にならないような気がします。
ルカ17:3〜4  エペソ4:31〜32 マタイ18:21〜35 ルカ6:35〜37 コロサイ3:12〜15

 
 神の守り、試みに合わせないで下さい。
 
 私達の弱さを知ることが大切です。誘惑には勝てない自分が居ます。でも私たちの脇に主が居てくださり警告を与えてくださるなら、誘惑疑いにも勝てます。そのような環境にも近づかないように警告も頂けます。
ヤコブ1:13 詩編119:11
 
過って罪を犯しても、 子供が親に抵抗するときのように、意識して罪を犯しても放蕩したとしても、帰るべき所は、父であり、神であるその胸しか無いことに気が付くべきですね。過ちを犯しても許されますが、過ちを犯さない事が大切なので無く、祈りなさいと語っておられます。ある人は罪を犯したから、神との関係が無くなったように言います。清さを求めても繰り返しわき上がってくるのは、清さは無縁な事ばかりです。どうすればよいのでしょうか。
 
神はその試みに合わせないで下さいと・・自分の功績によらず、つぐないに拠らず・・神の完全な許しを求めなさいと・・
そう祈るのは、サタンからの巧妙な誘惑に、私たちが負け安いからです。「悪から救い出して下さい。」と祈る事は、サタンの粉妙な誘惑に負けない力と、自分の弱さを認識して神の力による救いと力を嘆願することです。
 
ルカ3:8 17:3〜4 使途26:20 ?コリント7:9〜10
人を許すことは容易ではないですが、助けぬ主の聖霊様に助けを求めて許すことが出来るように成りましょう。

 
 国と力と栄を祈る 神の卓越性を祈る。
 
  
 主の祈りの最後は、神の卓越性、支配も求める祈りで終わります。実歳には、主の祈りに後世に加筆されたように思いますけれど、ダビデは歴代?29:11『全ての王に勝って、あなたはこの世の全ての王です』と告白されるお方です。
 
 偉大さと力と栄と栄光は主の物ですと告白  賛美にふさわしい方=黙示1:13と記されています。神の国の完全さと永遠性を祈るように勧めています。 私たちの日常では、程遠い感じがします。けれど日常においても神の国の栄光を祈り求める姿勢を問われています。 とこしえにふさわしいと告白は祈りの最後にはよいともいます。マタイ6:13
 
 
 神のご人格を知り、まとを得て祈りをするなら、聞かれることが多くなります。厳密に言うなら、祈りが聞かれるから祈りよりも、祈り告白するにふさわしい方だから、祈ると言った方が適切だと私は思います。
 
 神様の人格は聖書から知ることが出来ます。 聖書に書かれている事柄は、現代でも起きます。 癒しもそうです。 
前記に書きましたが、生活に困窮して、食べることが出来なくなっても、米袋の底にあった米が食べても食べても底を着くことがなかった期間があります。 旧約聖書の遠い昔のことだからと思わないことですね。神は永遠のお方です。
 ヤコブ1:13 詩編119:1 マタイ26:41 ?コリント7:5 ルカ22:31〜32

 
神には出来ないことがありません。でも祈り求めることの本質が『主の祈り』です。祈りによって父とこの関係を知ります。
神はご自身のために祈りを求めておられます。私たちが黙っていても与えることが出来ても、求めてから与えることもなさいます。エデンの園でも、アダムとの交わり為に、園を納め管理者として、人を創られました。神を知り達成することが祈りです。神様と一つとなること・・それが祈りです。
 
 主なる創造の神。私たちの父である神に栄光が在りますように。          2009/09/14 ミカエル小栗 記


 念仏の意味をあなたは知っていますか?それは真理の救いに出合いますようにとの願いを唱えてはいます。ですが、その真理についての詳細に着いては深くは語ってはいません。
 クリスチャンは主の祈りを唱えます。単に唱えるのではなく、その意味を知って唱えます。
キリストを信じていない方でも、参考になることを書きましたので、是非、呼んで下さい。
こちらにトラックバックしていますけれど・・  http://el-shaddai.jp/Prayer.aspx 

主の祈りの背景
 
 祈りの姿勢
 
 マタイの6:9〜13 主の祈りは祭司に代わって自らが祈り事が出来るようにと教えられました。
神殿で祈る祭司、
異邦人達の祈りの言葉から、戒められイエス様は教えられたのは、マタイの記し
た『主の祈り』です。
 
