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心の風景、愛の聖書、福音と癒やしと日常から。ミカエル小栗

ミカエル小栗がつづる心の風景。聖書の福音は愛と救いと癒やし。日常の出来事の心の雑記帳風景ブログです。聖書に基づくカウセリング、祝福と救いと心の癒やしを祈ります。あなたの教会のメッセージ奉仕もします。ご依頼はメールにて!

2006年10月

 九州の学校の教師が、受け持ちの子供に等級付けをしていた。
ハッキリと子供たちの等級つけを苺のようにつけていたとか!?  
教師も人間だから、好みがあるだろう。

確かに、私の小学校時代からも、えこひいきとか、いじめがあったけど
「いじめ」は『虐めと漢字で書く』まさに言葉や態度の虐待だ!
ひらがなで書くとチョトしたイジワル程度みたいけど・・
言葉を和らげるから、その卑劣さが伝わらない!

昔は学校でも、近所で叔父さんやおばさんからも、
いじめや近所も問題には知恵を教えられ、立ち向かう事も教えられた。
いじめは弱い物がすることだと学校でも教えられた。
宿題忘れて廊下で立たされた。時々、殴られた!
でも先生には手加減が在り、思いやりも感じた。
愛には優劣、等級は決してないのである


庭のもみじ


人の姿は、愛する形に創られた。存在、それ自体が素晴らしいからだ! 
理解し逢うために言葉が在った。言葉は愛と祈りであった。
言葉は存在そのものでもあって、その言葉が地上に来られた。
言葉は神イエスとなった。

神は私の目には高価で尊い存在だと、私たちに語っておられる。
私たち一人々が、高価で尊い愛するにあいたするものだといっておられる。
私たちの存在そののが、愛するために、愛されるために、存在しているのである。
その愛には優劣、等級は決してないのである

石庭ともみじ

詩画ポスター前回に続いて、生かす言葉から思う事がありました。
私たちは生きています。『生きて』なのか『生きる』なのか?言い換えて「今日も、ただ生きている。」のでしょうか? それとも、「生かされている。」のでしょうか?同じ言葉の『生きる』です。けれど、前記は受身です。それは否定的な生き方、絶望的な生き方等につながると思いませんか?心の中を支配されると『アー!!今日も生きていくのか』になってしまいます。言い換えれば、心の中では受身で『生きている』になってしまいます。

また。『生かされている。』と考える事は、感謝を保ち、希望を見出して積極的に『生きていこう』となり、明日には生きがいがあります。同じ言葉の『生きる』ですが、大きな違いが在ると思いませんか?

最近、多い若い人の自殺を、私は悲しんでいます。自殺する人は生きる事を拒否するのも、明日に希望をもてない事が多いのではないでしょうか?確かに、自らの命を絶ちたくなる事が多い世の中です。
星野富弘氏

けれど、自分の命を絶って、死にたくても死ぬ事が出来なかった「星野富弘さん」をあなたはご存知でしょうか?彼は事故で全身が動かなくなる事故にあいました。かろうじて首から上だけが動きます。話す事が出来るだけになりました。富広さんは絶望して死にたくて、自殺したくても、自分では手足や体を自分では動かせないのです。 
ただ、呆然と生きているだけになりました。

詩画
そんなある日。彼は聖書に出会いました。生きているだけから、大きな事故にあっても、生きている事の大きな意義を、生かされている事の大切さを、聖書から、神の言葉。生きていく為の言葉、星野さんを生かす言葉を見出したのです。それ以来。生きる事が楽しくなったそうです。星野さんは口に絵筆を銜えて、美しい絵と詩を書くようになり、それが多くの人々に感動を与えるようになました。またその後に、結婚なさっておられます。数度ですが、お手紙を交わした事があります。奥様の代筆でしたが、思いやりのあるお言葉で綴られたお手紙であったと思い出しております。事故から自殺を・・でも生かされている事の大切さを知り、生きていこうと考え方を変えて、生きる意義と幸せを掴まれたのですね。、最近、訪ねて来てくださったLAの安藤牧師から、お聞きしたお話からも重ねて思う事のです。


