先日。兄を見送ることになりました。 


兄の葬儀 053
















兄は、未だ80歳の若さでした。この年齢は若いと思うのか?長生きと思うかは個人差がありますけれど、もう十分と本人は思ったのか?生きる気力と言うか食べることを拒否してしまい、体力が落ちました。昨年、79歳までは元気でスポーツ好きでした。
手術は成功して、一時は元気でした。癒しの祈りもしましたが、連絡を受けたときは随分と病状が悪化したときでした。医師の手当て同様に、癒しの祈りも早い時期の方が回復しやすいですね。

しかし、次第に気力が失せたようです。人は何事でも気力を失うと駄目になるのだな〜と兄を見て思いました。食べる気力。旅をしたい。あの事をしたいな〜と色々考える気力です。心に思い描き、達成し実行しようとする気力は大切ですね。

葬儀は甥が喪主を務めました。宗派が違うので、お詫びを言いました。
『叔父さんは牧師だから良いですよ。』と理解を示して下さり嬉しかったです。

お焼香の間に、兄との幼い時の思い出を回想して涙が溢れていました。
神様に『兄が目を覚まして、起き上がらせて下さい。』と祈りもしました。

マリヤがその兄のラザロガ亡くなったときに、側に『主イエス様が居たなら、死ななかったのに!』と泣きました。既報を受けて、私もイエス様の時代に生きていたかったと正直に思いましたっけけれど、私はまだまだ、マリヤと主イエス様のような人間関係に達していなかった事を悔い改めて祈りました。
そして、兄の霊を神の手に委ねることが出来ました。

兄の葬儀終了後22