 バブテスマのヨハネの弟子達に祈りを教えていました。またキリストと3年あまり旅をしていた
弟子達は、イエス様のを見て来ました。弟子達は
 キリストの奇跡を見て来ましたし、説教も聞い
てきました。イエス様の祈りも聞いてきました。

祈りは天の父との会話です。個人的な行為でした。長く調理の仕事をしていた私ですが、よい
料理人に成るためには、良い調理する親方、チーフから習うことも事です。仕方動作を習っても、
味付けの感覚は、個人の感覚の物です。それを育てるには何度も練習鍛錬することしかないです。

 弟子達は、良い伝道方法と手案も聞かず、また奇跡も沢山見たのにもかかわらず、奇跡を行う
方法も聞きませんでした。聞いたのは祈り方でした。 祈りは絆を深める方法として最善だったからです。
 
 マタイの福音書全体はアブラハム、ダビデの子孫、神の子として、人としてのキリストを現しています。
その中での
主の祈りでは、人として祈る特に注意しなければならない祈りの姿勢を教えています。
マタイ6章5〜7  
 
 私たちに敵対する人を、人の罪を許すことがないなら、祈りは聞かれないことも注意勧告しています。 なぜなら、あなたが許すことをしない人を、神は十字架で血を流して許しているのに、あなたが許さない ことは、神に逆らうことになりかねないからです。
 
  周りの人々に、自分の信仰深さを祈りによって見せる祈りをすることも禁じています。何か断食等の行為によって祈りが聞かれる引き替えにする事も禁じています。
 
 マタイは、『み心が天でおこなわれるように、地でもおこなわれますように。』と記しました。        より具体的に御国が来るとはどのようなことかを書いた気がします。ルカはこの箇所の言葉を具体的には書いていません。神が御国でおこなう全ての事が地上でもおこなわれるように祈り求めることを、マタイは人として願うようにと書ています。
 
 マタイは日ごとの糧に関しては、過去から現在につながる神の恵みを感謝し、今日の祝福を願っています。
 
 ルカ11:3では、現在から将来に対しても与え続けられることを信じて祈りをするように語っています。 
ルカの福音書では永遠の救いの主キリストを現しています。永遠に続く恵みの祝福と祈り願いが、この言葉の違いからも 汲み取れる気がします。
 
 マタイは、人々に対する負い目を許すので、自分の負い目も許して下さるように祈るように記しています。 
負い目とは人に与えた負債であり罪を指しています。 罪とは、神と人との間に生じた、的外れな考え方と行動を示して
います。
 
 ルカは罪という言葉を使い、直接的に許しを請う祈りを記しています。私たちに対しても犯された罪も同様に私たちが
許しからと願いを持つように勧めています。
 
 マタイもルカも試みに合わせないで救い出して下さるようにと願うように勧めています。 私たちは試み、誘惑には弱い
存在だと知っていたからですね。
 
 アダムエバ、 ヨブも ダビデも、そして私たちも試みは突然やってきます。正しい判断で乗り切れるように祈り求める必要があります。
 
 マタイは国と・・天の国と地上の国を指す言葉と思いますが、神の主権と栄光が在るようにと祈り求めるように記しています。マタイは神の国と義を第一に求めるように、マタイ6:33と勧めて、与えられるまで捜し扉が開かれるように
祈る姿勢を示しています。
 
 ルカは、この主の祈りを記した後に、旅人が深夜に訪ねてきてパンが無く、隣家に求める話を記しています。
隣家の主人は旅人に食事を提供する慣例や律法を知っていました。それでも断った理由は、既にベッドに入ったからで
した。
 
 しかし、当時は父親の勤めで重要な事は、神の律法教えを子供達に教え込むことでした。その一つに、ベッドで添い寝をしながら、その教えを日々たたき込み教えることでした。隣人がパンを求めた時点では、ベッドで添い寝をしながら、子供に神を伝える最も父親としての勤めをしていたので、旅人をもてなすこと以上に、隣人の主人は我が子に教えることを選んでいたので断りました。 父親との子供の人間関係をきずく大切な時間でもありました。
 
 それでも めげずに求め続けることを教えていますが、ルカは11:9〜13で父は子供に対して信頼を裏切らない事と
同時に、聖霊も与えて下さることを語っています。
 
 主の祈りで神を呼びかける時には アバ とうちゃんと言う言葉を使っています。
この親密な人間関係が成り立ってこそ、とうちゃん!!と呼びかけられます。
神はこの祈りを通して、神様との親密な人間、親子関係を築く事を願っておられます。
 