人には突然に、色々問題が起きます。いじめは学校だけじゃないです。社会に出てもあります。経済的な問題、失業。若者、高齢者の就職難。不安や困難が一杯あります。私自身もそうです。しかし、聖書がいうように、『明日の心配は無用です。今日の苦労は、今日で十分である。』マタイ6:34に書いてある言葉があります。神の国と義と求める事が、私たちに課されています。神の真実と言葉の中に生きる幸せを噛み締めて、実行する事が大切です。神様の考え方に沿って、聖書の言葉を自分の生活の中で、具体的に最適化すると、私たちの心には、命が湧き上がります。それはすくに向って生きて行く力となります。


安藤師と私

星野富弘詩画集カレンダー 2007年版 (2007)


かぎりなくやさしい花々


新版 愛、深き淵より。

HAKUSAN今週初めは、奈良の教会に出かけておりました。毎日、ブログの更新をしたいと思いつつも出来ないのが気になるこの頃ですけど・・ 
奈良に出かけたのは、4年前にもなりますか? 断食祈祷院で出会った方からの招待でした。
彼に出会ったときには、糖尿で体調も悪く、事業も不振で落ち込んで、断食祈祷に来ておられた時に、私たちは出会いました。その後、お手紙などの連絡はありましたが、私たちは逢ってはいませんでした。お久しぶりに出会って彼は、私に、『あのときに、教えてくださった言葉とアドバイスで、私の人生は変わりました。健康も事業も収益が上がりました。』と大変な喜び、目頭も熱くなさっておられました。

出合ったときに、私は彼のために祈り、イエス様が彼のために示された祈りの言葉と共に、聖書の言葉を示しました。少しばかりのカウセリング、神様が下さったと感じたアドバイスで、彼を励まし希望の言葉を語りました。彼自身はその言葉を信じたのです。その言葉を実行したのです。聖書の言葉は喩えキリストを信じない方でも、書店では読むことができます。信じなくても聖書の言葉を知っておられる方もいます。

彼は聖書の言葉を信じ、カウセリングに耳を傾けてから、色々のチャンスに出会いました。見えなかった世界とチャンスが見えたのです。その言葉とは『あなたの神、主を心に据えなさい。主があなたに富を築き上げられるのは、あなたの先祖たちに誓った契約を今日の通りに果たされるためである。』申命記8:18彼はその言葉を心に据えて実行したのは、彼自身です。「その時から体調がよくなり、事業も収益が上がった。」と、感謝を述べられたのです。 神を真剣に求めた時から、色々のチャンスが得られたそうです。
先祖の約束とは、アブラハムをさしております。詳しくはその祝福の契約は、別サイト黄金律で説明中です



奈良公園.

神様が、その彼の心労を知っておられて、励まされたのです。でも、聖書の言葉を『知っている、信じていた。励まされた。』と『知っていこう、信じていこう。励まされている。』では大きな違いが在ります。 過去や停滞,完了ではなく、未来に向かって、神が与えてくださった言葉を希望に変えて、明日に向っていくので、彼自身が祝福と生きていく希望を得たのです。
不安や厳しい現実は次々とあります。でもそれらを変える事が出きるのです。神の言葉を実行に移す決心が必要です。

私たちが、神や信仰を持たないとしても、人を生かす事が出きる言葉を選んで、隣人に差し上げたいです。そうすれば、いじめとか、自殺が少しでも無くなるのではないでしょうか。
人は自分が生きていると思えば、それを止めようとします。でも私たちは、神のよって生かされている者。生きていこうとするなら、明日という日は希望に変わるのです。たとえ、今日には苦しみ、困難があっても・・

灘の祭り1


昨日は好天に恵まれて散歩にでかけました。といっても、時々、ニュースで見かけていた灘の秋祭り、喧嘩神輿祭りに出かけました。この時期、兵庫県の瀬戸内海岸一体。灘と昔から呼ばれるあたりでは、無形文化財とも指定されているみこし祭りが盛んです。大阪河内地方のだんじり祭りと並んで有名です。私が訪ねた村は、普段は寒村と言えるかどうか分かりませんが、特急電車が止まらない静かな漁村です。