 ラザロが亡くなり マリヤは涙ながらにイエス様に訴えました。『あなたが側に居たら、兄は死ななかったろうに』とその時、イエス様は涙を流されて、死んだはずのラザロに呼びかけて、『起きてきなさい!』と呼びかえられました。 そこには神の子の主権により癒しが在りました。 でも一つは、マリヤの訴えに対して涙を流されるほどのイエス様との深い人間関係がありました。 
 
     私たちもこのような深い人間関係、親子関係を築いて欲しいと、
     神は願って(気が付いて欲しいと)おられます。

   主の祈りの二つの流れ。
 
 主の祈りの中には大きく二つの流れ、祈りの骨組みがあります。
 
 父よと呼びかけに始まって、父なる神ご自身のことになります。父なる神のご人格、計画とその目的。『御名が崇められる。御国が来る。御心が行われる。』と語りかけて,次に家族のこと・・神の子供になった者への祈りです。
 
 私たち神の子供達が守られるようにと続きます。『パンや生活、許し、 保護の必要性。』 日毎の糧を下さい・・
負い目を許して・・試みに合わせないで下さいと続きます。 そして国と力と栄を祈り終わります。黙示録5:13  
神の永遠性,卓越性を見据えて祈り終わるのです。

 天の父よ!
 
 天にいます父(父ちゃん)と呼びかけから始まるのが、主の祈りです。主の祈りと言う言葉よりは 
私たちの祈りと言った方がぴったり来ますけれど・・
 
 イエス様は、マタイとルカを通して、神は私の父である。と言う自覚で祈りように勧めていますね。
ヨハネ 1:12     キリストを信じた者に与えられる特権  子供となる特権が伝えられていて、父として 呼びかけるように
と言われました。親子関係、人間関係を築くように望んでおられるのです。父と子と関係に関しては、
新約聖書の中では275回も言われている程。大切な事なのです。 ダビデ,ソロモンたちの旧約時代には無い呼びかけです。キリストは、これから始まる十字架を見ておられました。その流される血による契約によって生じる,血を分ける親子関係を見ておられたのです。それで神の前に直接、大胆に出ることが出来るように成るのです・へブル4:16
 
 神様が私たちの父であるという自覚も当然必要です。神がそう呼ぶことを許しご希望なさったのです。
わたしたちのそんな人間関係の中で祈り事を神は望んでおられます。
 ローマ8:14〜16 
 
 御名が崇められる。  神様の人格を知って欲しいと望んでおられます。
 
 霊としては見えない神の姿ですが、肉体を取って下さった主キリスト。神の子イエス・キリストを通して、神の姿を見る事が
出来ます。神はアブラハムにも、モーゼにもそのお姿を現して下さいました。 必要とならば、私たちにもその栄光をあわして下さり、その栄光を崇められるようにして下さいます。その事が起きるよう祈りなさいとも言われました。 
 
 神はアブラハム。モーゼ達に、ご自身が癒す神、アドナイ・イルエの神であるとか、その一部のお姿、御性質を現されました。その御性質をもっと知り、崇めらる為には、私たちが神様のご人格に触れることも大切ですです。
 
 また霊であり見えない存在である神様を見える形でも現して下さいと、父として隣人として 私たちがもっと人格的なふれ合いと信頼の中から、神様を崇められるようにと祈り求めるようにと促しておられます。 
 
 貴方の隣人 友人が、凄いと思って尊敬する事は何でしょうか?どんなときですか? 自分に出来ないことをしたときに、何か凄いことを達成したときに、隣人を賞賛するでしょう。強いて言いますが、それが崇めることと似てはいませんか?
 
 十字架の死、それが、私たちの永遠の罪の死からキリストの深い愛による身代わりであったり、難病からの癒しと解放だったりしませんか? 私は痴呆だった母の記憶が戻り、母自身の口で、キリストは救いであると、告白し栄光を崇められるようにと祈りました結果。母の記憶が戻りました。 癒しに関しては、神の計画もあります。 
でも多くは私たちの信仰と信頼が基本です。神様ご自身は『私は主。癒す神である。』と宣言しておられます。  
 
また別な聖書箇所では、一麦の例えがあります。ある方が治らずに死なれました。死に至るまで従順に、神に
信頼する姿勢と様子を見た方が、あとで救われ癒されたケースもあります。神を求めて祈る信頼する姿勢から
生まれるものですが、どのような結果であっても主の御名が崇められるようにと 祈る姿勢を神は求めておられます。
                            エペソ1:3−12

 

単に口で言うだけでは、崇めることにはなりません。 崇めるとは、{神聖にする。特別にする。別にわけておく等。}です。

神、全ての日々の生活の中にお迎えして、聖別して、神を神として恐れ敬い,認めることです。そのご人格に触れ認めることです。神の名前を口にしても、より頼んだ事ではなく、その人格により頼んでこそ、拠り頼む事になるのです。詩編9:10
崇めることになります。
ローマ8:14〜16 へブル12:9 ?ペテロ1:17 エペソ1:3 ヨハネ 10:29


 

 

 2001年9.11 と言えば皆さんはお解りですよね。

  その頃。私は、大阪富田林で友人宅に居候していました。神学生で田舎から関西に出てきていました。教会が近いからと、クリスチャンの友人が、彼のマンションの一部屋を無料で貸してもらっていました。勉強しやすいようにと机と食事付きでした。今思っても目頭が熱くなるくらいに たいそうお世話になりました。

 その日は祭日、また土曜日でしたか?大阪の中之島グランドキューブ会館で、クリスチャン向けの大会が在りそれに参加して帰宅後に、TVから ツィーンタワービル崩壊のニュースを目の前にしました。その3日前から、何か嫌なことが起きる気配を感じていました。ツィーンタワーの夢も見ていました。 

 私は関西大地震の起きる3日目にも、同じような感覚を持った経験があり祈っていました。(その時には、ある方に話したら怪しいけげんな顔をされて・・)その経験で、そのツィーンタワーの事は誰にも言いませんでした。

 良いことは先に話しても、悪いことはよほどの関係者で無ければ、話さない事が預言する者の良識だと当時は思っていたからです。実際にビル崩壊の様子をテレビで見て驚きでしたし、日や年変えてあの場所にいれば・・間違えていれば、私はあの場所に、あのツィーンタワービルにいた可能性もありました。

 私のバックナンバーにも9.11を書いてあります。                      http://blog.livedoor.jp/mickaels_mind/archives/2006-09.html

 もう一度。今日何気なく9.11のニュースをしらべて、なるほどと思ったことがあります。ビル崩壊の疑惑です。

http://www.youtube.com/watch?v=3vfouhgEUY4

http://www.youtube.com/watch?v=KEc5t-m-8_c

http://www.youtube.com/watch?v=kv4s3fn8jDc

さて本題に戻れば・・

 現在、私は癒しの祈りをしていることを公にしています。それは母が癒されたことが始まりでした。始めの頃は人のために積極的には祈っていませんでした。その時の癒しの祈りでは、癒されたり、癒されなかったりでした。 母の癒しの詳細 

わたしのHP http://el-shaddai.jp/aboutus.aspx  ←このページの後半程から書いています。

 さて、2001年の9.11大阪、グランドキューブ会館にチョーヨンギ牧師(韓国最大の教会牧師)&ベニ・ヒン師(USA有名な癒しの祈り、伝道者白人系)の集会が開催される予定でしたが、台風でベニ・ヒン師の自家用機が飛べないとかで、癒しを期待して参加していた人たちが、大勢落胆していました。

 チョーヨンギ牧師も癒しの祈りをなさっていたのに・・ 癒しの伝道者のベニ・ヒン師が来ないと分かって・・遠方から沖縄や北海道から来ていた人たちでした。・・落胆は大きかったです。

   チョーヨンギ牧師 http://japanese.fgtv.com/

   ベニ・ヒン師 http://global.bennyhinn.org/japanese/default.cfm

 その人達の嘆きを聞いて祈ったその時に、私も日本人の一人として、外国人に頼らずに癒しの伝道が出来たらいいな〜と決心を神様に祈り捧げました。その決心をしてから、奇跡が行き始めました。

 目が見えるように。歩けるようになり、癌が癒され・・身体が改善され・・預言ができるように。・・時々 幻も見え・・何かの絵を見るような・・色々のケースで・・多数です。 今に思えば、人は決心して前に進み出す事が大切だな〜と思いますね。 

 神にとって奇跡ではなく当たり前ですが・・・<http://www.youtube.com/watch?v=JynwfW37_mE>極度の難聴の姉妹が、祈られるために、私の前に出てこられた時から聞こえ始めていたようです。私と普通に会話しているのを見て、牧師先生が驚いていました。  どの程度の難聴だったかは、私は知りませんでした。牧師先生からの報告を後日また聞いて、驚き感動、感謝をしています。だから今ここに話をするのですね。私の生涯このことを発信して主を崇めています。