思い立って出かけたものだから、午後3時ごろにつきました。第一会場に向ったけど、祭りの時に出る食べ物屋台が大勢並んでいたが、会場はもう静かだった。遅かったか!と思っていたら、相撲まわし姿の一人の男性が歩いてきた。神輿を被ぐ時には、相撲用のまわしを着用するとネット・ニュースで知っていたので、祭りが終わったかと思いつつ、 その方に聞くと、この会場ではもう終わって、お旅山と言う処に、集合していると教えて頂き、その会場に向いました。その方向に向うと、徐々に見物人も増えて、神輿を交代したのか、祭り衣装姿や、ふんどし姿の人も平然と街中を歩く人も増えてきて驚いた。故郷の北陸の祭りでも神輿や獅子舞が多いが、祭り衣装のふんどし姿は無いので、非日常性を幾らか感じました。暫く歩くと、狭い道から大きな神輿を担いで大勢の人が出てきた。やはり威勢のよさが伝わってきました。

灘の祭り2

立ち止まる大勢の人、人。その横をすり抜けて、会場に向かって驚いた。こちらにも更に人。人が狭い処に集まっていた。また摺り鉢状の山の斜面には、観覧席が設けられて、そこにも大勢の人。人だった。
威勢よく、数トンはあるような大きな神輿を何台も練り合わせ、その山の上にある神社まで神輿を担いで登る道の脇で見物と決め込んだ。外国人の見物人にも出会いました。彼らの目にはどう映ったのでしょうか?

地元の人々は、一年の間には静かに暮らして、この2日間に爆発させていると、私の近くの人が話していた。神輿の周りには、世話役の方がおられ、この一年間の大役を果たしていました。この祭りを運営するためには、役員の方は大きな犠牲を払っているな〜と感じます。事故が起きないように細かな配慮もいるでしょう。村町の共同体的かなとも思いました。この祭りでは数千人が集まり参加をしています。

私たちは、私たちの信じる神と教会に対して、どれだけの犠牲を払っているだろうか?とふと思い、悔い改めの祈りをしました。祭りでは、数トンは有るかと思う、重い神輿を担いで肩が赤い。この秋空の下でも、汗をかいで神輿を背負い、力を入れて踏ん張っているようで、まるで神輿と相撲取ると言った感じです。元々は大漁を願っての祭りです。日本民族先祖は、海からの外来人が多いのでは?海を渡ってきたので、海に対する信仰が生まれましたね。自然が神の信仰が多いです。

灘の祭り3

神の像を被いて、練り歩く習慣は昔からありました。モーゼがシナイ山で、神様が岩に書いた十戒の岩盤板も、神輿のように被いてカナン約束の土地まで、40年間運びました。
その運ぶ間に、神様が奇跡を現されたのを見て、他の神々。他の信仰を持つ人々が、それを真似たとも言われます。そんな歴史が、日本にも伝来したのでしょう。

これだけの人が見物して、神輿を背負っていても、普段は何処まで信じているのだろうか?村八分を恐れての事だろうか? ふと、そんな思いが横切りました。河内のだんじりでもそうですが、時々圧死者が出る。それが名誉だという事も何故か悲しいです。

聖書では、ヤコブが、神の使いと相撲を取ったと書かれています。
一年間の安全と大漁ではなく、2日間だけの熱狂ではなく、ヤコブのように生涯の祝福、幸せを願いたいと思いました。その地域の霊の開放を祈りつつ岐路に着きまた。

ワールド・トレードセンター昨日、前評判の高かった??と言うより、個人的に見たかった映画を見ました。それが今日のタイトルにもある「ワールド・トレードセンター」の映画です。