 神様の前に決心し手を挙げて、忍耐し祈り続けるも大切ですね。祈ったら即に実行できる事と 出来ない事。=当然訓練も要りますし・・(祈りが神の意志で答えが直ぐ来る時もあり、無いときもあります。祈る続ける必要性と態度も・・神はチェックされる気がする時もありますね・・。)

 その癒しの伝道をしようと深く決心した日が2001年9.11の日でした。 癒し、病の原因に霊の世界があることを教えて頂いた本の一冊です。悪霊、病気をもたらす霊、それらの追い出しエクソシスト方法の一部が書いてあります。

悪霊を追い出せ!―福音派の危機を克服するために
著者:奥山 実
販売元:暁書房
発売日:1992-01
おすすめ度:5.0クチコミを見る

前向きに物事を捉える一冊の本も紹介します。

翻訳本 PHP出版 『あなたの出番です。』著者 ジョエル・オースティーン

またリンクできないほどの新しい本です?


 

 ここ 数日間はいやしのことを書いています。

 

 その中の思い出ですが・・ まだ祈り始めて間もない頃のことです。

金沢の病院で、ある婦人のために祈りました。 たしか!?骨肉腫・・病名を少し忘れてきています。10年以上も前のことです。 その婦人のため祈りに行きました。その頃は、癌の方とか、色々の病気のために祈って、良くなったと報告を受け始めた頃でした。 心の中には、必ず癒されるという確信もありました。

 (私の母の癒し=痴呆症でしたけれど、希望と神キリストに信頼を重ねて癒され記憶が戻ったことが、私自身が癒しの祈りを始める切っ掛けでした。)

 その確信の意に反して、その婦人は治らずしばらくして亡くなられました。

無くなるまでには家族の支えや、祈りも当然ありました。自宅に帰っても、私はいつもその方が治るまで祈り続けます。  でも亡くなった事で・・・『神様何故ですか?』と繰り返していました。 信仰が弱いから? そんな責めを自分の心に抱き始めました。 

葬儀に参加して、喪主のご主人に、その旨をお伝えして、『許してください。私の信仰が弱くて・・奥様を回復させることが出来ませんでした。』とお伝えました。そのことが心に残り、いつも祈るときには、例え癒されたとしても、のぼせ上がらないように、自警も込めていました。今年になって、その後主人と久々におうことが出来ました。

『あの葬儀の時に、あなたが詫びを言ってくださったことが気になっていました。けれど、その意味もわかりましたよ。! あの時の金沢大学病院の医師二人が、妻の死を切っ掛けに、キリストを信じたのですよ。』 その言いながら微笑んでくださいました。 そのほほえみを通して、私の心が癒されました。

その婦人を見守っていた医師、看護師の方が、難病の中にあっても、穏やかに、穏やかに、クリスチャンとしての日々を過ごされたいたことを知っていました。

『妻の死は悲しかったが、代わりに2人の命が救われました。聖書の中に、一つの麦が死んで、多くの実を結ぶ。と書いて在るようです。』と言われました。その笑顔がスッキリと肩の荷が下りたようなほほえみも、私には救いであり癒しでした。

祈っても、直ぐに答えがないときや、癒されないときがありますが、それで終わらずに、それらの回答も求めていくなら、神様は答えてくださると信じます。今までも、これからも変わらない神です。 神のお心のままにと言う求め方と、絶対に答えてくださいという祈り方があります。 でもそれらに共通することは神の国と義と思う気がします。 

10年過ぎて、あの時の答えと心の負い目を癒されました。

 

 

 

 昨日の癒しのページは、加筆訂正をしました。

癒しに関心がある方は

  こちら  http://el-shaddai.jp/default.aspx からか 

 

   もしくは癒しの箇所

       http://el-shaddai.jp/happy10.aspx へ

           お入り下さい。

 

  イエス・キリストの癒しに関してですが、信じていない方でも

           癒しのことに関しては通じる箇所もありますので,

        ご参考に見てください。

 平安と祝福と健康がありますようにと祈ります。

 

 

 癒しについて、私のホームページからの抜粋です。
 
詳しくはシリーズの幸せの法則を http://el-shaddai.jp/happy.aspx 
その中にあるページの一部です。ホームページは
 
クリスチャンとしての考え、救いと癒しが書かれています。
 
クリスチャンでない方でも、参考になると思いますので是非ご覧下さい。
一生に一度くらいは、聖書をお読み下さい。歴史的なベストセラー
考古学書の参考書。ラブ ストリーとしても読まれてもおもしろいですよ。
信じるに至らなくても、あなたの人生に大変役に立つ言葉が散りばめられています。

幸せの法則 NO10  祈るとなぜ癒されるのか   
 
 それから、イエスは、ペテロの家に来られて、ペテロのしゅうとめが熱病で床についているのをご覧になった。
イヱスが手にさわられると、熱がひき、彼女は起きて
イエスそもてなした。夕方になると、人々は悪盤につかれた者を大ぜい、みもとに連れて来た。そこで、イエスは御言葉をもって悪霊どもを追い出し、また病気の人々を皆 お直しなった。
これは、預言者イザヤそ通して言われた事が成就するためであった。
『彼が私たちのわずらいを身に引き受け、私たちの病を背負った』。
                                                   マタイ8:14〜17


イエス様は病人を癒しながら福音を伝えました。使徒や初代教会の襲徒たちもいやしと福音伝道を並行しました。
  マルコ16:15〜20で、イエス様は確かな約束を与えてくださいました。
 
1 .聖書には癒しの約束があります。
(1) 『そして、さわった人々はみな、いやされた。』    マルコ6:56
(2) 『彼がわたしたちのわずらいを身に引き受け、私たちの病を背負った。』 
                                 マタイ8:14〜17
(3)  『彼の打ち傷によって、わたしたちはいやされた。』イザヤ55:5)と
    約束されています。
 
2 まず、病の原因を診断しなければなりません。
 
(1) 過労、あやまち、伝染による病、老化による病もあります。
(2) しかし、聖書が暁らかにしている三つの原因による病は、とても重要であって、人間の方法では治せない病です。
 
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 (a) 祖先の罪
 偶像崇拝は三代、四代まで至る病をもたらします(出エジプト2−:4〜5、
                                 競汽爛┘襭隠押В隠機
 これは病名もわかりにくく、医学では不治の病と診断されてしまいます。
 
(b) 原罪        日本人には理解しにくいのは原罪です。
  その霊が呪われている状態なので治療が医学では不可能です。 
   イエスの御名による霊的解放と裁ち切りが必要です。
                              (創世記3:16〜19)。
   一時的な癒しは可能であるが、根本治療はイエスの十字架で流された
    血の解放、救いが必要です。 何よりも本人の決意です。
 
(c)  自分の罪による病(粁鷁Γ機В横掘´粁鯊紕横院В隠押腺隠后´汽灰螢鵐硲機В機
   思い起こせる罪は悔い改めましょう。
 
◆ ^魔(悪霊)がもたらす病
   (a) 精神 (マルコ5:3〜15)
   (b) 心 (エペソ4:23〜28)
   (c) 環境(マタイ12:25〜28)
   (d) 神経 (マルコ9:17、ルカ13:16 
 
 神様の計画によって病になることもあります。ヨブの例があります。       
 
3. 間違った治癒法はもっと患い結果を招きます
 
 (1)  手術、薬のみに頼ること。
              医療の土台に信仰を据えましょう。
 (2)  肉的な結果のみを期待すること。  
     癒しの前に、神の栄光を求めて、お返しをしましょう。
 (3)  宗教的な方法・・・迷信、占いなどに頼ること。  
        御名が崇められるために、癒しがあります。
 
4.正しい癒しの順序を知らなければなりません。
 
 
 
(1)   まず、霊的ないやしが必要です。(轡茱魯唯院┌)
    ーけ入れ (ヨハネ1:12)
  ◆ \士扈舎 (エペソ5:18)  
   人によって聖霊を受けると何かを感じる事があります。しかし、聖霊を
    感覚で感じる事よりも、主の言葉によって、聖書の言葉を固く信じる
    事のが大事です。 
    感情や感覚は消えますが、聖書の言葉は永遠に残ります。
    それは神の言葉であり、神のご性質によって守られ実行されます。)
 
(2)   罪を断ち切らなければなりません。(ヤコブ5:13〜16) 
                      思い起こせる罪は悔い改めましょう。
  人には弱さがあります。一度には出来ず、繰り返す粉もありますが、
  諦めずに御霊の助けを求めましょう。
  聖霊は弱い私たちを哀れみで、見放さず、最後まで導いて下さり助けて
  下さいますお方です。
 
 (3)   環境を正しくする必要があります。(マタイ12:25〜29)
 (4)   物理的な治疲はこの後から行います。(ヤコブ5:13〜14)
 