9.11の日に、救出に向った警察官が巻き込まれた,第二次事故の救出のストーリーです。あの日。アメリカが実際に攻撃されたような、アメリカ人の一日の混乱も同時に伝えられていました。瓦礫につぶされた中で、生き延びたのは、彼らの信仰と、再び、家族に逢いたい!!会えるという希望でした。家庭と言う形が、ハッキリして、どう立ち振る舞うかが良く理解されています。あまり話すと映画が面白くなくなりますので・・
見てからのお楽しみですね。すみません!!
しかし。家族へのストレートな家族愛と、周りの人々の献身的な自らの危険を顧みないボランテアには、アメリカに存在するコミュニティーの連帯感。基本的な考えも伝わってきました。これはどうしても、私たちの日本には、近年特に、薄いかもしれないです。それは共同体という意識です。


共同体といえばアメリカの一つの信仰共同体・アーミーシュ(直訳=友。兄弟たち、他の意味あり。)のコミニュテーィです。先だって、小学生が数名が殺される事件がありました。彼らは、独自の生活=文明を避けています。彼らの信仰の発祥した、南フランスの伝統文化とプロテスタント信仰を守ろうする共同体です。アメリカ全土に小さな信仰共同体の土地を持っています。急速な文明発展は、人々の大切な心を蝕むという考えから、文明と言われる品々を避けています。額に汗し働く善良な人たちが多いです。天皇陛下の外遊訪問時にも、彼らのコミニュテーィを訪れておられます。

小学校での事件でしたから、多くの関心も呼びました。怪我した子供たち救出、運ぶために、緊急に電話も使われ車や(普段は馬車)遠方の病院にはヘリコプターなども使われました。普段は彼らの生き方に敬意や遠慮している、かかわりの少ない一般市民が助けました。また彼らも受け入れました。 暴徒化した男性の前に、立ちはだかったのは、12歳にもならない女の子だともニュースで聞きました。 彼女より幼い子を守るために、自分を捧げて殺されました。 親から伝統的に教えられている教育が生きているなと思いました。
しかし、教えられていても、実行できるのは、その少女本人の本当の愛ですね。
ご存知のように暴徒化した男性は、その場で自殺しました。素晴らしいのはその後です。
何も知らなかった、男性の家族に,愛の手、許しを与え、迎え入れたのは、子供を殺された、アーミーシュの親でした。 日本ではどうなるかな!? 一生殺人者の家族という烙印で、一生を生きていかなくてはいけないかもしれないですね。殺された親も、突然、殺人者の家族の痛みを、分かち会う痛みを、共同体としたのですね。




自由の女神貿易センター

『目は目を!歯には歯を!』という言葉の本質は、愛を与える事です。口で言っても、簡単じゃない事を、実際に行った彼らアーミーシュの素晴らしさを知りました。

また未だアメリカには、善良な良心が生きている社会があって、イラクなどの戦争を反対する人が多い事も事実です。この場合の反体制あっても声を上げるアメリカがいいです。
声を上げれるのは、家族を守るためでもあると思います。お国のためとは、二度と決して言わない日本になりたいですね。

それにしても、今更ですが、あのビルの崩壊で98国、4000名以上の犠牲が出ました。
イラクやアフガンでは、その数を越して、双方に犠牲が出ています。神の願いに通りに、『地に平和が来ますように。』と願いを見ながら強く願いました。

終わりに、演技する俳優たちも素晴らしく良かったです。主演のニコラス・ケイジも若い時に比べて,渋みをまされていい年を重ねられたな〜とも思いました。私たちも年を重ねて、いろんな点で、よき大人。人間、そして、良き日本になりたいですね。

長崎原爆
近い内にと言われつつ、北朝鮮がついに核実験をしました。なりふり構わずの感じもします。飢えている国民よりも、自分の体制を守りたいためとか、色々言われています。
核拡散が一番、嫌ですね。アメリカもそれを大層懸念しています。パキスタンからアルカイダーなどイスラム過激派に核の武器が使われる事です。やはり、核というものは、ハッキリした制御コントロールを守る秩序を守る処で、管理される国で置かれて欲しいです。