 5 いやしの後も重要です。
 
 (1) 信仰を持ち続けなければなりません。癌など、再発の恐れを信仰に
    よって告白し、信仰を保たなくてはいけません。
 (2) 感謝の心や生活を必ず回復しなければなりません。 癒された姿を
    未来的で合っても現実的に捉えて・・
    未来を信仰告白感謝(私は癒されたと・・)を捧げましょう。 
 (3) 証しする生活が必要です。

 6 癒しを受けるために。
 
 1    癒しは聖書の言葉、神の言葉の約束が土台です。 
    聖霊様を歓迎。受け入れるをすることが大切ですが、聖霊を感じること
    や感情は必要は特に無いです。 人によっては賜物の一部として
    感じることもあります。けれど聖霊を感じる事は重要ではなく、
    父なる神、イエス様の聖書の言葉を信じる事が癒しの始まりです。 
    もちろん聖霊様は、その決意を助けて下さいます。
 
  2 病や不幸に会わないために。あなたの心を見張りましょう
 
   否定的な思いや不安を抱かない、発言しないようにしましょう。
   ヨブ記1:22 ヨブは発言しなかったが、心に不安を抱いた。ヨブ3:23
 
 3  神の言葉に信頼をしましょう。 イエス様は癒す神です。
                     出エジプト15:26 マタイ 8:3 
    病にならないように。 癒されるために、聖書の教え勧めを守りましょう。
                                   ヨハネ15:7
 
  4  神は私たち信じる者を見捨てには成らない神です。 ヨハネ14:18
 
 5    癒しは主の御名によって求めましょう。 ヨハネ14:14
 
 6 家庭の癒しが在ります。 
   夫婦、親子関係の癒しは、主の愛を知り、
   未来を見つめ合いましょう。
   例え家庭破壊に近い状況の中でも、
   主イエスを見上げて生きてゆきましょう。   
  互いを責めるよりは、互いのよい所を見いだし
  て、話し合い、愛し合いましょう。あなたの情熱が
   主が動きやすい場所を作り出します。
 
  イサクとリベカの意見、思いの利害を神の計画
  中で解決しました。
        ダビデの妻は、彼をあざ笑いましたが、ダビデは
   神の前に許しを妻に与えました。
        聖霊の介入を求めて、忍耐して話し合い知恵と愛と使うなら
   解決できます。
 
       *神様は夫婦親子の別離を望んではおられません。家庭では父親は
    家庭の長をして、神に仕えるように、家族を愛して納めなくては
    なりません。
   妻は神に仕えるように使えなくてはいけません。 
   子供は神を恐れるように両親を敬い仕えるように成らなくては
    いけません。
 
   しかし、サタンは家庭を破壊しようとします。
        それは家庭が、神の礼拝場所になることを避けさせるためです。
   しかし、神を求める者には、
   聖霊の助けがありますので、家庭の不和さえも癒されます。
        そのためには忍耐と愛と希望、未来の姿を見つめる目と聖霊の助けに
   よってやり直す決心です。
 
    職場、教会内の人間関係にも同じ事が言えます。 忍耐と愛と許しの
    中に癒し、改善、希望があります。
    心と魂の中に、神が住んで下さいますから、その為にも、心の中に神を
    歓迎して活躍して頂く場所が、魂の中は必要です。
    憎しみと怒りの中には、神様は住めないのです。そのような悪い
    環境を好むのは、悪魔や悪霊ですので注意しましょう。
 
 7 信仰と希望を保ち続けましょう。 長血の女の癒しマタイ9:21〜22
 
 8 イエスの言葉によっての癒し。聖書の宣言を受け入れましょう。 
    マタイ8:8    ルカ7:1〜10 精神的な病も癒されます。
    マルコ1:21〜28 ルカ4:31〜37
 
 9 癒しは主イエスの栄光、聖霊の助け、父なる神の栄光を崇める
   ためにあります。
           癒しを先求めるのではなく、主なる神の栄光を求めましょう。 
      『 御名が崇められますように。』主の祈り
              このホーム、祈りのメッセージを参照して下さい
 
  神の国とその義を求めましょう。 その結果の中に癒しが含まれます。
 
 10 神との人間関係を深めましょう。 ヨハネ11:1〜46  
     ラザロの復活。

  マリヤは涙を流して、訴えました。『あなたが側にたら、兄ラザロは

   死ななかっ たのに。・・』 その涙を見てイエス様は泣き、涙をを

   流されました。 

   そして、墓に向かってラザロを墓から、死から呼び起こされました。 

   あなたはマリヤと同じような人間関係をイエス様と築いておられますか?

 

  イエス様はあなたのために涙を流して下さいますか?  