被爆した日本が、世界の核を守る役を引き受けたらどうなるでしょうか!? 日本人気質には向いているかも知れないですね。ただし、これは・・世界の核を管理する日本国は在り得ない事でしょうね。絶対的にアメリカが、世界の核をコントロールしたいようです。

コスモス紫

日本は、核も持たない国です。しかし、事実は、条約によってアメリカの核に守られているのです。好むと好まざると、アメリカの傘の下にあって守られていることです。実際に、守ってくれるかとは、別問題ですけど。

過日。ロシアにだ捕された漁船がありました。攻め込まれたら、もう遅いのです。銃で脅されて、船まで奪われました。彼らは平気です。ソーナー受信機など積んだ最新式の船が欲しかっただけでは!?と私は思います。

私の両親はカラフト=サハリンに戦前住んでいました。終戦後、平和条約が結ばれた跡で、ロシア軍が南下してサハリンを占領したのです。北方領土を独占したのです。反対して守るべき条約さえも無視したのです。その背後には、旧ソ連の条約無視した事を、口出ししないで、ロシア軍の南下を黙認したのはアメリカです。 その後に、多くの弁解、弁護もしていますが虚しいです。事実は、北方領土は、戦争終了後に無条件で奪われ、住んでいた私たち住民は追い出されたのです。

中国、朝鮮の侵略とは違って、北方領土は、日本人が長年開拓して領土として来た所です。

日本政府からも、もろくな保障もありませんでした。いざとなるとアメリカは、本当に他国民の日本を守るだろうか!? そんな疑念を持つものです。確実に、昨日からは北朝鮮の核の標的下に入った日本です。平和憲法9条も大事です。
自衛の力も必要ですね。 『平和ボケにならないで!!』とはスイス人が見た日本人です。

永世中立国ですが,軍備自衛力は凄い国です。でも日本の中に根強く残る軍国主義は困ります。このバランスが、微妙です。

アメリカも、第二次世界大戦の日本に原爆を落とさなくても、戦勝に導く計算がありました。しかし、核の実験場にと、広島、長崎を選んだとも言われる情報も流れています。 アメリカが初めて戦争に核を使用しました。でも今は、自分たちアメリカが開発した核の恐怖が、北朝鮮を通じて、テロリストに手渡されて、アメリカが標的になる事を恐れているのは皮肉ですね。 『天に向った吐いた唾は、自分の顔に掛かる。』聖書箴言の言葉ですね。

北朝鮮の国民に平和が来ますように、飢えからの解放、自由がありますように。

日本国発行ドル札


過去に何度も言葉を聞いてきました、戦争責任。過去には確かに、旧日本国が、中国、韓国はじめ、東南アジアを支配しました。でも戦後の歴代首相から明確な言葉では、謝罪を私は聞いた記憶が無いと思うのです。内々の首相コメントとして過去には在った戦争責任の言葉を、ハッキリと今回発言したのは、安部首相が初めてでしょうか?

安部首相が、戦争責任を認める発言をなさったとニュースで聞きました。彼の叔父、おじいさんは戦争に深く関わった人でした。彼にしても、言葉にして現す、発言する事には抵抗があったと察します。トップの画像のドル札は、日本東南アジアを支配していた時に発行された日本国ドル札です。これは何よりも、日本が支配した歴史の証です。


日本の過去の戦後処理は、大きな金額を支払い、責任を果たそうとしてきました。未だに、大きな金額を、経済的に発展している中国にも支払っています。でもそのお金が、中国国民よりも、中国の軍備に、中国の核開発にも使われているかもしれないです。韓国にも大きなお金を払ってきました。

でも大切な事をしてこなかったように感じます。それは言葉による謝罪です。『許してください!』との言葉をハッキリ言ってこなかった気がしてならないです。

冒頭のドル札は、私がマレーシアに旅行して、小さな町。マラッカに出かけて際に、私は手にしました。私のガイドをしてくださった家に、旅の最後に遊びに行きました。彼から、『私の父です。』と紹介され暫く懇談していました。



旧日本国ドル札

昔話になって、彼の父上から、この日本国発行のドル札を見せてもらいました。
お父さんには、両親と5人の兄弟が居ました。このお父さんが末っ子だったそうです。
ある日、日本軍に連れて行かれて、彼、お父さんだけが残されました。連れて行かれるときに、家族から手渡されたお金が、画像にあるドル札です。それから再び、家族とは会えなくなりました。連れて行かれて、全員が死にました。

それを聞いた時には、私の心には、重たく辛い悲しみに襲われました。どうして良いの解りませんでした。とっさに、わたしは、そのお父さんの手を握り告白しました。

『戦争は、私のうまれる前の出来事ですが、日本人との一人として、あなたに犯した罪を、どうぞ!許してください。』と頭を下げて、心から謝罪して謝りました。日本人から、頭を下げての謝罪の言葉を、初めて個人的に聞いたのでした。静かに、その言葉を受け入れてくださって、許しを与えてくださいました。『私の過去は、もいらない。』と、このドル札を記念に下さいました。

言葉による謝罪と、神の言葉、聖書の言葉を思い出していました。
『私の名を呼び求めている私の民がみずからへりくだり、祈りを捧げ、私の顔を慕い求めるなら、・・私が親しく天から聞いて彼らの罪を許し、彼らの地を癒そう。』聖書 歴代供。掘В隠粥 峺で告白して、許される」ことを実感しました。

日本もお金、経済協力だけではない、言葉による謝罪責任をもっと果たせたらと願う一人です。


横田さん

昨日は横田恵みさんの誕生日でした。毎年、ケーキを買って、お祝いをして娘さんの帰国を信じておられます。めぐみさんのドキメンタリー映画の完成舞台挨拶の様子を、TVニュースを通して拝見しました。以前にも、横田さんの事を、私のブログで触れましたけれど、横田さん夫妻がそこまで強く信じられるのは、横田夫妻の背後におられる神イエス様の存在があります。行方不明になった当初は、何も信じられず、海に身を投げて死にたいと思ったそうです。

そんなある日、娘さんの同級生のお母様から奨められて、聖書と出会いました。その手渡された聖書の中からヨブ記を読まれ、聖書の言葉の奥深さに心が開いたそうです。『私は裸で母の胎から出てきた。また、裸で私はかしこにかえろう。主(神)は与え、主は取られる。主の御名を賛美します。ほむべきかな。』また『あなたは神の奥深さを見抜く事が出来ようか。全能者の極限を見つける事が出来ようか。それは天より高い。あなたに何が出来よう。それは黄泉(地獄)ふかい、あなたが何を知りえよう。』聖書、ヨブ記より

横田早咲江さん

横田早咲江さんは、この言葉の奥深さに触れて、いつの間にか、何故か悲しみではない、感動の涙を流されて、人間の力では及ばない、深く大きい何かを感じられました。漠然とした神概念ではなく、真実の神の存在が関わっていると感じられました。計り知れない、想像を超えたところにある神の御手を感じられました。人知の及ばないことも神の手の中に、お任せする事が出来ましたそうです。恐れ入ります。

昨日も涙そうそうで、私の体験を書きました。突然の癌の告知で、『奥さんは余命半年。』結婚中に3度の妊娠。でも体質で、3度とも流産でした。子供は諦めても、妻がいればと思っていた矢先でしたから、神様はなぜ?私も思いました。私の理解を超えていました。私以外にも、やはり、神様は・・どうして・・・と言う事も、他の人を見れば、沢山おられます。でも急には納得が出来ませんでした。


私たち一人々に、心の癒しを与えて下り、数年後に、心を落ち着け、理解が出来て、深い慰めや解決を与えて下さるのは、主(神)なのです。私は、イエス様に出会っていて本当に良かったです。先のヨブ記に書かれている主人公であるヨブさんのように、理解できない苦しみや悲しみ。病気を経験しました。私にも癌が見つかりました。でも、神の癒しを信じて、生きる希望が与えられました。命の希望が沸いて来て、私自身も理解できない時を過ごすことができました。なぜなら、明日の希望を与えてくださる神が居られてからです。 