                   ヨハネ15:16〜17
    
答えは・・あなたを愛して、血も涙も流してあなたの帰りを、

  癒しを望まれています。

  私たちの主イエス様は、十字架の死によって、天の父の前で

  あなたのために、涙を持ってとりなしておられます。

 

 11 涙を流す祈りに、神は心を動かされる。    ヒゼキア王の祈り           粁鷁Φ20:1〜7
   

   一旦死を宣告されたヒゼキア王です。  私自身も癌でした。

   時々癌の末期の方に出合い祈ります。
   私も祈り手として信仰も確かに必要です。それ以上に、ご本人が

   未だ生きたいという強い願い涙を持って祈るなら祈りは聞かれます。

   生き延びたいという強いパッション情熱が必要です。

 

   その涙には神は心を動かされます。   例え余命宣告を受けても、

   最後まで諦めないで、神に食い下がりましょう。 肺がんで余命を言われ、

    数年間。本人が満足するまで強く長生きした方が居られます。
  リンク→  『悲しみの陰に、手ぬぐいの祈り』  

             http://blog.livedoor.jp/mickaels_mind/  

 神の命令で、予言者イザヤが使わされ、彼の持ってきたイチジクの実で

 癒されました。「イチジクは悔い改めの実の象徴。エデンではイチジクの葉で

 罪の結果の恥を隠した。」 信じる者の身近かに、イザヤのような人がいます。 良い知恵があります。 医師を代えるとか、セカンドオピニオン。

  とりなしの祈り手を捜すとかをしましょう。<Aさんと一緒に祈って治らなく

  ても、Bさんと祈って癒されたとこともあります。

  神はダビデの約束を守られ、ヒゼキヤを癒されました。私たちには十字架の

  の契約によって癒されます。

 

  最大のとりなしの祈り手は、主イエス様であり、聖霊の助けです。

  癒しより先に、神を求めましょう。


  
      神の願いはこの世においても平安に満たされ、健やかであること
  です。
        その土台はあなたの代わりに、不幸と病を背負って十字架の
   身代わり成られた神の子 イエス様を歓迎して受け入れ、
   彼の言葉を信じることから始まります。これらを読まれた方が、
   イエス・キリストの名によって幸せになりますようにと祈ります。

 長年祈ってきた方が亡くなりました。

 昨日。電話で長年祈ってきた方が亡くなったと聞きました。

96歳でした。 4年前に、肺がんの末期だと聞いて、遠方であり、その頃、私は忙しくて、そこまで行く為の休みが取れませんでした。

その方からは、大変お気遣いと頂いていたこともあり、どうしても行きたい!でも行けない!・・ジレンマになりました。 時間を作るように検討したけれど、やはり直接行けないので、手ぬぐいに祈りを込めて送りました。

それは、聖書の中に書いてある一人の女性のことがヒントでした。イエス様の衣に触れてきっと治ると考え続けて、彼女は行動して、大勢の群衆に囲まれていたイエス・キリストの側まで、大勢の群衆をかき分けかき分け前に進んで、要約、イエス様の来ていた衣に触れて、長年の患いが癒された記述があります。

その事に習って、わたしは考えた末に、祈りを込めて手ぬぐいを送りました。

 その手ぬぐいを受け取ってからは、、毎日手ぬぐいを胸に当てて数日過ぎたら、肺に溜まっていた水が消えて行ったそうです。私の祈り以上に、神は彼を助け励ましました。 余命1ヶ月のはずが退院をして元気になったのです。数度、電話で大層喜んで神様を賛美していました。

退院後にも漢方とか色々完治するようにと方法も、同時に模索なさっていました。けれど、それ以上に神様を賛美しつつ治ると気力に満ちていました。 それから4年充実した日々だと行っていました。とても余命宣告を受けた人だと思えないほどにお元気でした。

 96歳になって亡くなられました。確かに死別は悲しいですが、その背後には一度、失うはずだった命が4年間も伸ばされ、ご本人が喜んで、有効にその月日を有効にすごされたことです。 人生の終演をどのように生きるかは、人様々です。

神キリストを賛美しつつすごすことも素晴らしいです。、私の思いつきが、良いチャンスを作ったことは正直に申し上げて嬉しいです。

しかし、それ以上に、小さな思いつきに=手ぬぐいへの祈りではありましたが、それを確かにしてして下さったイエス・キリストを賛美します。

BlogPaint 

私も将来は亡くなる日が来ますが、充実した日歩を過ごし、父なる神、イエス様、聖霊なる神を賛美し続けたいです。

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