横田さんの信仰が・・明日はと言う強い希望と信念だけが、誰も拉致の事を相手にしなかった時から、情勢が変わって社会を動かしました。神が、私たちそれぞれに、愛と希望と信仰を堅く持つようにも願っておられます。


祈りの手

derufa





「古いアルバムめくり・・」 そんな歌が数年前から、流行っています。また最近。その歌に合わせて映画が作られました。そうです。「涙。そうそう。」と言う映画です。私は、戦争に関わる映画化と思えば、親たちが、子供を連れてお互いに再婚した、血のつながらない兄弟の物語です。妹は、本当に、実の兄と思って育ち、兄は妹であり、少し淡い恋にも似た感情も動き、両親が分かれてしまったので、父親にも似た気持ちもある。心の格闘の中で、二人の運命の悲しさを描いた映画でした。先日の1日は映画の日で、格安料金のせいか!?満員御礼でした。

人の人生には、それぞれには、涙がついてきますね。映画を見ながら、私も思い出してつい泣きました。私にも血のつながりが無いが、生後3ヶ月目から一緒に育った、妹と言ってよい7歳下の女子がいました。その子の両親は共働きでした。私の家が、道路を挟んで向かい合わせだったので、母が預かることになりました。毎朝。8時ごろ来て、午後7〜8時頃までいました。でも週の何回は泊まりましたから、いつも一緒に居た、私の妹でした。彼女は中学に入学後には、毎日は来なくなりましたけど、家が前なので、『おばあちゃん。爺ちゃん。兄ちゃん』と呼び合って、彼女が結婚するまで、まる家族のように付き合いました。結婚して暫くして、ある事故で亡くなってしまいました。その悲報を聞いた時は、彼女の両親も、私たち家族も、なんと言ってよいのか!?言葉を失った時の記憶を、映画を見ながら、また思い出していました。私は心から妹でした。よく喧嘩もしました。冗談でも、『兄ちゃん好き!』と言われた時には、この、僕の妹のために、何でもしようと思っていました。でも、死んでしまっては・・ その若さが、一層悲しかった。



日々草

またそれから数年後に、追い討ちを掛けられました。妻が癌になってしまいました。30歳の誕生日を迎える前に亡くなりました。『おとうさん!ありがとう。いい人。見つけてね」。と言い残して・・
どうしようもない、悲しみが人生にはあります。望みは天国で会えることです。
それらを乗り越える、深い慰めも、神様が与えて下ったことは、忘れられません。
思い出の中、悲しみの涙と、感謝の涙そうそうの時を過ごしました。

『主はヨブの前の半生より後の半生を、もっと祝福された。』聖書ヨブ記42:12

『私のうちで、思いわずらいが増すときに、あなた(神)の慰めが、私の魂を喜ばしてくださいます。』聖書詩篇94:19 

『あなたの重荷を主に(神イエス)にゆだねよ。主はあなたのことを心配してくださる。主は決して、正しい者が揺るがされるようにはしない。』聖書詩篇。55:22


derufa


新しく始めた別サイトのブログ。黄金律を、私的に考えて聖書から書き始めたのです。思いのほかに違って簡単に始められると思ったけど、各社のソフトが違うので、手間取りました。

読み安くを心がけて、短く書き込みして、纏めるのにも苦労しました。 誤字脱字も多かったですね。何度も呼んで確認しても・・どこかにまた間違いを見つけては訂正したりです。

またこのブログを読んでくださると嬉しいです。
OCNのブログです。 人生を送るために必要なルール・黄金律を纏めています。未だ書き初めですけど、下記ののURLでご覧ください。

http://mickael-to-golden-rule.no-blog.jp/bible3elshaddai/
左に私的リンクの欄があります。

感想を頂けると嬉しいです。 改良の参考にさせていただきます。

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